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卒制作品は全て価値の等価交換を:第17回ガラス教育機関合同作品展の感動

都立美術館で開催していた第17回 ガラス教育機関合同作品展に行きました。
日本でガラスを専攻している学生さんや卒業生による展示で、クオリティも高くアート作品として欲しいな、と思う作品もありました。
作品から作者の方の想いが伝わり、胸が熱くなりました。

美大は作家やクリエイターを輩出する教育機関です。過去には芸大をはじめ、ムサビ、タマビ、金沢美大など卒業制作展を観に行きましたが、どれもレベルが高く、熱意と創意工夫が伝わる作品は、美術作品として感動します。

学生時代には感じませんでしたが、社会人になって卒制展に行き感じることは、なぜ教育機関が学生の作品を売る努力をしないのだろうか?ということです。
大学は教育機関なので、大っぴらに商売は出来ませんし、美大の卒業制作展にはアートギャラリーの方が作家を青田買いするために訪れる、ということも聞いたことがあります。

ほとんどの学生にとって、クラスメイトではない外部の方にむけて作品を観てもらう機会が卒制展です。そして、卒業制作作品は、作り手の手元に残ります。
しかし、作り手の手元に残る作品というのは、あるべき姿なのでしょうか。
新しいオーナーのところへ届けることもまた、美術作品としての役割だと思います。

例えば、全国の百貨店の外商担当を招待するとか、星付きのホテルのロビーで展示をするとか、学生さんの作品を買いたい方のマッチングをすることも重要ではないでしょうか。

学生は学生さんたちは単位を修得するためになんとなく作品を作っているわけではなく、4年間の自分の集大成として作品を制作します。おそらく卒業後に作家として食べていける人はほんのひと握りでしょう。(いくら才能があっても、実家が太く、働かなくてOKという恵まれた経済環境がないと作家として活動するにはハードルがあります。)
よく都立美術館で美大の展示をしていますが、都美術館の展示を観に来るお客さんとアートや工芸を購入できるお客さんは違うと思うのです。

在学中、初めて先輩の卒業制作展を見たとき、そのレベルの高さに感動したことを覚えています。 
「自分も数年後にはこんな作品をつくれるようになるのだろうか」「たった1人でこんな作品を作り上げるなんてすごいなあ」と、ただただ感心しました。
1年生のときに初めてモノをつくったときに、お金をかけて材料を買ったのに、アートどころかゴミのようなものしか作れなかったので、卒制作品のクオリティは超えられない壁のように高く感じたのです。

4年生になり、卒業制作に取り組んだ約4ヶ月。
リーマンショックがあった翌年だったので、求人が減り、ほとんどのクラスメイトが就活をしながらの制作に取り組みました。就活と並行しながらの卒業制作は厳しく、またこれで最後の課題である、という寂しさもあり、後悔せぬよう祈りを捧げるように制作をしたことを覚えています。

東京藝術大学は1887年に創立され、1949年に大学として設置されました。多摩美術大学は1935年に創立され、1953年に大学として設置されました 。武蔵野美術大学は1929年に創立され、1962年に大学として設置されました 。
いずれも大学として設置されたのは、日本が高度経済成長期の真っ只中です。
モノをどんどん作っていた時代は、美大を卒業して学んだことも活かせたと思います。
モノが溢れている世界ですが、それでもモノをつくることを愛し、オリジナルの作品を作るアーティストたちをもっともっと大切にし、尊敬する必要があり、彼らを積極的に守る必要があると思いました。

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