アルビアス冒険記 1
1.マイオープへの帰還
秋立つウルス・バーン地域の山野に、冒険服を身に纏い、鹿のようにしなやかな肢体を繰り、故郷への帰り道を急ぐ若者がいた。
彼の名はアルビアス。
森棲人・フォロス族の青年だ。
アルビアスは、フォロス族長である大長老の命令を受け、西方世界の事情を探る旅へ出ていた。そしてこの度主要な任務を終え、大長老へ報告のために一族の本拠地へ帰還する途中だった。
アルビアスたちフォロス族の暮らす本拠地の森は「マイオープ」と呼ばれており、カルシュニールと呼ばれる大イチョウの巨木の群からなる。
カルシュニールの木の葉は鮮やかな山吹色で、そのこんもりとした葉の集塊は、晴れた日には陽光に照らし出されて見事な黄金の輝きを見せる。
アルビアスはいま、そのマイオープの外べりにかかる野道を速足で歩いていた。
野道は、道とは呼べないほど踏み均らされていないもので、もうずいぶん草に埋もれていた。
少しの時間が経った。
ふと上を仰いで空に目を遣ると、にわかに雨雲が拡がって、天気が悪くなっていくのに気付く。
「降りそうだな…」
それでもアルビアスは雨宿りのために止まることもなく、先を急いだ。
丈の高い草どもを掻き分けるようにして道を進むと、目の前に、見慣れた木立ちがあらわれた。
そのとき小雨がぱらつき始めた。
「やっぱり降ってきたか…」
アルビアスは、疲れを覚えてきた。
「少し疲れたな…やっぱり、雨宿りをしよう」
またアルビアスは、何か食べたくなってきた。
「少し腹が空いた。何か採ってみようか…」
アルビアスは辺りを見回した。
彼は、小雨の降る木立ちの間の小径を少し歩く。
すると、傍らの木々のかげに、見慣れない一本の小さな木があるのを見かけた。
アルビアスは、その小木の幹に、小さな茸(きのこ)が生えているのに気づいた。
「キノコか。これはちょうどいい」
アルビアスは背嚢から小さな手斧を取り出して、その木に近づいていった。
彼はその小さな木を間近に見てほんのしばし、何かに驚き目を瞠ったが、すぐに気を取り直し、木に生えた石のように硬いキノコを剥ぎ取ろうと手斧の刃を幹に当てた。
「止めて!!」
不意に、背後からかん高い女性の声が浴びせかけられた。
木々の間から、栗色の髪の少女が現れた。
少女は濃緑色の麻衣を身に纏っている。
「木を伐らないで!」
その女は叫ぶように声を放つ。
「き、君は…?」
アルビアスは慌てた。
「木を伐らないで!」
彼女は再び叫ぶ。
「な…なぜ?」
「私の…大事な友達なの!」
最初の緊張が解け、落ちつきを取り戻したアルビアスは、その少女に向かって、説明を試みた。
「誤解だよ、僕はただ、木に生えた茸だけを採りた
いんだ」
だが弁解は、あまり効を奏さなかった様子だ。
アルビアスは少しの間、その女に睨まれて立ちすくんだ。
彼が視線をそらすと、女は不意に身を翻し、逃げるように森の奥へ去っていった。
2. 森の入口で
少女が消えた後も、アルビアスは毒気を抜かれたようにその場に立ちつくしていたが、やがて気を取り直して、また歩き始めた。
しばらく行くと、黄金色のカルシュニールの木の群れが見えてきた。
アルビアスの足もとから少し離れた深緑色の草むらの上を、一匹の、小さくて体の短い、鮮やかな銀色をしたタンヤル蛇が滑るように這っている。
タンヤル蛇は、マイオープにだけ棲息する無毒の蛇で、人に危害を加えない大人しい生き物だ。
それでアルビアスは、自分がマイオープに戻ってきたことをあらためて実感して安心し、ほっと息をついた。
そのとき、
「ホッホホーイ!!」
不意に遠くの上のほうから、かん高く大きな、人の呼び声が響いた。
アルビアスが前方の遠くの森の入り口を見やると、
高い木の幹を利用して作られた、小さな背の高い見張り台の上で、ひとりの青年が口に手をやって叫んでいる。
青年はアルビアスを見かけ、彼を呼んでいるのだ。
「よう、アルビアス!」
それは、見慣れた同族の仲間だった。
「やあ、スピニン!」
二人はお互いに挨拶を交わした。
「おかえり、久しぶりだな!」
「ああ、そうだね。今日の当番は君か」
アルビアスは立ち止まって、見張り当番のスピニンが急いで見張り台のはしごを降りてくるのを待った。
スピニンは地上に降りるとすぐ、アルビアスに駆け寄ってきた。そして陽気に彼の肩をたたいた。
二人は互いに両手を握りあい、再会を喜んだ。
そして少しの間立ち話をした。
話しのなかでスピニンは、ちょうど今日の晩、フォロス族の総会が開かれるとアルビアスに知らせた。
総会の場で新しい族長の選出と指名もあるという。
スピニンはアルビアスに笑いかけた。
「新族長は、やっぱり君だろうな!」
「たくましい冒険者だし、人望厚く、家柄もいい。
おまけに美男子ときたもんだ!」
アルビアスは謙遜して、どうかなぁ、と応えた。
「僕より相応しい勇者は、沢山居るさ。たとえ
ば…そう、ラダロックとかね」
そんな彼をスピニンはなおも励まし微笑みながら、
「じゃ、僕は仕事に戻るよ。もうしばらくした
ら交代が来るんだけどさ」
と挨拶して、はしごに手を掛けた。
アルビアスはスピニンに別れの挨拶をし、マイオープへ向かった。
3. フォロス総会
フォロスの今次総会が、予定どおり、この日の夜に開かれた。
通例のとおり、総会の前には簡素な宴が催される。
アルビアスの叔父・オクマスが、会場を盛り上げるためにナタ(フォロス族の弦楽器)を奏で始めた。
その音楽に彩られて、夜の宴が開かれた。
司会は一族のうちの青年ラダロックが買って出た。
ラダロックは、祭典の進行を上手く取り仕切る。
一族の男たちがジョッキを交わしてエールを飲む。
さらに会食が始まり、カルシュニールの実を焼いたパイが参加者たちに振舞われた。
男たちも女たちも食事を楽しんでいる。
給仕をしているのは子どもや若いフォロスたちだ。
オクマスの娘・ロザリットも料理を運んでいる。
アルビアスはつねに、立ち話をする者たちの輪の中心にいた。一族の者たちはみな、今日、突然帰郷したこの勇者からの旅の土産話を熱心に聴きたがった。
一方、ほろ酔いした一部の者は演奏に合わせて陽気に歌を唄い出した…
こうして緊張が解けた所で宴は終わり、本番の総会が始まった。
冒頭、族長に要請されてアルビアスが皆に旅の報告をした。
次に、一族の運営にかかる幾つかの議題に関して、成員たちによる討論と、議決案に対する承認が求められた。
司会者ラダロックの采配により、総会はつつが無く進行する。
最後の議題は、フォロスの次期族長の指名だった。
これは前任者、つまり現族長が占いで決めるならわしになっている。
そこで、年老いた現族長、「大長老」と皆から呼ばれているフォロスの老人が登壇した。
大長老は病に弱っており、そのため自ら引退して、若いフォロスに族長の地位を譲るつもりだった。
大長老は、総会のこの場で、予め行われた占いの結果を参加者たち一族の皆に通知する、と告げていた。
一族の皆は緊張して、誰が後継者になるのか、固唾をのんで発表を待った。
大長老は壇上で厳かに言った。
「次期族長は、エリサイラーとする」
これを聞いて、聴衆たちは驚きの声を上げた。
宴で給仕に参加していた少年のひとりである、当のエリサイラーも驚き畏まっている。
じきにラダロックら多数のフォロスが、口々に異議を唱えて騒ぎ出した。
「なぜ人望厚く名士の家の出のアルビアスではない
のか!」
「そうだ、多く経験を積んだアルビアスにこそ任せ
るべきだ!」
「それに、エリサイラーはまだ若すぎる…」
その時、族の年配の女性、キルカが口を挟んだ。
「いい齢をした大人どもが、みっともないね!」
彼女は騒ぐ男どもを疎むように睨みながら言い放った。
「アルビアスの事は可哀想だが、決定には従うべき
だ」
数名のフォロスが、彼女の言葉に反発し、文句を言った。
仕事を上がって参加していたスピニンも両腕を組みながら、キルカに対して不満の声を発した。
キルカは気難しい性格のため、一族の中では孤立した存在だった。
彼女はスピニンたちに何か言い返そうとしたが、それを遮るように、今度は大長老が重々しく声を上げた。
「これは公正な占いの卦による告げである!」
族長の権威ある言葉が、その場を制した。
皆が声を止め、場内は再びしんと静まり返った。
「アルビアス、長旅で疲れたろう。此処のことはよ
い。もう休みなさい」
老いた大長老を労るように気を利かせたラダロックが、アルビアスに勧める。
そこでアルビアスは皆に挨拶し、その場を辞去し、出口に向かった。
その後、族の成員たちは車座になって対話をした。その対話による協議の結果、エリサイラーの新族長就任が承認された。
さて、アルビアスが集会所の出入口から外へ出たとき、彼はすぐ戸口の脇に一人の少女の人影を認めた。
外の木立の中で小さな木を守っていたあの少女だ。
「ソリス」
アルビアスは彼女にそっと声をかけた。
「さっきから中を覗いていたのは君だったのか」
「そうよ」
ソリスと呼ばれた少女は、ぶっきらぼうに答えた。
アルビアスは表情を和らげた。
総会の前の宴のあいだ、彼は度々、外から誰かが自分を視ている気配を感じ取っていたのだが、それはこの少女ソリスの眼差しだった。
「あの時は…森の外でキノコを採ろうとした時は、君
だと判らなかった。君は化粧をしていたから…」
「私もよ、」
ソリスは言葉を返す。
「あなた、フードを被っていて、髭ぼうぼうだった
からね…。まさか、マイオープでいちばんの勇者ア
ルビアスだったとは気付かなかったわ」
そして彼女は言い足した。
「あの時はあなたのこと、平原人か、黒ミリヴォグ
の不届き者かと思ってたのよ」
「まぁ、奴等なら伐りかねないな。金のために」
アルビアスは苦笑いし、
「それで、さっきはあんなに怖い真似をしたのか」
「悪かったわ、アルビアス。とんだ失礼をしまし
た」
ソリスは謝った。
「いいよ。僕がフォロスで幸いだったな。木の精霊
は、もちろん木を伐ったりはしない」
「そうね」
「それにしても、2年前、あんなに生意気だった小娘
が、こうも美しく化けるとは思わなかった。大人
になったな、ソリス」
「なによ、馬鹿」
ソリスは顔を赤らめた。
「アンタが仕事で旅に出てた間、私だって遊んでい
た訳じゃないのよ」
話そこそこに、二人は別れた。
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