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どろどろのさなぎ(1)


彼女との再会


彼女と会ったのは、7年振りだった。
時間が少女に与える変化は、はかりしれない。

記憶のなかの彼女は、色素がうすく、ひかえめな佇まいで、儚く笑っていた。だが、今わたしの目の前にいるのは、上向きのまつ毛と、光の宿る瞳が自信を感じさせる、美しい女性だった。



保健室だった


彼女と顔を合わせていたのは、保健室だった。

授業の始まりを告げる鐘が鳴っても、給食の時間になっても、彼女は教室へ行くことはなかった。体調がすぐれないのではなく、こころの調子がすぐれなかった。在学期間の3年間、彼女はそのほとんどの時間を、保健室で過ごした。



こころの調子がすぐれないからといって、いつも暗い顔をしていたのかというと、そんな日は、かえって少ないくらいだった。

彼女はここの主である養護教諭の次に、保健室を熟知していた。シーツの洗濯や絆創膏なんかの補充はお手のもの。さらには体調不良の生徒の誘動や体温測定、聞きとりカードの配付など、誰に何を言われずとも、すぐに動いた。




極めつけには、怪我した生徒に付き添って慌てふためく男性教師に、


「先生、後ろの棚のガーゼを使うので、場所をあけてください。」


と指示を出したことも。彼女は、主である養護教諭の一番の助手として、保健室を守っていたのだ。



彼女のこころの内


人とのつながり方や、誰かと自分を信じることが、彼女はあまり上手ではなかった。顔は笑っていたけれど、ぴしゃりと閉ざしたこころの扉を、彼女は上手に開けることができなかったのだ。


そんな彼女に、3年間、真正面から向き合っていたのが、保健室の主だった。


人間誰しも、良い時ばかりではない。彼女も自分の気持ちがコントロールできずに、保健室の物に当たったり、ストレートに怒りをぶつけてきたり、涙を流したり、黙って出て行って戻らなかったりしたこともあった。


主は、そんな彼女に、「時に厳しく 時に優しく」なんて言葉では言い尽くせない熱量で、とにかくまっすぐに、共感したり、怒ったり、こちらも涙したりしながら、3年間、彼女に向き合い続けたのだ。


最後の1年、彼女はたまに教室に行った。気まぐれで行ったのではない。主との約束をなんとか果たそうとして、必要以上に大きな音を立てる鼓動と、冷や汗をこらえながら、彼女自身の足で階段を登った。



彼女よりは少ないが、私も多くの時間を保健室で過ごした。教室に行きたくないと駄々をこねる私を、彼女は例の儚げな笑顔で送り出した。どちらが年上なのか。彼女とたわいない話をし、ぽろぽろこぼれる愚痴にもならぬ言葉を、互いに捨いあった。


彼女の卒業式の前日、「いつもの保健室」が今日で最後になることを彼女から告げられ、私は、喜ばしいことなのに、「いつも」が音もなく無くなろうとしていることに、泣いて彼女を困らせた。


わたしの前に座るのは

そんな儚げな微笑みをたたえた少女と、目の前で、まっすぐにわたしを見つめる美しいまなざしの女性は、似ても似つかなかった。

聞けば、彼女はその後の進学先で、人前に出て行事を仕切るなどリーダーシップを発揮し、学生代表で卒業証書を授与されるほど、積極的に学生生活を送っていたらしい。そして今は、俳優を目指し、演技の稽古や勉強に大忙しであるという。

何が彼女を変えたのか。
彼女と別れてからの7年を思う。



いや、彼女を変えたのは、7年という時だけではない。彼女を変えたのは、あの保健室の、あの3年間だったのではないかと、わたしは思った。

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