見出し画像

アンダルシアの旅Ⅰ セビーリャ

 こちらに留学に一緒に来ている友人が12月初めアンダルシア地方に行くと聞いた。かねてからコルドバ、グラナダには行きたいと思っていたがどうにも旅行計画を立てるのが億劫で引き伸ばしにしていた。よし、ならば便乗して行ってしまおう。

 そんな惰性でアンダルシア地方への旅を決めた。


 今回の旅程は

12/6トゥールーズ→セビーリャ
12/7セビーリャ→コルドバ
12/8グラナダ
12/9グラナダ→アリカンテ(空港)
(12/10アリカンテ→トゥールーズ 早朝)

という旅としては3泊4日。
友人とは3日目のグラナダで合流することになった。


 朝、8:40トゥールーズ発の飛行機を目指し家を出る。最近は朝発に乗り遅れないか心配で前日よく眠れない現象を克服しつつある。
 前回のロンドン(7:30のフライト)に間に合った記憶と、ブラニャック空港までの道のりに対する慣れが安心を生んでいる気がする。ついでにシェンゲン協定内のライアンエアーなので、チェックインはオンラインで事前に済ませ、後は行って荷物検査のみ。
 故に正直1時間半前に行っても間に合う気はするが、やはり怖いので今回もきっちり2時間前に着くように、5:30に家を出た。

 朝ご飯とお腹が空いたら食べる用にバゲットのサンドイッチを作っていく。グリルドポークとチェダーを挟んだものの、オリーブオイルを忘れてパッサパサ。無事荷物検査が終わった搭乗待ちエリアでもさもさと食べる。

 ライアンエアーでは大体外に一旦出てから自分で階段を登って機内に入るのだが、12月、朝のトゥールーズの寒さは厳しい。スペインに備えて軽いコートとニットで来ているため、尚更である。
ようやく乗り込むと、約2時間のフライト。爆睡。

 気づけばスペイン。

 降り立つと、フランスで一斉に収縮していた身体中の毛穴が弛緩し、サバイバルを乗り切ったかのような安堵を覚える。 
 暖かさ。南に来たのだ。 
 空港を出てバスに乗って向かったのはスペイン広場。バスの窓からはフランスで見ない椰子の木と乾いた砂埃が見える。 

 スペイン広場につくと、真っ先にその眩しさに目が眩んだ。水面を反射する光、その光を受けて水面を映す壁。ギターの音色。

 スペイン広場は1929年のスペインでの万国博覧会のために設置されたという。スペイン内戦の前というのだから、20世紀と言えども随分と昔のように感じる。その土色やところどころに埋め込まれた鮮やかなタイルがアラビアを感じさせる。
 バルコニーに上がると広場を一望できるが、階段の踊り場の奏者が奏でるメランコリックな音楽がその場を、優しく光に包まれたスペイン広場を引き立たせ、私は全くの異国人で一人ではあるものの、その広場に抱かれているような、安心した気持ちになる。

 さて、持ってきたサンドイッチも食べ終わったため、町の中心部に行きアルカサルと大聖堂に行くことにする。

 道なりに歩いていると、そこら中にオレンジがなっている。
 セビーリャだけでなくアンダルシアのどこに行ってもオレンジを見かけて、その明るい色に暖かさを感じて嬉しくなる。



南を感じる黄土色。

 20分ほど歩くと中心地についたので、アルカサルに入ろうと思いオンラインでチケットを取ろうとクレジットカード情報を記入。

 レシートがでてQRコードが出てくると思いきや、「やりなおし」の文字。そのままやり直すには二重にお金がかかるかもしれない、という恐怖から係の人にこの状態を説明すると、「やり直し」は「やり直し」とのこと。

 そりゃあそうだけれどどうにかしてお金が引き落とされたか否かを確認したいのだが。。ネットで16時からは無料開放するという情報を見かけたので、しょうがないからその時間まで待つことにして、大聖堂に行くことにした。

 セビーリャの大聖堂はアルカサルとともに世界遺産の一つで、モスクの後に立ったため、ミナレットを改築して鐘楼にしたりしている。しかし下から見上げただけでは、それがミナレットであったとはわからないほど大聖堂にぴったりと合っている。

 近づくと分かるその巨大さ。アルカサルのすぐ横に立っているのだが、狭い広場にアルカサル、大聖堂、図書館、とひしめき合っているため、建物群に気圧される。

カテドラル正面。

 中庭をぬけて内部に入ると、外の豪華さを圧倒する金、細かい装飾が連なる豪華絢爛な空間が広がっていた。

 セビーリャの当時の繁栄ぶりがしのばれる。

豪華絢爛な主祭壇。キリストの生涯が彫られている。

 主祭壇の何十もの黄金のキリスト、礼拝堂のきらびやかな装飾は、次第に目と心をつかれさせ、そそくさと私は大聖堂に付随する小部屋へと避難した。
 宗教的、というと質素さに静かで心が落ち着き、自分自身に目が向くような空間が目に浮かぶが、これは日本の木造の寺からのイメージだろうか。    

 教会でもトゥールーズのロマネスク様式のものは内部が広く装飾は華美でなく落ち着いていて、同じように感じる。しかしまったくここは逆で、どうにもゴシック様式は肌に合わない。

 逃げてきた落ち着き先の小部屋は、参事会やその控えのための部屋で、装飾は控えめで単調なモノトーン。

 部屋は小さいのに、馬鹿でかい大聖堂よりよっぽど広く感じる。それは、内部の明るさも関係しているだろう。

 教会をあまり好きになれないのはその暗さの演出によるのかもしれない。ヨーロッパのどの教会を訪れても感じるのはその暗さと、その内部に浮かび上がる黄金の装飾やキリスト像、絵画、ステンドグラス。

 この演出は舞台を見るときに感じるトランス感を思い出させる。神々しいもの、暗やみに対する光、暗やみでうごめく人々。どうしてもこの光/闇のコントラストが苦手だ。光に暖かさを感じないからか?……

 

 外の空気が吸いたくなったので、隣接するヒラルダの塔に昇った。この塔はもともとミナレットというイスラムのモスクに付随する塔だったが、その後上部に鐘をつけるという増築を行い今の姿になったという。一番上に行くまで斜面を上がっていくのだが、四面すべてに小さい窓が開いており、休憩がてらの置いていくと景色が高くなるにつれどんどん小さくなるので面白い。30を超える角を曲がり上って、ようやく展望台につくと、天井にはいくつもの鐘。よくヨーロッパの街にいくと鐘の音が聞こえるが、この鐘たちが鳴っているのだ。
 展望台で景色を眺めていた時一回だけいきなり鐘が鳴り、心臓が止まるかと思ったので、上る際には心の準備をしていてほしい。町中に響き渡る大きさで鳴る鐘はなかなかに心臓に悪い。

 観光客でひしめき合い背景をバックに写真を撮る人々がそれぞれの列を作っている中、一人の私は外をぼうっと見ていた。

大聖堂を上から眺める。
セビーリャの街並み。

 高い建物はこの教会だけであり、あとは白い壁の家々が所狭しと立つ、圧倒的「異国」。

 これは、私の幼少期に埋め込まれた「異国」を思い出させる。スペインにいる間、ずっと感じていた少しのさみしさと恐ろしさは、幼いころの西アジアにこのアンダルシア地方が重なって生まれたものだろうか。遠くに来た、という実感は、飛行機に乗っているときよりも、こうして自分が立っている場所から自分が知っているものが何一つ見えないときに、初めて感じる。

 塔ものぼり終わり、大聖堂をあとに街中を散策する。旧市街の狭い路地と両側に広がる土産店の図はヴェネチアを彷彿とさせる。

こちらで多い鮮やかな青の陶器。

 ぐるりと街を一周して、最後に来たのは川沿いの黄金の塔。水の潤いと乾ききった土の色。日も落ちてきて、しばし川のほとりで一休みし、アルカサルへ向かうことにした。

 アルカサルにつくと、相変わらず列が。オンラインサイトを見ると、16時からのチケットが販売されており、無料開放でもなんでもなく、絶望。

 再度係の人に確認すると、ここに電話しろ、と紙切れを渡された。悔しくて絶対に入ってやる、と思い電話すると、電話越しの応対は親切で、最終的にお金が引き落とされていないことを確認し、16時からのチケットを買った。サイトでは17時までとあり、1時間で回る惜しさもあったが、入らないで後悔するより入ってする後悔、と都合よく考えて入場。結果、この度一番といっても過言ではない素晴らしい庭園に出会えた。

 アルカサルはスペイン王室の宮殿だが、世にも珍しいことに、カトリックであるのにもかかわらず、アラビア風が大のお気に入りであったカスティーリャ王が作らせたムデハル様式(カトリック建築とイスラム建築の融合した様式でスペイン、ポルトガルで発展)の宮殿となっている。アルハンブラ宮殿を意識しており、セビーリャにまだ残っていたアラビアの建築家などを動員して作られたらしい。

 入り口から入っていくと質素な広い中庭に出て、その中庭を囲むように建物が立っている。高くても二階建ての建物はレンガ造りで、入って正面にはそれぞれのなかにはたくさんの美しく作られた中庭が存在する。

 イスラム建築にかかせないのが中庭であり、私はあらゆる庭の中でイスラームの庭園が最も好きだ。その水と緑、整頓された列柱廊。
 それのみで構成される世界は、手が入っていて人工的でありながら、そのすべてが正しい位置に置かれたありさまは、何もかもが正しい通りに動く宇宙のようで、人工的でありながら自然の運行そのものであるというところに深い感動を覚える。

 これはただの中庭だが、噴水からながれ出る水が池に落ち着いていく様子は雨が降って海に流れ出る水の動きのよう。
建物内にはちょっとした展示コーナーが。
この宮殿の真ん中に位置する中庭。

あらゆるところに見えるイスラム建築。

 大急ぎで17時までに間に合わせるために巡り、最後に超巨大庭園に出る。これは宮殿の10個以上の広さがあり、とてもではないが全部は回れないので、限界までぶらぶらいきたいように行き、居座ろうとしていた。

庭園内にはクジャクが野放しに。求愛?

 ゆっくりしていたら17時を知らせる教会の鐘が聞こえ、帰るかと思ってあたりを見まわすも、係の人が来たりいる人が買える様子は見られない。 一安心してもう少しゆっくりする。大急ぎで通過した展示スペースに再度向かい、展示を見て、その後、大分沈んだ西日が強く入ってくるガラス張りの二階、廊下の隅に座りぼんやり天井を眺める。

 歩きすぎた疲れで考えることもなく、ただただ、ぼんやりと。……

 

 19時からフラメンコを予約していたので、その前に何か食べようと思い、フラメンコ近くのカフェへ。名前は「Horno El Abuelo」。 
 中は地元の小学生や家族、仕事帰りのサラリーマンと思われる3人組などがわいわいとしており、大人はお酒、子供はケーキ、といった感じで皆楽しそうに喋っていた。前の小学生がケーキを購入していたため迷うも、おいしそうだったエッグタルトを購入。スペイン語しか通じず中で食べたいと思ったがテイクアウトと間違えられ、そのままお会計することになった。
 疲れが主張に勝り、とぼとぼと夜の街を歩き、教会の近くに腰掛けていそいそと食べる。

 うまい。しかし、うますぎた。うまい。

 疲れゆえか、感動的に調和する卵部分の硬さ、甘みとパイ生地が、私を恍惚状態にする。丁度いい甘み。ヨーロッパに来てから、お菓子の絶望的な甘さに打ちのめされてきたので、これは本当に運命の出会いだった。

おなかがすきすぎて、写真を撮る前にかじった後。1.5€。


 そして今回の旅のハイライト、フラメンコへ。 今回お邪魔したのはフラメンコ美術館のフラメンコショー、学生18€。初めてのフラメンコで良し悪しもわからんしリーズナブルでいいや、と思いここにしたのだが、まさかこれがこんなに尾をひくとは。。

 ステージは写真撮影厳禁で、更に私のスマホのバッテリーは残り10%。慣れない土地でユースホステルに向かうという最後の行程が残っている私は写真を撮る暇もなく始まるまでに急いでホステルまでの行き道をメモる。おそろしいことにスマホに頼り切った私は今夜泊まるホステルの名前も知らなかった。頼りすぎ、危険。
 さて、すべてメモ帳に書ききり、あとはフラメンコショーを待つのみ。ちなみに席は早く来た人が選んで座っていくタイプで、私は30分前に行ったが、四列中真ん中と二列の8割は埋まっていた。
 いきなり血糖値が上がった故か始まる前に、隣の愉快なおじさまの歌を子守歌に少しうとうとし、頭がすっきりして起きると消灯、開幕となった。

 フラメンコショーの構成としては、

  • Cantaor2人:歌う人。若いお兄さん二人。

  • bailaor 1人/bailaora2人:踊る人。恰幅の良い男性と若い女性とミドル。

  • Toque1人:ギタリスト。渋い親父。

 まず男女3人の踊りが歌とギターとともに披露され、その後女性2人による踊り、カンタオールそれそれの歌、ギターソロ、女性それぞれの踊り、男性の踊り、最後に3人の踊り。一時間の公演だったが、細部まで手が抜かれない各人のパフォーマンスに度肝を抜かれた。

 序盤、楽しそうにカンタオールとギタリストがやってくる。お兄さん二人は手慣れた様子で声の調節、二人でささやき合いそれにたまにギターの親父が声をかける。全員が調節をしていたと思ったら急にギターの調子が変わり、お兄ちゃん二人が手拍子を始める。バイラオール、バイラオーラが入場し、始まった。
 バイラオールはシンプルな陽気な紳士っぽいいでたち。バイラオーラ2人は派手な赤、黄のザ・フラメンコのドレス。ひだが何重にも続き、回るたびにドレスが舞う。

 フラメンコの踊りは、私が予想していたものと大きく違っていた点がある。一つ目はステップ、二つ目はその踊りの表現方法だ。
 一つ目、ステップは足を鳴らしまくる感じかと思っていたが、普通に踊っているときとステップを踏んで楽器の様に打ち鳴らすときでは差異がある。つまり物語が盛り上がるときにあの独特のステップが披露される。
 二つ目は表現方法。ずっとやみくもに踊っている感じかと思っていた(失礼)が、しっかりと歌に合わせて物語がある。

 全く言語が分からず何言ってるのかわからないものの、自分でこういった物語だろうと作りだせるほどにしっかりと表現されている。その表現は足のステップだけでなく、体全体の緩急、なめらかな動きからきびきびとした激しい動きへ、そして表情。男性と絡む踊りでは、鳥の求愛行動に似ていると思ったり。二人のお互いに向き合ったり離れたり、というシーンで顔を首から動かすのが、ハトの首振りのように見えたからだ。
 若い女性のターンになった時、彼女は顔の表現が豊かで、若い女性の恋愛のように性急で感情的な表情をし、彼女の動きからは苛立ちや怒りに恋愛の切なさがにじみ出ていた。また、ショールを使った踊りではみずみずしい動きの軽さとショールの舞がマッチして、いまにも飛び立ってゆきそうであった。衣装はモノトーンのドット柄、真っ赤なもの、とかわいさが際立つ衣装だった。

ショールを使ったフラメンコ。


 一方ミドルエイジの女性は抑えた苦悩が伝わる、対照的な踊りで、恋愛の酸いも甘いも経験してきたが、その感情が時折あふれてしまう様子が見えた。感情と踊りの速さが高まっていくとしかし、その抑えていた苦悩は一変し、情熱的に一気に燃え上がる。その急変があっぱれだった。思わず彼女に恋してしまうほど…。何回か衣装を変えて水色の衣装になった際の踊りはさながらカワセミが水浴びをするような鮮やかさであった。

 また、途中挟まれる渋いギターソロも必見だった。ゴルぺと呼ばれるギターを指先でたたく音が異常に好きで、さらに親父が渋くて最高。。

 Ole ole!という掛け声はフランス語のAllezかと思って闘牛か?と思ったが、違う。「見事だ、しっかり、いいぞ」のような掛け声である。好き。日本で「オ、レー!」というような感じではなく、「オレー、オレ―」とつぶやくように言っていたのが印象的で、場の盛り上がりに欠かせないものであった。軽く、しかし強めにお兄さんたちが「Ole!」という度、踊り手やギタリストが応えるように魅せていく。ステージの場が一体になって世界が作られているのを見るのが心地よい。

 聞いていた音楽と似てるかも。ここでもOleと言われている。

 体幹がしっかりした静と動のきっちり組み合わされた動きが好きなので、今回見たフラメンコは私の好みに非常にマッチしていたのだと思う。
 フラメンコがちょっと気になる人におすすめ。

 感動のフラメンコを見て、ユースホステルに向かう。20時に外に出ると、スペインではこれからが夜ご飯の時間なので人が多い。しかしあまりにも疲れすぎていたので宿に帰ったらすぐにシャワーを浴びて寝ようと思い、帰り道を急いだ。
 ユースホステルにつくと、スペイン人の主人が出むかえてくれた。内部は白と青のタイルで中庭のように広い共用部がありその周りを囲むように部屋が配置されている。部屋に入ると二段ベットの上で女の子が荷物をまとめている。今までユースホステルに滞在して、同室者と話すのは挨拶の時と事務的なことだけで、その子から自己紹介され、ごはんに誘われた時はびっくりした。あまりにも疲れていて正直迷ったが、旅の出会い、という響きに惹かれ、共にご飯を食べに行くことにした。彼女はデリーから来たインドの女の子で今スペインに英語の教師として来ているという。もう一人のインド出身の子と今回旅行に来ていて、これから夜ご飯に行くという。シャワーだけ浴びて、一緒にインドカレーを食べに行くことになった。

インドカレー。日本と違ってナンは薄いしスパイスもまろやか。
そして日本ほど濃厚でなく食べやすい。

 インドは多言語国家なので年上の彼女は5か国語(パンジャブ語、ヒンディー語、サンスクリット語、スペイン語、英語)喋れるとな。ヒンディー語は公用語だけど授業はほぼ小学校から英語らしい。ひえ。お二人とも初対面の私にとてもよくしてくれて、人と喋るとやはり元気を貰えてうれしいなと思うこの頃。旅先の出会いは偶然の重なり合いで起きるとても素敵なこととして、これからもいろんな出会いをしていきたいと思っている。

今日の教訓:

  • なにか聞きたいことがあったら粘り強く多くの人に聞く。最初に聞いたか係の人は列でチケットを見る人で忙しく相手にする余裕がなかった。そこであきらめず違う係の人に聞くべきだった。いつもめんどくさいことを後回しにする人間なので(これを書いている今も方々に手紙を出さなければいけないのに手紙買うのを明日に延期している)、旅行先では特につっこんでいくべし。

  • 信頼できる情報源は公式サイトのみ。英語読むのをおっくうにしない。

  • ホステルの名前くらいメモる。電話番号も。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?