本当の愚か者はどちらだ

「いや、俺、繊細な人間だからさあ」

電車内、日付変更10分前。
ふと声が聞こえた方へ目を向けた。

30代後半・サラリーマンと思しき男性2人。
やたらに声を張った片方が顔を赤らめている。
掴んだつり革にぶら下がりそうな勢いで、ひょろりとした身体をゆらゆらと遊ばせていた。
もう片方の細身な側は背筋を伸ばしており、微笑みを浮かべながら相槌を繰り返している。

居酒屋帰りの典型だ。
度々見かける光景である。

その日私は、運良く端の座席に座っていた。
各駅で停まる度に動き続ける人の流れを俯き加減にーーしかし、高みの見物で見つめていたのだが。

不意に飛び込んできたのが冒頭の一言である。

それからと言うもの、会話が不思議と耳について仕方なかった。

先ほどまでは雑音でしかなかったはずなのに。
単純に、声が大きいからだろうか。

考えを巡らせる間もなお、彼らの会話は続いている。

「あいつ外回りたった2時間すら長いって生意気だよなー。『混む前に飯行く』とか抜かして昼前にとっとと外すし」

「そうかー」

「入って1年も経ってないくせによ。本当にマツオカは言葉選ばないよな。欲望のまま遠慮なく好き放題言ってくれて」

「我慢してるんですね、先輩」

「そうなんだよ!やっぱり俺、繊細だからさあ。我を通す奴には言えるわけないんだよ」

引き込まれるような話ではなく、ありふれた愚痴でしかない会話。
けれどやはり、耳を傾けてしまう自分に気がついて、私は視線を外した。
そして膝に置いたバッグを抱えなおしながら、呟いていた。

繊細、ねえ……

確かに見たところ、お世辞にも気が強くなさそうな風貌だ。

心なしか頼りなさそうな体つきと姿勢。
アルコールに乗せられて張り上げた声は既に擦れつつある。

確かに素面ではろくに本音を打ち明けられない程には、気が弱い性質なのかもしれない。

いやしかし。

自らを『繊細だ』などとは
自慢するようなことなのか。
声高に主張するようなことなのか。

そして遅れ馳せながら気がついた。

まくし立てる彼が、なんだか鼻に付くタイプだったのだ。
耳につく会話を無視できないほどに。

やがて話を聞いていた側の彼が

「どうもお疲れさまでした!」

と、やはり居酒屋帰りお決まりの台詞を残し、電車を降りて行った。

話し相手を失った彼は、当たり前ながら口を閉ざす。
それからは生気を失ったようにひとり、つり革にぶら下がり
だらしなく『典型的な酔っ払い』の続きをはじめていた。

「あいつさあ」
「うわっ!?」

唐突に話しかけたのは、隣で寝ていたはずの友人だった。

「さっき話してたときのあの酔っ払い、まじお前そっくり」

「はあ?わたし女だよ」

「いやあれは、おまえの男版だ。10年後、間違いなくああなってるぜ。『繊細だから何言っても許される』とか免罪符にしてな」

「まじうるさい」

友人の言葉には遠慮など微塵もなかったので、私も遠慮なく睨みを効かせた。
聞き捨てならない。

そして実のところ、心当たりがあるから始末に負えない。

周りの状況を省みず、私を見てくれと叫ぶ自分。
悲劇のヒロインぶっている自分。
根底にあるのは、大した努力もせずに周りから認められ、評価されようと安易に考える、怠惰な本音。

そうだ。私は弱い人間だ。

明るく振る舞うことが多いけれど、実のところ些細な言動を後悔して思い悩むことも多々ある。
おどけた口調の裏側で、本当の私はこうじゃないと叫びだしたくなる時もある。

許されるのなら、見境なく弱さをさらけ出しても、私を認めて欲しいとも。

同属嫌悪とは、このことか。

私の密かな願望を映し出した彼の姿はみっともないが、同時に羨ましくもあったのだ。
私が出来ずにいることを、簡単にさらけ出しやがって……と言う妬み。

さて。
本当に愚かなものは、いったいどちらだろう。

揺らめき続ける『酔っ払い』に目をやりながら、考える。

認めたくないことは沢山ある。

しかし何にせよ、これしきのことを棚に上げて批判などせず
まず自らのことを振り返ることで、変わることがあるのかもしれない。

いやでもなあ。

あいつと一緒にされるなんて
やっぱり、ほんと、嫌だ。うん。

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2015年、「風間のぞむ」名義で天狼院様HPにて掲載いただいた作品です。

天狼院書店

#エッセイ #過去作品

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