リフレッシュの難しさ

オンオフの区別をしっかりしなさい、と社会人1年目のときに上司から指導を受けたが、未だに難しい。

今日はGW前半戦最終日。怒涛の4月をなんとか生き抜き、無事3連休を迎えることが出来ているものの、土・日と休んだり疲れたりのギリギリの過ごし方をしてしまい、とうとう今日の昼は布団でメソメソしてしまった。僕はどうにも、「上手に休む」ということが不得意だ。

「休日はどんなふうに過ごしていますか。」
この質問に正解が無いことはわかっているものの、いつも答えに詰まってどんよりする。
読書や家事等、ひとりの時間を満喫できるほど確たる自己も無ければ、フットサルや飲み会等、ひとと過ごすことに安らぎを覚えるほどの社交性も無い。
過去の週末に思いを馳せると、
「家族と過ごして本を読み損ねた」
「ひとと過ごして疲れた」
みたいな八つ当たり思考をみつけ、自分をちょっと嫌いになる。
きっと僕は、満足にひとりになれないものの、ひとに気を遣うのも下手くそだ。
ひとしきりジメジメ過ごした後、なんとか気持ちの凪を捕まえ、街に出かけた。

最近気付いたこととして、僕は草花が好きらしい。
元来、花束をもらうのが苦手だったから、草花は嫌いなものだと思い込んでいたが、散歩の途中で不意に立ち止まり植え込みを眺める癖があることを自覚してから、「ああ僕は花瓶の中で草花が死んでいくのが苦手なだけで、草花それ自体は嫌いでないのかもしれない」という自省をした。
野草の写真を撮ると何という植物か教えてくれるアプリを手に入れて、近頃は一層ホクホクしている。
詳しいものではないけれど、植え込みの前で立ち止まり、これはツツジ科かしら、いや違うかしらと首を捻るだけでほんのり嬉しい。

それから、行ったことの無いカフェやバーに行くのが好きかもしれない。
はじめての店ではじめての内装を眺め、メニューを前にして想像を逞しくし、出てきたものに一喜一憂したり、マスターや常連さんとの会話のなかで、一期一会の無責任さに身を委ねたりするのが幸せである。
何度も通うと、前回の自分の振る舞い、店の雰囲気との比較が生じてしまい、窮屈になる。「常連さん」に憧れはありつつも、きっと僕はそれと異なる楽しみの方が性に合うかもしれない、等とおもう。

完全な孤独への畏れから、他者とかかわらなければと焦り、自滅をする癖がある。
休日はその癖にのまれて、上手く休息を取れないことが多い。
でも、どうだろう。よくよく掘り起こしてみると、曖昧で茫漠とした外部との繋がりに安らぎを感じる、という己の性向はしっかりとそこにある。
劣等感に負けずに、いかにマイペースを貫くか。リラックスの成否は、未だ闘いのなかにある。

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