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「有名になって野球をする女の子を増やしたい」濱嶋葵選手が挑む壁

昨年9月、父の携帯に連絡があり、ジャイアンツジュニアに選ばれたことがわかると、濱嶋葵選手の目から自然と涙があふれた。史上初、女子選手としてのジャイアンツジュニア選出。大きな夢への、確かな一歩を感じた瞬間だった。

「小学生の女子で、116キロを投げるピッチャーがいる」

都内の少年野球関係者の間ではすでに有名な存在だったが、野球系YouTuberの面々がこぞって天才少女と紹介すると、噂は全国に広まった。

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父と続けた努力

しかし、本人に話を聞くと、やはり彼女もまた他の多くの天才アスリート同様、“努力の天才”だとわかる。体幹を鍛える基礎トレーニングとして、重さ3キロのメディシンボールを抱えてのスクワット100回を毎日続け、技術面では父と一緒に課題を洗い出し、その課題克服に必要なトレーニングを時間のある限り行なっている。もちろんチームの練習とは別に、である。

なぜ、そこまで頑張れるのか。野球が好きだから、といった根源的な理由以外を知りたくて尋ねると「神戸弘陵高校に進学して、甲子園に出て日本一になり、ジャイアンツの女子チームに入りたいんです」と具体的な将来の夢が返ってきた。

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消えた「プロ野球」の夢

12歳にして、この明確なビジョン。しかし、そこには感心ばかりもしていられない背景もある。1年前の彼女に尋ねると、おそらく「プロ野球選手になりたい」とシンプルな答えが返ってきただろう。彼女にとってプロ選手になることは、小学校3年で初めて女子プロ野球の試合を観戦して以来の夢だからだ。しかし昨年、女子プロ野球リーグは無期限休止することが発表された。夢に影が差した。

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射した希望の光

しかし、落ち込んだであろう彼女を支える光もまた、昨年生まれる。ひとつは、高校女子硬式野球選手権の決勝が初めて甲子園球場で行われたこと。もうひとつは、西武、阪神に続き読売ジャイアンツがNPB球団として女子チームを創設することを発表したことである。そして、くしくもそこには一人の選手が深く関わっている。神戸弘陵のエースとして甲子園を制し、ジャイアンツ女子チームの契約内定を得ている島野愛友利選手だ。

そう、女子プロ野球リーグがなくなった現在、彼女の夢は、島野選手が歩んだ道そのものなのだ。

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女子野球の未来へ、投げ続ける

島野選手の名前を出すと、はにかんだ。
「でも私、島野選手も超えたいんです」
そして、目の前の12歳の凄みを知る。
「『私が一番すごいんだぞ』って証明したいんです。そして、もっと注目されて、私がきっかけで、野球をやりたいって女の子を増やしたい」

この春、濱嶋葵選手は中学生になり、硬式野球をはじめる。女子野球を人気スポーツにするという大きな夢へ、 投げ、打ち、走り続ける。

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*ジャイアンツジュニアでバッテリーを組んだ高橋とは、中学でも同じチームでプレーする事になった

text by Taku Tsuboi(sportswriter)
photographs by Yasushi Mori

UNDER ARMOUR 「スポーツの壁を、突き破れ」 濱嶋葵選手