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桜木花道によろしく②

 高校に入学してまたバスケ部を選んだのは、単純にこのスポーツが好きだったからなのかははっきりしない。身長は伸びた。でも、伸びたといっても一八〇センチに満たないくらいで高校バスケからすればさして長身というわけではなかったが、上級生の部員は多くなく、学校の方針で春先の大会を最後に三年は引退するし上背がある先輩も少なくて、幸い同級生の中にも背の高い経験者はいなかったので一年からユニフォームをもらえた。
 ベンチから、楠を応援していた。
 練習試合であれば時間が余った場合にときおり行われる補欠同士のゲームに出場できたけど、公式戦ならボロ勝ちか、その逆の時以外には数分であっても途中出場なんかさせてもらえないのはわかっていたから、実は気楽な、チームが勝っても本当に嬉しいのかもいまいちさだかではない、仲間意識からの情熱的な声援だった。
 高校になるとこれまでとはボールの形状がひとまわり大きくなり、重さも増す。この年代から、大人の規格で競技を行うようになる。
 それでもリングの内径は同じままなので、誰もが昔よりもシュート成功率は落とすことになり、そして眠っていた才能の覚醒なのか知らないが、まれにだけれど、中学時代に無名だった人物が急に頭角を現す可能性もなくはない。他の競技よりも縦のサイズが要求されるスポーツなので、成長期である中高生付近での地殻変動は大いにありうる話だ。とは言っても、高校に入ってすでに一年も経過するのに自分の飛躍的な成長が実感できないでいて、このままでは並の選手で終わりそうな焦りが募りつつあった。
 目と鼻の先に、自分たちの代が迫っているのにも関わらず。
 右零度のゴールそばからワンフェイクでディフェンスを横っ飛びさせて外すと、再び構えなおしてミドルを放った。冷静で、乱れなく、厭になる。空中で、胸を張るように反り返って前への惰性を止めようとする相手と、重なった。最初のフェイクに引っ掛かった選手に続いてブロックショットに跳んだヘルプが結局堪え切れず、ボールが指先を離れた直後に勢い余ってぶつかった。浮いている時に体当たりされて後ろにたたらを踏んだ楠は腰を沈ませながら上半身をかたむけていって、押し飛ばされた衝撃に逆らう様子もなく、ゆっくりとそのまま背中をつけていく。片膝をついた選手が謝る。掌を挙げて無事を伝える。その接触でプレイは途切れ、けれどもいち早く軌道に入ったボールはどこ吹く風とばかりに柔らかく飛んでいき、ここからは、逆サイドで離れているベンチからはオレンジの短い線くらいにしか見えないリングに向かって落ちていって、魔法のようにすり抜けていく。優しく、ネットが包み込んだ。
 プッシング。カウントワンスロー。
 沸いた。騒いだ。
 全開になった、ゴールの右横のほうにある鉄の扉付近で観戦していた他校の女子生徒が小躍りした。制服の胸の前で拍手しながら、横の友達と喜び合う。跳ねる。仰向けに倒れた楠が、寝転がったまま真ん中で分けた髪の毛を調える。
「んだ、あの女ども。」
「おおマジか、ファンついとるやん。」
 隣の本木と舌打ちした。ムカつくなあの野郎。ミスれ。引っ込め。冗談を囁き合う。
「あいつ、ボディバランスすげえな。」
 先輩の誰かがつぶやいた。
 冷静なその一言に、我に返る。そんなこと今更言われなくても、知っている。
 すぐに起きあがらないところが、絵になる。余裕を感じる。バスケットボールプレイヤーとしてのスケールの大きさを目の当たりにしてしまい、妙に嫌な気分に襲われる。それなのになぜだか悔しさが湧いてこないのは、同じチームだからなのか、それとも知らないうちに、選手として敗北を受け入れているからなのだろうか。
 野太い歓声が響き、お祭り騒ぎが巻き起こった。反対のコートでは、毎年県大会の上位に喰い込んでいる東河田エリアでは敵なしの南城大付属高校がやりたい放題で相手校を蹂躙していた。
 爽快な黄色のユニフォームが猿のように跋扈し、コート上を塗り潰していく。オールコートプレスでエンドラインからの球出しに、無慈悲なくらいのプレッシャーをかけていく。
 腹から発せられる声色で、逐一変わる状況を伝達し合う。小刻みに振動する。
 2ー2ー1の配置で陣形を組み、最前線のふたりがパスの出しどころを潰しにかかる。五秒以内にボールをコート内に入れなければ、オーバータイムのバイオレーションで相手ボールになってしまう。パスを受けた選手に自由を与えない。バックコートの、四つ角の一つで振り返ることもさせてもらえない。元より展開が難しいポジションであり、そこだからこそパスを出させてあげたともいえる。
 そんなかりそめの優しさを見せつけておいて、瞬時にドリブルもパスも、次の預けどころも探せないほどに圧力をかける。一瞬の視線の澱みを見逃さず、二線で張っていた選手が一気に距離を詰め、ダブルチームで挟み込む。中立のはずのラインまでもが、守備の一翼を担う。ピボットを踏むための軸足にバッシュの土踏まずを合わせ、状況を一発逆転するような足さばきをできなくさせて、ハンズアップした両腕をせわしなく動かしてすべてのパスコースを遮断する。ボールを保持した時点で、ここでも五秒以内にパスなりドリブルといった次のアクションを起こさなければバイオレーション、相手ボールに変わる。
 焦って出したパスを二線目の選手たちがなんなくカットして、お手本のようなレイアップシュートでネットをくぐらせる。控えが跳び上がる。エンドラインからのパスをダイレクトでカットし、大まかなドリブルで近づいて、抑えに走ってきたディフェンスの手前でバンクシュートを沈める。
 控えの選手たちが審判の目を盗んでベンチからコートに数歩飛び込み、大騒ぎする。奇声を上げる。注意される前に、急いで引っ込む。男子校ならではの、さらには強豪校特有の、エネルギッシュな応援だ。フリースローラインで軽く足踏みし、丁寧につま先を揃えて、立ち位置を決めた。ボールにバックスピンがかかるように両掌で一メートルほど前に投げ出すと、革の回転とコートのコーティングが軋み合って即座に舞い戻ってき、再び受け、膝を柔らかく使いながらドリブルを二回ついた。中学の頃にはやってなかったルーティンだった。高校のある時分からフリースローの際に、こういう予備動作をおこなうようになった。そして、跳びもしない。
 中学まではフリースローラインを踏まないようにその場でジャンプして撃つ選手が多いが、身体の成長とともにそのワンアクションをみんなやめていく。向こうのコートで、4番の、芝居がかった気合が木霊した。ゾーンプレスは決して激しさを弛めることなく、連続得点を重ねていく。相手はフロントコートへほとんどボールを運べていなくて、心が折れ出しているのが透けて見える。このドツボにはまると、やられているほうは時間が過ぎるのを途方もなく遅く感じるし、コートが異様に狭く、その空間が相手の巨大な肉体で埋め尽くされ、攻め上がる隙間がまるでないようにも錯覚してしまう。弱いチームがくじ運で強豪と当たってしまった場合は、とにかく悲惨でしかない。
 ボールハンドリングに憧れる。自在に操り、緊張してしまう公式試合の中でレッグスルーなんかを平然と組み込んでくる技術の高さに憧れしか湧いてこない。魅せるプレイをわざわざし、背後で左右にドリブルをくりかえして、戦意が消えかかっているディフェンスを容赦なく嘲笑う。3点プレイが成立、していた。楠は、フリースローも正確無比だ。シュートタッチ、距離感、あとは、狙ったところに確実に球を届けられる感覚か、そのどれもが群を抜いているように思える。自陣に、こちらのベンチ前に、メンバーたちが走って戻ってくる。あっちではまだ悠然と背中でドリブルを突いていて、舐めきったその高度な行為に憤慨した相手の飛び出しをするどい球さばきでたやすくかわし、左ドリブルでフリースローサークルを真っ二つに両断するかのように貫いていったかと思うと、一瞬で、右に切り替えた。
「なんだアレ。メチャクチャ速えクロスオーバーだな。」
 本木が、独り言みたいに感嘆した。
「おお、いつの間にかドリブルつく手が変わっとった。」
 同じく、自分勝手につぶやいた。
「おまえらどっち観とんだ。違う試合に熱中しとんなや。」
 控えの先輩に叱られた。
 まったく、どうやって練習すればあのレベルにまで到達できるのか見当がつかない。所詮中学からでは、バスケをはじめるには遅すぎるのかもしれない。
 あの男子校の4番も、楠と同じミニバスの出身者だ。だから彼の一年先輩にあたる。例年通り小学生で全国大会を経験し、兜城中に進んだあの人の場合は中学校でも全国大会の一歩手前である東海大会にまで駒を進めている。見たことのない風景、おそらく俺には一生縁のない光景。彼は俺の存在など知らない。俺は、彼を中学のころから知っている。自信に満ち溢れた、サウスポーのプレイを大会のたびに見つめていた。
 黄色と青をチームカラーに据えていて、ユニフォームから練習着、バスケ部専用のバッグに至るまでそれらの色で統一されており、一体感があってブレないデザインが高く評価され、何年か前にバスケ雑誌で特集された回があると噂で聞いた。確かに大会会場でも来ていれば一目で見つかるし、抜群に格好いい。生地の縁取りやナンバーのカラーリングからすると、NBAのロサンゼルス・レイカーズというよりもサッカーブラジル代表のカナリア軍団を彷彿させる、イエローの異能者たちだ。
 それに引きかえ、ユニフォームは紫のを代々使いまわし、練習着のジャージは学年ごとで異なるようなうちの学校とは、漂う威圧感が段違いだ。環境。意識。おそらく、バスケに必要な要素全部の次元が違うのだと思う。一進一退だった。常に4、5点差以内で試合は進み、けれど時々同点近くまで追いつくことはあってもこちらのリードはまだ一度もなく、ずっと追いかける展開だった。そういえば、まだ、たった一本だけ。事前に戦力情報が耳に入っていたらしく、試合開始から楠は徹底マークに遭い、なかなかフリーにさせてもらえず、得意の飛び道具も鳴りを潜めている。
 南城の5番が、片手で、リングの右下あたりに何かを打ち砕くかのような勢いでボールを投げた。見るからに速すぎて、キャッチするだけでも困難なパスだった。だが走り込んできた味方はなんなく空中で、掌たったひとつで受け止めて、着地もせず、そのまま持ち替えもしないでシュートを放った。厭味なほど美しく、滑らかで、慌ただしさやまぐれの予感は微塵もなく、バックボードに描かれた四角形の内側を反射して、リングにかすることもなくネットを突き抜けた。ダンクではない、和風アリウープみたいなものだ。普通のレベルでは絶対にまねできないプレイを成功させたのに感情を露わにしたのはどよめいた観客だけで当の本人は能面のまま眉毛の形ひとつ崩さずに、受け持っているゾーンプレスの位置にUターンしていく。「あの9番の奴ってあれで俺らとタメなんでしょ?」本木に訊いた。どうも聞こえなかったらしく、返事はなかった。格の違いを思い知らされた俺の声が小さすぎたのかもしれないし、ライバル心に火が点いたのかもしれない。おまえの運動神経なら似たような芸当くらいできるかもしれんな、顔も見ずに考えた。右隣で応援しているこのチームメイトだって今はおとなしく観戦しているけれど、場合によっては大事な局面で起用される立ち位置にいる。むしろ下級生という理由で控えにまわっているだけで、実力だけで選ぶならスタメンがふさわしい選手だった。ボールを持ったら向こう見ずに攻めまくり滅私の精神は乏しいが、実際に得点力は高い。楠も、本木も、生粋の点取り屋だ。それなら、俺の武器は少しだけ高い身長くらいか、けれどその特性も、彼らの突破力や跳躍力の前では簡単に帳消しにされてしまうだろう。守備は練習量でいくらかは補えるのに、攻めは持って産まれたセンスに他ならない。
 ヘアワックスで整えたベリーショートが妬ましかった。
 ゲームは終盤が近づいてきたのにいまだ挽回できず、やはり相手の地力が勝っているようで、ついていくのがやっとだった。第3Q、第4Q、残り時間がだんだん減っていくにつれ、点差も広がっていく。じわじわと引き離されていく。視界の向こうでは、後を任された控えの選手たちが、ベンチに下がり肩からタオルをかけたレギュラー陣が、スティールのたびに、得点のたびに、おそらく練習でも成功させた試しがないらしいスーパープレイのたびに、狂喜し乱舞する。その選手の活躍はチーム内ではとても珍しい光景みたいで、役目を終えた何人かが指を差し腹を抱えていた。当の本人も絶好調に戸惑っているらしく、照れ気味にニヤつき、ベンチに向かって派手なガッツポーズを送る。あっちでは補欠でも、俺より断然格上だ。
 本当に俺は、ベンチに座ることが赦される、そんな実力を持っているのだろうか。
 パイプ椅子に座れず、立って応援している同級生たちを目の左端で眺めて、考える。後ろめたくもあるし、心の片隅には優越感がないとも言い切れない。
 多分俺は、まだ番号も背負っていない岩沼との立場の違いに、悦に入っている。次の代で、スタメンは確定だろう。楠に、本木に、俺。この辺は当確なはずだ。けれども、俺の周りは納得するだろうか。センターを勤められるほどインサイドに長けてはいないし、ミドルレンジはお手の物というわけでもない。チームのバランスを考えれば、核となる二人にはオフェンスに専念させるべきなのでゲームメイクを一手に担うポイントガードを入れなければならないけれど、そんな小器用さも備え持ってはいない。
 3Pラインからフェイクを突き上げる。当然、見事なまでに、高々とディフェンスが跳躍した。前に身体が折れる。あ。掌から、ボールが離れる。何すんの。その、落ちていった茶色い真円は敏感にフロアを跳ね返ってきて、従順に、忠実に、元の掌の中におさまった。相手チームの何人かが指を差してアピールするのと同時に、笛が鳴った。ダブルドリブル。そのプレイの前に、すでにドリブルという選択肢は消費していた。さすがに苦笑いして、天を仰ぎつつ散らかった前髪を両手を使って耳にかけた。相手ベンチは一層盛り上がり、こちらはそろそろかける声援も出尽くし気味で、勝利を確信しつつあるのかコート上にいるあちら側の選手たちは案外冷静に声を掛け合っている。つまらない油断からゲームを壊さないために、注意点を確認し合っている。
 髪型なんて気にしてんなよ素人みてえなファールすんなよ。
 ミスが均衡を崩していく。必死に保ちつづけていた互角の攻防が潰えてしまい、劣化したメッキがボロボロと剥がれ落ちていくかのように、みるみる突き放されていく。
 うちからはミニバス出身者が二人も出ている。加えて、スタメンではなかったといえど、兜城中の猛練習に耐え抜き、試合出場の機会を得ていた先輩もいる。それなのに、こんなどこの馬の骨かわからない学校なんかに負けたりしないでよ、市外の学校だから銘々の中学時代の成績とか経歴とか知らないけれど、どうせ大したことなかったんでしょ。全国なんか無縁だったんだろうし、どうせ無名だったんだろうし、どいつもこいつもそつなくこなしている程度で突出した才能なんかは感じないんだよ。
 それでも、チームの統制は執れている。うちにはお飾りの顧問しかいない。練習メニューは前の代からつづくどこでも行っている一般的な反復練習だけで、特色もなく、技術の向上に直結しているという実感もない。差は、指導者か。それとも練習の質か量か、目的意識の違いか。単なる個人技だけに頼らない、チームの有機性とでも呼ぶべき性質のものなのだろうか。
 でも、だからって負けたりしないでよ、こんな連中ごときに。ひとりひとりじゃ敵わないから総合力なんかにすがりついているような格下ごとき、個人の力でちゃちゃっとやっつけちゃってよ、あなたたちは市内でバスケをしている俺たち高校生の代表なんだから、一対一の実力差をまざまざと見せつけてやってよ。せめて一矢報いてくれよ。兜城中時代のチームメイトが隣で試合してんのに、あんたら悔しくねえのかよ? 恥ずかしくねえのかよ? 4番も5番も着実に成長して、中学時代と同じ番号を背負って強豪校を率いてるじゃねえかよ。そんなふうにだらしなくあきらめたりしないでさ、一瞬でも気を抜いたら一気にひっくり返されてしまうだろうくらいの脅威を相手に感じさせてくれよ。地区大会の、たかが二回戦だぞ。羨ましいんだよ、羨ましかったんだよ、試合を支配するあなたたちのような人種のことが。
 違う中学同士なのに顔見知りで大会のたびに会場となった中学の冷水器の近くとかで立ち話してたあの姿とか他校の生徒からの注目度だとかそれを裏切らない目覚ましい活躍だとか、その全部が輝いて見えたんだよ。俺たちが無邪気に毎日遊び惚けていた子供時代に血反吐吐くような練習に耐え抜いてきたからこその特権だということはもちろん承知はしているけどさ、それでも各校の主力メンバーたちが一堂に会しているのは格好良すぎたんだよ、咲丘バスケ教室の出身者たちは、今でも俺の憧れなんだよ。

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