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人生の大決断その2・無い内定でローン組んで芸能事務所の養成所に所属

大学4年の秋なのに就活が終わってない。とりあえずやらなければならない卒論に逃げた。

就活は出版社を中心にやった。ありきたりだけれど本が好きで、書くことも好きだったから出版社。書店でアルバイトしていたこともあって、宣伝の仕事につきたかった。でも私がやりたいのは宣伝だけ。大体の出版社は総合職採用だ。最初はほぼ営業に配属される。営業ができる自信は無かった。編集者になりたいわけでもない。宣伝だって興味があるだけで、書店でたまにPOPを作っていたくらいだ。多分私は出版社に向いていないだろう。そんなことを考えながら就活していたら、あっという間に持ち駒がなくなってしまった。見透かされていたんだろうなぁ。

もうどうにでもなれと思った。アルバイトでもいいやと思った。どうせ何も決まらないなら、せめて好きなことをしてやりたい。そう思って、歌手のオーディションを受けた。


履歴書を仕上げてオーディションに向かう。オーディションの内容は好きな曲の1コーラス分の歌唱(レコーディング)と面接。レベッカのフレンズを歌った。初めてのレコーディング。何もかもが新鮮。
面接ではレコーディングのフィードバックと、志望動機とかを聞かれた。自分の歌に対して、良い点や改善点を説明してくれる。久々に自分のことを認めてもらえた気がした。いつも就活でお祈りされる日々。人格否定されたように感じる毎日。純粋に、嬉しかった。

結果は落選。元々のネームバリューがあったり、抜群に歌唱力が良かったりしないと難しいみたいだ。でも、レッスン料等を払えば事務所に仮所属ができると説明された。レッスンを受けながら案件に応募して活動している人もいる。今だったら新人向けの案件があるから、今回のレコーディングでその案件に応募できると説明された。

その時、「あ、私騙されてるかも」と思った。でも就活もうまく行ってないし、他に選択肢もない。騙されるなら、盛大に騙されに行ってやる、と思った。案件を受けたいとその場で伝えた。


仮所属になってレッスン料を支払っていくなら、アルバイトじゃなくて正社員になった方がいいとアドバイスされた。収入を安定させるためだ。
だから就活を再開した。今度はやりたいことじゃなくて、条件で選んだ。
営業は無理そうだから無し。でも一人暮らしをしながらレッスン料も払うので事務職も無し。未経験でもできるプログラマー職に絞った。
プログラマーと言ってもシステム開発会社は山ほどある。給与や休日などでどんどん絞った。
大学4年の2月、ようやく就職先が決まった。

就職してからは、いや、就職してからも鬱気味なのは続いた。同期はみんな未経験入社だったけれど、その中でも大学で少しだけプログラミングを齧ったとか、要領のいい子が多くて圧倒的に劣等生。周りと比べたって仕方ない。そうはわかっているのに比較するのをやめられない。どんどん鬱になっていって、病院にお世話になり出した。

鬱がひどくて、というのは言い訳になってしまうが、事務所ではまともに活動できなかった。4年間所属していたのにライブも1回しか参加できなかったし、オリジナル曲も1曲しか出せなかった。でも事務所に依存していて辞められない。仕事では私のことを認めてくれる人はいないけれど、レッスンに参加すれば私の歌を褒めてくれる。いいところを見つけてくれる。それが心の安定剤になってしまって、4年もいる必要なかったと思うのに辞められなかった。私は居場所をお金で買っていたのだ。宗教にハマる人の気持ちが、少しわかった気がした。


満4年で事務所をやめた。歌手活動の実績は元々ほとんどなかったのに、辞めたことによって綺麗に精算された。オリジナル曲もなかったことになった。残ったのはこの名前だけだ。その名前も漢字を変えてしまったけど。

「鞍馬欄子」
この名前は読み方を変えると「アンバランス」になる。不安定さや脆さを表現したいと思ってつけた名前だ。多分私はしばらくこの名前で活動していく。何もかもうまくいかないことだらけ。残ったのはレッスン料のローンだけ。それでも私には必要な経験だった。プログラマーという仕事にも出会えた。だからめげずにこれからも文章でこの不安定さを伝えていくことになると思う。私の人生を無駄にしないために。



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