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桜木花道によろしく最終話

 応援が、どこか遠かった。
 ときおり周りの動作に合わせて単発の拍手を送り、右掌の指の腹同士を擦り合わせつつ、右に左に目まぐるしく攻守を交代していく十人を、ぼんやりと眺めていた。心に巣食っている感情は平穏なのか、悔しさなのか怒りか、まだ尽きてはいないのかもしれない勝利への執念なのだろうか。いくら考えてみても散漫で具体的にかたちを象れず、雲をつかむような気分のせいでいまいち判然としない。
 二枚あるコートの間には他校のバスケ部員たちが座って観戦していたり、隣の試合の大声や審判の笛の音や激しい応援合戦が入り混じっていて、公式戦は独特の熱気を帯びている。
 タオルで目もとを拭くと、まだ赤い汁がついてくる。
 菊川高校なんかかろうじて4番が印象に残っているくらいで、他は戦った記憶もおぼろげなくらい顔に見覚えがない。能力的に、似たり寄ったりの選手ばかり。特別な警戒が必要なスキルを持った選手はいなかったし、そしていなかった。けれども後半に入っても5、6点を常に先行されていて、なかなかペースをつかめなかった。
 33点中、9点決めた。エンドからの球をカットし、焦りに乗じて奪ったバスケットカウントを含めて、自分なりにかなり多めな得点数だった。フリースローなんか外さない。練習試合でも公式戦であろうとも、序盤であってもたとえ1点を争う緊迫した勝負所であろうとも、確実にリングをくぐらせる。
 楠とは違う。真似をするな。
 雰囲気たっぷりにフリースローラインに両脚をそろえて、思わせぶりにバックスピンをかけたボールを前方に投げ出すそのルーティンは、今は俺の物だ。その一連の動作は俺のと被っているんだ。最後に二回ドリブル。真似をするな。
 リングの手前に、硬く弾かれた。真上に跳ねた。
 落下に備え、ペイントエリア内の選手たちが総じて色めき立ったのに強烈にかかった回転が、皮肉にも、未練たらしく、まだゴールしたがって鉄の円周上を細かく踊り、輪っかにしつこくまとわりつき、やがて球体がリングの上の一点で動きを止め、静止した。
 頭上から、力なく、滴り落ちる。
 リバウンド勝負にもつれこんだ。
「ヤク―、大丈夫かー?」
 ベンチの左端から訊かれた。
 返事をするのも煩わしく、喉だけ震わせて、答えた。
 案の定、本木のミドルシュートは湿ったままだし、奇しくも絶好調のせいで沁みついてしまったそのワンパターンの空振りが影響してしまい、本来武器としていたランニングプレイも鳴りを潜めてしまっている。元々自制が効かないスタイルが取り柄だったのに、ここまで異常に行儀がいい。
 ボール自体の動きもいつも滞りがちで、回りがすこぶる悪い。誰かが持ち、一対一、もしくは困った挙句に、他に渡す。任せる。くりかえす。原因は把握している。両者が本気で勝ちをもぎ取りにいく本番では、そのチームに内在している、していた、そして個々が抱え込んでいた、種々様々な本質が余すところなく炙り出されてしまうのだと思う。
 第4Q。
 もうすぐ、点差が二桁に乗る。肌で感じる勢いや得点仕方の質からすると、数字以上の隔たりを感じる。クォーター間の二分と決められたインターバルに具体的な方針も出ず、誰からも喝は入らず、一様にして五人が無言のままベンチで時を過ごし、俺は離れたところで黙ったまま再開を待っていた。
 左の曖昧な角度から、スリーポイントが決まった。沸いた、突発的に盛り上がったベンチの雰囲気も、さして長続きはしない。
 反撃の火蓋にならない。味方の鼓舞にもつながらない。
 だから空々しいんだよ、おまえのロングシュートは。独りよがりだから。単なる、安易な攻めの一種でしかないから。外側でウロウロ歩いているだけで、苦労もせずに手柄だけ横取りしようと悪賢く企んでいるみたいでさ。大体プライドを持ちすぎなんだよ、長いヤツに。
 彼は履き違えている。真のスリーポイントシューターという存在は、スコアにただ3点を積み上げていくだけではないのだ。チームを一層流れに乗せる、あるいは嫌な展開を切れ味鋭く断ち切ってしまう、不発弾のように波に乗れない煮え切らなさや、垂れ込めている、今にも頭をもたげだそうとしている、そういう不穏な空気をたった一発で一掃させられる者のことを、敬意をこめてそう呼ぶのだ。
 唐突に声が飛んだ。それに反応して岩沼が急いで立ち上がり、まだ肌寒い季節なのにも関わらず、ウォーミングアップもなくジャージを慌ただしく脱ぎはじめた。頑張って。スリースリー。周囲が送り出す。それでも俺は、激励の言葉はかけない。冷酷だと思われようとも、ここで口を開いてしまえば、とんでもない偽善者になり下がってしまう気がするから。でも、これも保身の亜種か。友達として誠実に付き合いたいのに、どちらの道を選んでも誠実からは程遠く感じる。でも謝罪はしない。それが自分にできる、最大級の贖罪だ。
 岩沼がコートへ走り出ていく。代わりに帰ってくる宅間と途中で落ち合い、右の掌を合わせると、耳元で後輩が何かを叫んだ。確かにセンターを一枚欠いても向こうにも高さがないので、影響は少ない。念のため初辺だけを残しておけば、ゴール下で我が物顔される心配はないはずだ。欲を言うと本来なら芦田との交代が望ましいし、相手の弱点をつくならインサイドを中心に崩していくのが常套手段だと思うけれど、意見具申するつもりにもならない。それに打開策からの一手ではない。
 俺たちの代にとって最後の大会。そしてこの試合のこの展開だと、この時間帯あたりから、戦況にもよるけど出場は三年生が最優先されはじめる。次々と普段出番がない選手たちが、公式戦へと投入されていく。
 まだこれから一年ある下級生たちは、応援しながら趨勢を見守るだけとなる。息荒く、汗まみれで戻ってきた悲壮な面持ちから目を背けた。
 そういえば、あれから岩沼と会話自体ほとんど交わしていない。
「目、まだ痛い?」
 顧問の横に座っていつもベンチワークに徹している加納が、横まで来て俺に尋ねた。
 試合に出たかっただろうに、タイムアウトとか選手の交代とかを考える役割を担い、自ら裏方にまわった男だ。センターに彼ではなく宅間を選んだのは、技術や身体能力以前に、同級生よりも俺が優位に立ちたかったからだろう。だから彼もれっきとした、俺の被害者だ。視界の先で、みんなが2ー3で守っている。楠が右の後ろに下がっているから、今度は岩沼が前衛の右で構えている。宅間のポジションには富士見がつき、ひとりきりのセンター以外は全員が三年生になった。守備位置の兼ね合いも考えずに出場という思い出の既成事実を創っていくので、その都度場当たり的にポジションを入れ替えなければならなくなり、常にバランスが悪い。だから、当然劣勢を加速させる。点差が開く。おまえも早く出ろよ。自然にこの一言すらもかけられない俺は、やはり上に立つ資格はない。
 けれど純粋な容態確認ではないことがわからないほど、鈍くもない。
 観ていてもしも調子が悪そうに映ったなら、ベンチ判断でいつでも引っ込めてくれてかまわないと、とうとう言えず仕舞いだった。とはいっても、そんな懐が深そうな譲歩を実は用意していたつもりでいるのに、容易には交代させられない空気を作り出していたのは自分自身なのかもしれない。思考の全部が、いざという時の予防線を張っているような気がしてしまい、そんな逃げ道を無意識にひねり出す自分に厭気が差した。
 言えず仕舞いだった?
 勝負を投げ、ひとりきり悔悟に浸っている自分を嗤った。
 視線も合わせられず、生返事で観戦にもどった。
 マイボールになり、左に、大きく首をかしげた。背もたれに身体を預けて思いっきり反り返り、目を細めて、わざとらしく前のめりになって肘を膝につき加納の影を避けつつ、展開を追った。集中しているふりをした。逆転を信じて応援している素振りをし、出られない自分の悔しさをチームメイトの託そうとしているみたいな、あさましい、そういう真似をしつづけた。チグハグな攻めを無関心で眺めた。
 バウンズパスの基本として、パサーとレシーバーとの距離を三等分し、三分の二の点をめがけて出すと良い、と言われている。けれど速攻の際にはもう少し手前を狙わなければ、自身がそれなりのスピードに乗っているので、どうもバウンドが低くなりすぎてしまうきらいがある。
 膝下の高さに加えてあの速さでは、誰であってもキャッチするのは厳しかったかもしれない。通れば2点の場面だったから、あそこは大事に出さなければならなかった。決定機でのミスを思い出す、楠の苦い面持ちが脳裡に蘇る。大方つまらないターンオーバーをまた犯した俺のプレイの粗さに呆れていたのだろうし、つくづく進歩のない野郎だとでも思って愛想を尽かしたのだろう。世界が浮き上がっていく、地上の構成物からひとりきり置き去りにされていくアンクルブレイク、マッチアップした相手にそういう屈辱を味あわせてやることはとうとう叶わなかった。多分、俺には過ぎた技術だったのだろう。いらない思考ばかりが頭の中を渦巻きつづける、反省や総括ばかりが頭に浮かぶ。
 諦めたみたいに定位置にもどっていく猫背姿が、瞼の左端にちらついた。
 そんな立場にいるのに、自分から「交代、オレ。」はさぞかし切り出しにくいだろう。でも無理だ。何も動かない。猛烈な量の考えとか気持ちがとめどなく溢れてくるのに、そのどれとも行動が結びつく気がしない。
 前衛も束の間、岩沼が後ろへ下がった。コートに必要なのは俺。遠回しに匂わされなくても、重々承知している。
 そして、今日、自分の調子が良くないのは試合がはじまってまもなく、身を持って思い知らされた。そこそこ点は獲ったものの今ひとつ波に乗れていないように感じ、自分が膜に覆われているような不自由な感覚にとらわれていた。それでもボールの接手として、今のチームに俺が必要なのは痛いほど理解していた。
 けれど再びコートにもどったからといって、残り時間で逆転できるとも限らない。一進一退の善戦を演じながらも、もし挽回できずに負けてしまったなら、チームメイトのほとんどが公式戦に満足に出場できないまま、現役生活を終えることとなる。
 出るのならば、勝つことが至上命題。
 それでも今の俺の状態では、そんな確約できそうもない。そもそも俺が今のコート上に必要な理由は俺が圧倒的なプレイヤーだからではなく、的確な指示を出しチームを引き締めて各々の問題点を修正させる強いリーダーシップを持っているからでもなく、そういう硬直した、簡単には代替が効かない、酷く不器用なチームに造りあげてしまったからだった、この俺が。
 その張本人が戦いを一早く放棄して身体を休めている、冗談に近い状況だった。
 とりあえずこのまま大人しくベンチに座っていれば、最後の敗戦から、一回戦負けという屈辱から、以前楽勝で退けた相手から果たされる雪辱から、さらには自分の高校バスケを全否定されるような惨劇から、まんまと逃げおおすことができる。辛酸を舐めないで済む。
 なぜなら、俺は途中から芦田と交代しているから。
 後半が始まって早々、相手の指が瞼の中に滑り込んだせいで負傷退場したから。
 出場している間は互角の戦いだった。駄目は駄目なりにも、俺個人は通用していた。だから俺自身が負けたわけではないと、胸を張って言い訳できる。でもそれっていいのか? 身勝手に虚栄心に取り憑かれて、レギュラーの座にあさましいほどしがみついて、鬱々と溜め込んだ劣等感からみんなを振りまわした。本来なら、だからこそ、敗北の責任は俺が全部引き受けなければならないのではないのか、いますぐ試合にもどって全力を尽くさなければならないのではないのか。俺以外の全員が自分は関係のない試合だしと、大して落ち込みもせずに何食わぬ顔で帰途に就くことができるように、惨めな初戦敗退を一切引きずらず残りの高校生活を謳歌できるように、俺が最善を尽くさなければならないのではないだろうか。一年におよんだ卑屈なチーム作りの結末を一身に受け止め、泥にまみれる必要が俺にはあるのではないだろうか。
 けれども、バスケに打ち込む高校最後の時間を奪っても赦されるのか。
 そんな権利を持っているのか。
 冷静に考えると俺が居ないほうが、楠は自由に動けるのではないのか。仲違いをつづける片方がいないので、他のみんなも気兼ねなくバスケに熱中できるのではないのか、俺という束縛から解き放たれて、共有であるはずのボールを故意に滞らせる者がいない、全開まで開かれた可能性によって、思いっきりプレイに没頭できるのではないのか。
 この考えもある種の独りよがりではないのか、都合の良い現実逃避ではないのか。自己肯定したいがための、単なる詭弁ではないのか。
 復讐が成就するとでも、心の片隅でほくそ笑んでいるのだろうか。例のごとく、お仲間は来てない。ルパンも不二子ちゃんも、近頃熱心にポストプレイを教えていた名前も知らないデカいだけの雑魚も、この場所には居ない。三年最後の大会なのにも関わらず、会場にも顔を出さない連中を誘い入れた罪は確実に重いはずだ。だから楠には身を持って償ってもらいたいし、部内を搔き乱した原因の一端としてもっともっと猛省してもらいたいし、あいつには絶対にその義務があるはずなのだから、あの野郎が全責任を負えばいいのだと、俺は心のどこかで考えているみたいだ。
 ベンチで座っていた。
 今と、前の大会との違いは、俺か、楠、それ以外にはない。
 てめえが率いて勝ってみせろよ。
 醜い、これが本心か。
 四本の指の先に、親指を滑らせる。状態を確かめ、妙にサラつく皮膚の感触を味わう。普段、人差し指と中指が真っ先に悲鳴をあげはじめる。現に、軽い衝撃で割れてきそうな、あやうい筋が入りだしている。左掌のほうが比較的、指紋は無事だ。ならばなおさら利き手以外の技術を磨けばよかったのか、鍛えなければならなかったのではないのか。でも左を酷使したら今度はこちら側も同じ症状に悩まされはじめるだろうとも、簡単に予想できる。少し安心する。こんな状況なのに、やっと重い荷物を降ろせるようで気持ちが楽になる。引退できれば、毎日手荒れに気を遣わなくても済むようになるから。これからは絆創膏を貼る頻度が減るだろうし、症状も軽くなるかもしれない。
 もうバスケをやらなくて済む。
 放課後、体育館に行かなくてもよくなる。
 俺のフォールは三つ。得点は重ねたといってもつまらないファールを犯したし、何度も速攻の芽を潰したのは他でもない、俺のパスだった。思慮の浅い雑なシュートで、確実に加点しなければならない局面を何度も棒に振った。右にしかドライブできないのが読まれてしまい、気配と同時にコースにスライドしてきた4番を肩で思いっきり吹っ飛ばしてチャージングを取られた。守備でもドリブルであっさりと抜かれ、良くない失点のキッカケをつくった。偉そうに考えておきながら、本木の尻拭いなどできるわけもなかった。そんなの、ただの驕りでしかなかったし、むしろ練習試合の時と同じようにボールをまわし後は脚を止めて眺め、活躍を強要し、外せばあからさまに失望の表情を浮かべた。前半が互角だったなんて、都合の良い絵空事だ。苦戦の原因、理由、このゲームを根本から壊したのは、やはり俺しかいない。
 怪我を歓迎している。爪で引っ掻かれた傷の血はとっくに止まっているのに重症ぶって深刻な表情を絶やさないように努め、責任を負傷に転嫁し、敵前逃亡を誤魔化し正当化して、わずらわしい事象すべてから逃げ切ろうと目論んでいる。
 俺は悪者になりきれないし善人でもない、嫌われ者に徹しきることもできない、卑怯な生き物だ。強者ぶりたかっただけの臆病者だ。
「おいトモヒロ逃げんな! 勝負勝負!」仰け反ってパイプ椅子を軋ませ、頭を抱えた。「だークッソ! 腹立つ! ねえヤクさん怪我へいきぃ?」
 彼の強気が羨ましい。
 右側からなびかせてくる長い茶髪に、素直にそう思う。
「問題ない。ありがと。」
 でも彼が求めている答えは、きっとこれじゃないだろう。
 後輩に、何かを伝えられたのか。年下に対しても中学の実績だけで全部を推し測り、「今」を評価しようとしなかったので、一握りの仲間内だけで部活を愉しんでいたというそしりを受けても申し開きできない、実際にそうだったのだから。こちらから声をかけてあげて、気さくに輪に取り込んでいくような社交性も柔軟さも俺にはなかった。残念ながら、彼らの大切な一年も台無しにしてしまった。どうやって謝れば赦されるのかもわからない、詫び方も知らない、情けない先輩だ。
 俺はどうしたらいいのかわからない。自分の本心がわからない。今、どうやって行動したらいいのか、どうやって立ち振る舞えば正しいのか、全然わからない。ベンチで座っていた。ベンチに座っている。ベンチに座っていた。チームが勝つところを、自分自身がコートの上にいない勝利を、一部始終見守っていた。当然だと思っていた。自分自身はどこの学校へ行こうとも通用するし、必要とされるし、部内での居場所は向こうから用意してくれるものだと高を括っていた。でも、俺が居なかった。戦っている選手の中に俺の姿を探してもどこにも見つからず、俺が居た時とはまったく違うバスケで、ほとんど3Pには頼らないで、相手をねじ伏せていた。点差と残り時間から逆算し、控えのメンバーも何人か出場できていた。
 さらに強くなれる、そう確信した。
 そして、あれから戻ってきて、程なくスタメンに復帰して久しぶりにプレイしてみると、どの場面も必ず選ばれるべき攻撃のバリエーションのはずだったのにパスを回してもらえず、それどころかこれぽっちも眼中になかった格下の選手にコート上から締め出されてしまって、だからといって簡単には譲れない意地もあったわけだし決定的に欠落している要素であることは何があっても揺るがない自信を持っていたし、今でもその気持ちを反故にするつもりはないしむしろ両極でしか行動できなくて微調整が効かない不器用さを罵ってやりたいほどの憤りがあるくらいで、一回戦は偶然にもあの時と同じ高校で、あの時とレギュラーの変動はないみたいでまったく同じ五人と戦っているのに、ボールの動きがどうしようもなく滞っていて、全員の動きが全然意味をつくれずにいて、それに3Pが当たらない。ディフェンスをフェイクで飛ばしたいのに、引っ掛けた先のスペースが潰されている。初辺を見る。本木を狙う。逆サイドで、スリーポイントラインの外に張っている岩沼を考える。全員がポジションで脚を止め、俺を観ている。ベンチに座っている。ベンチで座っていた。
 ベンチに座っている。
 トップの、本木にふった。彼もこれまでの不調のせいか身体のキレが鈍くなっていて、普段のように一対一で勝負にいけていない。誰でもいい、点を取って欲しい。
 攻め方を一通り迷った挙句、その場から撃った。
「おい楠ぃ! バスケは独りでやるもんじゃねえぞぉ。」当時だから、反感しか湧かなかった。とっくに理解しているつもりだったし、盛り立てている自負はあったし、できていると思っていた。宙に描かれる軌道を見上げて祈り、こんな時にかぎって異常なほど正確にゴールを通り抜け、しかし、リングにネットがからみついても喜べない。2P、点差が大きい。今の一発で一桁に押し返したけれど、こんなことで一喜一憂していられない。本木を見た。すかさず前にダッシュし、最前線から当たっていく。ファール覚悟で接触し、ボールをはたき落とそうと掌を振り下ろす。勝つなら、諦めないなら、どうする? プレスで来たの、うまいことかわしたんだろ。いい感じで勝ったんだろ。人伝てに耳に入ってきていたチーム事情が嬉しかったのに、何を訊いても返事は単発でしか返ってこなくて、付き合いが長いから頑固なところは織り込み済みだったのに、会話にすらならなかった。まともにこちらを見ようともせず、醒めた顔をして校庭ばかりを眺めていた。部室で考えを伝えた時もそうだった。悩み抜いた末の切実な告白のつもりだったのに、彼だけは無表情で口を開かないまま、最後まで意見を聞かせてくれなかった。
 いい身分だよな。
 大会での勝利を聞いた後、他から知らされた。途端にすさまじい量の血が頭に昇ってしまって、気がつくと呼び出していた。けれど戻ってプレイしたいと思ったし、会うまでの間に冷静になれたから、適当でも、簡単な一言でもかまわないから、謝ってくれさえすれば水に流すつもりでいた。それなのにずっと虚ろな眼をし、満足に相槌もしてくれないで、俺の姿が視界に映っていないみたいにぼんやりと違うどこかを見つめていた。追った。決めたかった。良い波に乗せたかった。ディフェンスは一枚しか戻ってきてなかったし、完全に遅れていたから、後は左からレイアップで流し込むだけだった。でもあのパスは低すぎて、前すぎて速すぎて、さすがに追いつくことはできなかった。必死で腕を伸ばしたけれど、かろうじて指先にかすらせるのがやっとだった。薬内の、酷く蔑んだ表情が視界に張りついてずっと消えない。ベンチに座っている。ベンチで座っていた。
 ベンチで座っていた。
 ベンチに座っている。
 勝ちたい、負けたくない。誰にだ、何にだ。
 後、残り四分しかない。
 
 了     

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