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菅田将暉になりたいと言い続けているのに、一向に片鱗が見えません。

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菅田将暉になりたいと言い続けているのに、一向に片鱗が見えません。

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桜の歌を読む

先日、あるきっかけで「傘」にまつわる歌の歌詞を集める ということをした。 様々な歌詞を読む中で、感受性が鍛えられた気がする。 せっかくなので、桜ソングも調べてみた。 選ぶ基準は完全に自分の好み。 好みとしては、あまり直接的に愛だ恋だ言っているのは好きではない。 逆に回りくどすぎて言っていることがわからない(汲み取り切れない)ものも避けた。 個人的にヨルシカの歌詞が好きなので、まずはそこから始めたい。 多分、普通の語彙で言ったら「息をのむ」と表現するところを、 「息を忘れ

    • 儚さと、静けさと、力強さと。

      切って進むのではなく、揺蕩うのが好きだ。 風のように駆け抜けるよりも、ススキのように揺られていたい。 海や風、大地に浮かんで、ふらふらと浮かんでいたい。 たまに立ち止まっても、長く地に足をつけたくはない。 白線以外は熱くたぎったマグマだ。 触れたら焼けてしまう。 大地は結構危険だ。 ものごとはおおよそ、ささやかであればあるほど素晴らしい。 力強さは我々を引っ張っていってくれる気がするけれど、船が海を進む時のように、切り分けられた海水は大きくうねりながら裂けていく。 そんな

      • 概念は摩耗する。

        この表現一生好き。 日々、思い浮かんだことや考えたことは風化させないようにメモするようにしている。 たいていの思い付きは日々の風に吹かれてもう手の届かないどこかに行ってしまうので、すぐに書く。 そしていつの間にか、僕のアイ・フォーンのメモアプリにはまぁまぁの量のチリが積もっていることがある。 いつもはスレッズやら身近な人やらなんやらで解き放つのだが、それらにも解き放ちにくく眠っている言葉たちを放出したい。 放たないとムズムズするの。いや、ムズムズっていうか、、、ミゾミゾ?

        • 大人の掟

          「東京の夜は寒いね。」って月明かりに照らされて2人で笑っていた、 あのクリスマスはもう5年も前になる。 長く続けばいいと思っていた友人や当時の恋人との関係は、それ以降徐々に瓦解し、大学の卒業と同時にごくわずかになった。 諸行は無常だと平家物語は語る。 否定のしようもない。 何よりも僕のこれまでの人生がそれを証明している。 窓を開ける。 冬の澄んだ、ひときわ潔い空気が一人だけの部屋を満たす。 彼女が返ってくるまでの数時間の孤独。 家から100mくらいしか離れていない空港

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          秋は夕暮れ

          銀杏を踏んだ、 お気に入りの革靴で。 日傘で作った自分専用の日陰の中で肩を落とす。 このまま影に吸い込まれて地面に沈んでしまうのではと思うような落胆。 秋はもう少し穏やかに訪れてくれると思っていた。 ここまで残酷な訪れ方は想定していなかった。 長いあいだ湿り気のあった空気が少しずつ澄んできた。 帰路、隣家の排気口から漂う秋刀魚の香りが"食欲の秋"たる由縁を感じさせる。 いつのまにか傾いている太陽。 「秋は夕暮れ」 夜、優しくなった風が虫の声を運ぶ。 素晴らしい季節だ

          秋は夕暮れ

          プラスチックの数珠

          仮に世界の全てが解き明かされたとする。 あらゆる物理・科学的現象が解明され、数式として記述され、理論として体系化される。 世界の歴史も解き明かされ、ティラノサウルスには羽毛があったのか、信長は本当に本能寺で自刃したのか、コロナウイルスはバイオテロだったのかなどが全て判明する。 それは未来の予想を可能にし、南海トラフ地震がいつどこで起きるのか、人が次に月に到達するのはいつか、戦争はなくなるのかなどが予想できるようになる。 いや、その段階では「予想」ではなく、「未来の事実の

          プラスチックの数珠

          淡い色のカオス

          久々に会った友人が、僕の知っている友人ではなくなっていた。 記憶の彼は、いつも飄々としており、社交的で、いつも多くの友人に囲まれていた。 2年が経ち、久しぶりにあった友人からはあまり社交性を感じなくなっていた。 陰鬱とか内向的になったとかそういうことではなく、彼の周りにいつも漂っていた様々な人の影が薄れていた。 薄れていた、と少しマイルドに表現したが、実際はほとんど感じなくなっていた。 何か変化があったのかと聞けば、自分自身は特に変わっていないという。 ただ、社会人に

          淡い色のカオス

          家に着くまでの考え事

          「○○と○○のあいだ」ってフォーマットが好き。 だけど、なぜ好きなのかがよくわかっていないないので、少し考えることにした。 書きながら考えるので、是非とも物思いに付き合ってほしい。 帰路の電車内で考えるので、それほど長考はしない。 このフォーマットで1番最初に想起されるのは福岡伸一の主著、「生物と無生物のあいだ」だろうか。 この本の中で「生物」とは代謝を行う存在で、自己複製により増殖する存在と定義されている。 そして、その要素を持たない物が自動的に無生物と定義される。

          家に着くまでの考え事

          付け合わせのにんじん

          鉄板に乗って提供されるハンバーグには、いつも付け合わせがついている。 時にはフライドポテト、時にはコーン。 そしてにんじん。 ただ焼いただけのにんじんは、ハンバーグのソースととてもよく合う。 濃い味付けが多いハンバーグとは違い、淡白な味なのでバランスが取れている。 しかも、野菜を食べているという事実が罪悪感を和らげる。 栄養価の割合を考えたら到底、ハンバーグとライスによってもたらされるカロリーを緩和できるような類のものではないが、それでもないのとあるのでは全く話が違う

          付け合わせのにんじん

          着こなしがカジュアルすぎる。

          今日も怒っている。 何故僕はいつも怒っているのだろうか。 ADHDなどの発達障害、 身長や外見的特徴、 出生や出身、 現在の環境や所得、 人種、信条、社会的身分、 それらある種のレッテルを自分で自分に貼り付けて、 「自分は恵まれていないから」、 「自分には才能がないから」、 「自分は美男/美女ではないから」 というような話を言い訳的に使う人が多すぎる気がする。 そしてその場合、それらのマイナスな特徴は誇張される。 当然、事実としてそれらの特徴が自分の現実を苦しめる側面は

          着こなしがカジュアルすぎる。

          梅雨が始まるよ。

          突然だけど、「止まない雨はない」ってポジショントークすぎない? 雨が上がった人か雨上がりを夢見ている人しかこのセリフ言わないし、このセリフを深みを持って言っている人を見たことがない。 せいぜい水溜まりくらいの深さ。 雨が上がったポジションからこれを言う人はとりわけ浅い。 登った太陽に水溜りが渇かされてしまったんだと思う。 雨なんてそうそう止まない。 きっとたくさんの「止まない雨」を浴び続けている人達がいる。 そんな簡単に止まれても、晴れた時のありがたみが小さい。 雨が上

          梅雨が始まるよ。

          エイプリルフールは未だに

          少し前の話。 エイプリルフールという世界規模の嘘の祭典があった。 これだけ世界規模なのに、これだけお祭りにならない事象も珍しいと思う。 ほとんどの人が信仰していないし、みんな教義も知らないであろうゾロアスター教の謝肉祭(=ハロウィン)との差がすごい。 ( ハロウィンやクリスマスは資本主義的な意味づけがされているから、ティピカルな意味での祝祭ではないとツッコミを入れたくなっている君、その指摘はダサいぞ。本質はそこじゃない。そう、君だよ。そこの君。) なぜ今更エイプリルフ

          エイプリルフールは未だに

          よしなしごと

          僕にとって春は訪れているものであって、 予感ができない。 「春がすぐそこに来てる」やら 「春の訪れを感じる」なんて 一度は言ってみたい言葉としてメモ帳に刻まれたまま、一向に日の目を浴びることなく徐々に下の方に追いやられていっている。 来年こそは使ってやりたいとは思っている。 基本的に春は、すでに到着していて後になって気がつく。 みんなそれを予期することができて、コートをハンガーに掛けたままにしたり、ヒートテックをクローゼットに閉まったりすると聞いた。 対して僕は、電

          よしなしごと

          多様性について

          「多様性」 辞書を引くと、 いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。「生物の―を保つ」 とある。 最近は随分とこのワードを聞くようになった。 初めてダイバーシティという言葉を知ったのは高校生だったと思う。7.8年前かな。 その時と今では、その言葉が意味するところが変わってきている気がする。 なんだか漠然とそんなことを思ったので、日記程度に少しだけ。 多くの生物は、その多様性が豊かであればある程生存のリスク分散が可能になり、長い年月の中で種が経験する

          多様性について

          堂々巡り

          「人身事故」 東京で過ごすようになってから何度この言葉を耳にし、いつからその言葉に何の感情も抱かなくなったのだろう。 亡くなったわけではないかもしれない。 少し腕がぶつかったくらいかも。 そんな希望的観測を脇目に、現実はとてもシビアで、切実な数字を示していた。 内閣府によると、平成29年の鉄道人身事故は381件発生し、死者数は186人だったそうだ。 死亡率は約46.9%程になる。 「人身事故」という言葉をプラットホームで耳にするとき、それはおおよそ1/2の確率で命

          堂々巡り

          夏は宿敵

          やっと厄介な相手との戦いが終わろうとしている。 長かった。 例年通り、今年もノコノコと姿を表して僕を苦しめるだけ苦しめて、役目を終えたかのように帰っていくあいつだ。 「夏」だ。 僕は夏が嫌いだ。 春も秋も冬も、それなりに好いている。 春は夜明けの青みがかった空気と桜のピンクが清々しい。 秋は夕暮れ、紅葉は燃えるような夕焼けに照らされて踊るし、そこに鈴虫の音や鳥の囀りが加わればそこはたちまち桃源郷だ。 冬は早朝、雪が降れば綺麗なのは言うまでもないけれど、散歩にでも出掛

          夏は宿敵