丹波からの便り

自然農の暮らし 農園の名はうむ農園 畑は集落のどんつきにあります

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最近の記事

したいことしていきる

「みんな、したいことをして生きていけばいい」最近よく聞く台詞 人間はしたいことしかできないように 身体がうまく できている。 したくないことすると、怪我したり病気をしたり。子供や家族に影響を及ぼしたりする。 だけど、したいことの解釈で 行動は大きく変わると思う。 その瞬間の快楽をしたいことと勘違いすることもある。 それは、自分の魂が本当に望むしたいことですか?と自問自答する。 ワタシは よく、失敗する。心が望んでないことをしてしまうときが沢山ある…失敗したことは、リ

    • 施す

      人間は施すという気持ちを手放したとき 自然と繋がれる 大きなエネルギーを動かすことができるのは エゴの無い 無心の気持ちだけだと思う 母親が、無心でこどもの健やかさを 願う気持ちに似ている 自然の意とは誰かが作った偶像の神様 ではなく、自然そのもの 宇宙のエネルギーや私たちの生命を 創造する大きな流れのようなものと言う感覚 農に置いて何かを施す それは、堆肥だったり 農薬だったり 科学肥料だったり 微生物だったり… おそらく 畑に無いものを持ち込むという行為は 収穫の変化を

      • 生活としごと

        番茶を作りました 飲む前に、フライパンで煎れば焙じ番茶 教えてくれたおばあちゃんからポツリポツリと思い出話が おばあちゃんの小さい頃は こんな作業が一年中たくさんあってな… そんな時は、子供も手伝わされたんや。 そんな日は学校の宿題もせんといくねん。 子供のお手伝いは、人工として 頼りにされていたと思います。 大人に混ざり、ひたすら繰り返す作業を 子供は一生懸命、失敗もしながらやってたんじゃないかなぁ 今、そんな貴重な子供時代を 過ごす人が何人日本にいるやろー? 失敗を

        • 意思ある言葉

          お金や言葉は生きる全てなんかではない。 だけど、お金も言葉も自ら発し手放した瞬間に自分の意思をもってあるきだす。 言霊のように強いエネルギーを持っているものだ。 「福は内!福は内!」と豆撒きするみたいにバラマクよりも、ある程度の道を予測して 思慮深く 送り出したいものです。 豆を撒く先にいるのは、鬼じゃなく、ヒトなんだから。 言葉もお金も その関係がないと そもそも何の意味すら持たないものなんだから。

          家族のこころ

          わたしは頭ではよくわからないことが多い。 目の前の人と関係の持ちかたもよくわからないのは、わたしの頭の働きが良くないから?と想っていました。 けど、不思議なことに、心でキャッチして、何が望みなのか言い当ててしまうことがあります。 それが、恐ろしくて?言い当てられた人は余計に心のうちを秘密にしたがるんですよね笑 心を閉ざした人に、何を話しかけても上の空なのは、当たり前のことでした。 家族との関係は1番難しい。 そこに愛があるか?ないか?だけなんですけどね。

          家族のこころ

          ドキドキ

          初めて何かをするときのドキドキ もう、何が起きても動じない心を手に入れたと思っていたのに ドキドキドキドキ 初めての挑戦はわたしにとてつもない刺激をくれる

          わかる?わからない?

          『やっとわかってくれた』って、台詞が頭の中にぐるぐる。。自分に言われたわけじゃないのに笑 なんだそれ??って、やっと 朝起きて思う 目が覚めて。。あなたの中の概念を他人が わからなあかんことなんて、何かあるかなぁ? 口を酸っぱくして、言うといたげたで。 あのこはわかってくれたなぁ? わからないでしょ。 ほんまにわからないでしょ。って思ったから、瞬間的に言葉が出た。わからん。わからんでもいいし。わかってもらえたら、いいなぁと思うことはあるけど笑 誰かに従うココロの動き

          わかる?わからない?

          道端おじさん

          自分たちが歩みたい道を歩き出すと その道中、1人のおじさんが(例えばおじさんですよー!おばさんでも子供でも誰でもいいんです)… 通せんぼしているわけではなく あれやこれやと、カバンから出してきては、食べる?使う??と色々くれるの。ほしいものもあれば、食べたくないものもある。だけど、その場は楽しくいこう!とおつきあいしてしまう。 頃合いを見て先に進もうとするのに おじさんは それはすごい引き止める。もっと一緒にシャベローヨー! いろいろもらっちゃったしなぁと 『先を急ぐか

          道端おじさん

          施すという行為

          あぁ なるほど そもそも自分のもの というものは在るかないか… ということにいきつくのか? 与えたら与えられる 本当にそれが因果なのか

          施すという行為

          自然農のこと

          人間は施すという気持ちを手放したとき 自然と繋がれる 大きなエネルギーを動かすことができるのは エゴの無い 無心の気持ちだけだと思う 母親が、無心でこどもの健やかさを 願う気持ちに似ている 自然の意とは誰かが作った偶像の神様 じゃなくて、自然そのもの 宇宙のエネルギーや私たちの生命を 創造する大きな流れのようなものと言う感覚 農に置いて何かを施す それは、堆肥だったり 農薬だったり 科学肥料だったり 微生物だったり… おそらく 畑に無いものを持ち込むという行為は 収

          自然農のこと

          みえないつき

          月は毎日形を変える 見え方は日によりけりだが そこにある月は丸いまま 真理を信じたら その姿の変化に驚き一喜一憂することはない どのような月も毎日美しいと眺めることになる

          みえないつき

          生きることと自然栽培と

          長男が生まれたとき 1分1秒でも長生きしてほしいと思った 毎日目が覚めて彼が息をしていることがわたしの喜びやった。生きてるってすごい ものの味もわからない 景色の色もわからない。 抜け出してはじめてわかるそんな世界も 同じ景色が違って見える美しい世界も ヒトはどちらの世界も自ら生み出せる だけど誰かの思惑通りにぎゅーと 箱に詰められてたら いき詰まるのに 箱にいるうちはいきづまりも自分がいるのは 箱の中なのか外なのかもわからない笑 自然栽培に魅かれるのは そんなことも影

          生きることと自然栽培と

          綿花

          綿花栽培で、地域や消費者 ヒトが自然の営みを生活に取り入れている現実への視点 興味のきっかけを発信していけないか? 農業ってヒトが生きる上で欠かせない食べ物の原料を栽培する仕事。 農業って食べる栽培だけじゃない。衣食住すべてに関わる部分を担う仕事。 農業って商売だけじゃない。地球環境にダイレクトに関わる精神性の問われる仕事。 全てを引っくるめて、消費者と共有していくことが出来れば、農業が変わる。担い手が変わる。地球環境が変わる。 全ては人の手に。ヒトの生活は地球にとって責

          有言不実

          有言不実は不邪淫戒 素晴らしい美辞麗句を並べても実行されなければ嘘となる。成らぬ為に仲間の愛の決断がある。 成果など他者の概念によるもの。如何様にも。 然し乍らいつ何時もその魂が鏡となり反映される。猶予など はなからないのだ。 それは発した者の責務 気づくのは今…全てを失う前に 今の自己に気づけずして 明日の自己はない。 自らが目を開けば世は愛に満ちている

          忘恩

          忘恩は地獄行き その言葉が頭から離れない朝です 私は天国も地獄もあると思ってないけれど 確かに忘れてはいけない感覚だと… その日その日を そのように感じて生きている 大体俺がしてやった!と思ってる人達は 自分がしてもらったことをすっかり忘れ 俺はこんなにしてやったのに! 今度はもっともっともっとしてくれ でないと等価交換に値しない そういう感覚に陥ってしまうのだろうなぁ 冷静になって今まで起きたことを 振り返ってみるが吉 何をして何をしてこなかったか そもそも俺がお前がで

          舵を取りたがるひと

          「舵取りは一人でいい。俺の決定に従え」 家庭のなかでこれを言い出す人がいると、バイオレンス 黙って頷く妻がいる。 会社だと、イエスマンの社員。 この思考回路の人は、恐らく幼少期から、この人間関係の中にどっぷりと浸かってきた人。そのとき感じた理不尽さは、時が立つほどに、消えていく。 幼いとき見た関係は幸せな景色の記憶となりココロノソコから要求する。だから、連鎖する。 断ち切るには、覚悟が必要なのに、従属する母親のいる幸せな記憶は甘い蜜の味。断ち切るどころか、何とかして手に入れ

          舵を取りたがるひと