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小説『原宿ワンダートリップ』(3/5)

その後、授業と実習で忙しくて、僕はしばらく真奈美とプライベートでは会えなかった。だが今日、久しぶりに二人だけの時間を作れた。僕は彼女を、自宅に招く了解も取りつけることに成功していた。

まず僕らは、原宿駅の、山手線で二つ隣の新宿駅で待ち合わせをし、そこから小田急線に乗って二駅目の参宮橋駅で降りる。駅から少し歩き、真奈美が見たがっていたオリンピック記念青少年総合センターを外から、少しだけ見る。

このセンターは、あの代々木公園の西側に接して建てられていた。ここも緑が多い。なぜ、この辺りはこうも緑が多いのだろう…。真奈美は、僕と久しぶりに散歩できて嬉しそうだ。真奈美と一緒に歩いていると、いつも心が和む。

それから駅に戻って、ひと駅先の代々木八幡駅で電車を降りる。ここは一年前に、すぐそばの原宿の生家から独立した僕の住むアパートの最寄り駅だ。僕たちはすぐにはアパートには行かない。先に、僕は駅のすぐそばにある、小さく地味なカラオケ店に真奈美を連れて行く。一時間だけ、二人で歌いに。

「すてきな店ですね。小さいけど」
「ああ、新宿で歌うよりもこっちの方がいいと思ったんだ。新宿は都会すぎるからね」
僕はマイクを取った。
「それにこの店、リラックスできるでしょ?」
「はい、落ち着けます」

真奈美はドリンクを飲む。僕は真奈美に流行りのJポップを数曲歌う。わりとストレートな恋歌を。真奈美は黙って聴き入っている。

「真奈美も何か歌ってみて」
真奈美は一曲だけ歌った。
その歌は、「アルプスの少女ハイジ」

僕はその選曲にちょっと驚いた。しまった、ちょっとモーションかけすぎたかな? 真奈美、引いちゃっているのかも。でも彼女の表情は普通だ。緊張してるだけなのだろうか。

それにしても…彼女の声は清らかで、透き通るようだった。何か神聖ささえ感じる。不思議だ。真奈美の別な一面を初めて見たような気がする。

そして僕は真奈美を自宅の部屋に通した。彼女は大人しく座る。僕は真奈美のリップにちらっと目をやる。薄いピンク色のルージュだった。思いを抑えて、僕は彼女のためにパスタを作りにかかった。調理に専念。

「真奈美、もうすぐできるよ」僕は陽気に言った。
「あの、先輩…」
「ん、なぁに?」
「相談していただきたい事があるんです」
「うん? どうしたの?」
「お金、貸していただけないでしょうか」

僕の手から、皿が落ちた。

真奈美のその言葉にショックを受け、僕は一瞬声が出せなかった。思わず真奈美に近づく。落とした皿のことなど構わない。

「どうしたの、一体?」
僕は驚いて問いかける。

「すみません、あの、知り合いの人が、お金が要るっていうので…先輩なら、と思って」
「いくら要るの?」
「10万円です」
「10万! ちょっと待ってよ、それって大金だよ⁉︎ 知り合いって一体誰?」
「はい、天野さんという方で、先輩と同じくらいの年の方です」
「男の人?」
「…はい」
「そう…男がいたのか、君は」
「そんなんじゃありません!」
真奈美は声をはり上げる。

「私、浮気なんかしてません」
「じゃあ、なんでお金の無心なんかするの? 他人のために、わざわざ」
「天野さんとは教会で知り合っただけです。教会の主宰者なんです」
「教会って、その人、もしかして宗教の人?」
「はい。私、宗教団体に入ってるんです。『明誠けやき新教会』っていうところに。代々木に教修場があるんです」
「…はぁ」僕は放心した。

常に時代の最先端を行くファッションが並ぶポップな若者の街、原宿。そんな華やかなイメージとは別に、原宿は知る人ぞ知る、もうひとつの別の面を持っている。それは原宿が「宗教の街」であるということだ。

原宿やそれに接する代々木の一帯には、神道系、仏教系、キリスト教系の既成宗教や新興宗教の社寺や教会、修道場、講義所、分教会、支部などの施設が集まっていて数十ほど見られる。言わば原宿は、ひとつの「宗教都市」とさえ言えるかもしれない。

真奈美の話によると、「明誠けやき新教会」は、見かけ的にキリスト教風の新興宗教団体で、真奈美はそれを運営する天野を支えるために、まとまった額の現金を必要としていた。僕がまだ貸すとは言わなかったので、真奈美はそれ以上詳しいことは言わなかった。

原宿のすぐそばの代々木の教会に数年前から通っていた真奈美は、原宿を実によく知っていた。彼女はそのことを今まで僕に隠しながら、僕に原宿案内役をさせるデートに付き合っていたのだ。彼女の秘密に、僕はついに頭に来てしまい、互いに口論になった。

ついにはこのセリフ。
「とにかく僕と、その宗教と、どっちが大事なの?」
「もういいです!」
真奈美は怒って出て行ってしまった。


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