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不眠の研究

 不眠について、距離を置いて考えてみる。こいつはいったいなんなんやろか、と。当事者研究的アプローチ。坂口恭平さんの『躁鬱日記』も想起。

 不眠といっても、まったく眠れないわけではない。しかし、寝入りが悪い(入眠障害)か、数時間で目覚めてしまう(中途覚醒)か、まだ寝たいのに早朝に目覚めてしまう(早朝覚醒)かのどれかが、自分の人生にはだいたいいつもつきまとっていて、ときには併発していることもある。

 基本的にはずっと入眠障害で、最近はかなりマシになってきていたが、今度は中途覚醒が問題になってきている。

 よく寝るために、日中はできるだけいろんな活動をするようにしている。だから、質より量。昨日は文章を書き絵を描き歌を歌い、ジョギングをしてギターを弾き、寝る数時間前からは、「不眠症 対策」で検索すればどこでも出てくるようなことをやり、眠気とともに布団には入れたのだが、目覚めたのは、3時間後(不眠なのに、ロングスリーパーなのだ)。

 ぼうぜんと、暗い天井を見つめる。

 これはなんのホラーなのか?

 目覚めた瞬間の部屋の暗さの具合で、何時ぐらいか推測できるようになってしまった。はぁ……。 

 書くだけでもものがなしいが、気を取り直して、そのときの状態を考える。

 眠気はあった。身体も疲れていた。身体はきっとぐっすり眠りたいと思っていたはずだ。なのに身体は目覚めてしまう。どうしたんや……。身体のなかに矛盾がある。

 だいたい思考はここで止まる。

 そしてこういう結論に至る。

 自分は人生に見捨てられている。自分は人生に向いていない。

 身体自体について考えても、答えが出ないので、もうちょっと広く捉える。

 面接で例えると、自分の側にしっかり手応えがあって、面接官もまんざらでもなさそうだったのになぜか落とされたとき、自分や相手についてあれこれ考えるより「わたし、働くの向いてないなあ」とパッと思う感覚に近い。

 怒り狂うというよりは、「あ、そうなんだ」と事実を受け入れる感じ。

 そうはいっても、眠れないのは辛い。どうにかならんものか。

 こういうとき、ぐっすり眠れる体質の人がうらやましいなあ、とは思う。いろんな悩みがあるだろうけど、根本的な部分で、生きるのに向いていると思う。自分もそうだったら、どうなっていただろう。もっと活動的だっただろうか。いや案外、「眠るため」という目的がなければ、もっとぼんやりしていたかもしれない。

 ちゃんとした睡眠薬を飲めばいいのかもしれないが、眠れなかった事実、「生きるのに向いていない」と思った事実は変わらないな、とも思う。

 ひとつ気になるのは、不眠と躁鬱の関係。Twitterで「不眠」や「中途覚醒」と検索してみると、双極性障害であることを公言している人がかなり多い。

 専門的なことはわからないけど、鬱でいろいろと悩んでしまい、そのモヤモヤで不眠になるというケースが多いのかも。

 自分はどちらかというと、もうちょっと体質的な感じのような気がする。もちろん、不眠の最中や不眠明けには多少ネガティブになるし、それが「負のスパイラル」みたいになって落ち込むこともあるけど、よほど具合が悪いことがなければ、日中は切り離していられるので、だいたい明るい。でも、夜に局所的な鬱があるともいえるのか。

 ただ、不眠という事実があるので、すでに書いたような「人生に向いていない」という感覚はつねに根っこにあるといえばあるのかもしれない。

 なんというか、不眠という事実は、いろんなモヤモヤを増殖させるのではなく、ただ「人生に向いていない」という一点にストーンと収れんさせる。

 とはいえ、自分はずっと、そういう体質と付き合ってきたんだよな。「おまえ、こんなんどうよ」と新しいことを、ちょっかいをかけるように試して、研究者よろしく睡眠の変化を観察して……。まあ、ほとんどはなにも変わらず、人間の営為の可能性を信じられくなってきてる(だから、なにかができないのはその人の努力が不足しているだけ、という考えには同意できない)し、そろそろ試すこともなくなってきたような気がするけど。

 でもまあ、それでもなんとか楽しく生きるために、自分なりにやっていくんだと思う。きっと大丈夫……だと思いたい。

 あのだれか。

 ビルの間から空を見上げて、「わたし、働くの向いてないなあ」と思ったかもしれないだれかも、また歩き出して、きっとなにかのかたちで、そんな自分のままでも楽しく生きる術を見つけるのだろうから。

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