外骨格と距離感の話

 神椿代々木決戦から数日。
興奮と熱気が未だに忘れられない中、自分のタイムラインに連日流れてくるのはやはり「廻花」についての話。人によって意見はバラバラで、どの意見にもそれぞれの想いや考えがある。
 それもそのはずだろうと、主観的な立場から考えたり客観的な立場から眺めたりしている内に、どうしても避けられない1つの事項がある。
花譜と観測者、この関係の特異性についてだ。
 そこでこのnoteは、今現在成立している構造について、主観的な解釈と自分の考察を交えながら書いておきたいと思う。感想noteはまた書きます(多分)。


※注意事項
・このnoteの内容はあくまでも考察の域を出ません。あくまでも一意見としてとらえてください。
・名前の混乱を避けるため、花譜のことは「花譜」、廻花のことは「廻花」、オリジン(と呼ばれる存在)については「オリジン」もしくは「彼女」と表記します。
・「花譜」については、花譜としての彼女を指している時と、花譜という現象を指している時と、その両方があります。それを踏まえて読み進めてください。
・note初心者ですまあまあ読みにくいですごめんなさい

観測の多様性

時に、「花譜」を形作るものとはいったいなんなのだろう。
この問いを観測者100人に投げた時、おそらく100人から帰ってくる答えはすべて異なる。

そもそも「花譜」という存在はその構成要素の中に意図的な空白が存在している。
これは神椿(というよりはおそらくPIEDPIPER氏)の思想や思惑が絡まっていて、彼らは既存の常識や枠組みに捕らわれないものを形作る。輪郭の定まらない存在、その最たる例が我々が観測する「花譜」であり、それこそ我々観測者が観測者たる所以だ。
意図的な空白があると、読み手はそれを自分の想像で補おうとする。人間の脳は勝手に不完全な部位を補完して認識を進めるため、不明瞭な部分が残されると残りの部分を好きなように埋めて輪郭を捉えようとする。その差異というのはそれぞれの読み手の人生経験や価値観、思想などによって左右されるため、一概に語ることは出来ない。

最初の問いに対する答えは千差万別だろう。歌、一人の少女、言葉、バーチャルの身体、カンザキイオリ、観測者、色々ある。きっと今読んでいる人は「もっと他にあるだろ」と思っただろう。多分全員。
それこそがこの問いの答えであり、本質だ。
余白が多いからこそ何を重要視して観測するかがそれぞれ違っており、また『花譜』という存在が自分の中でどういう立ち位置にいてどういう意味を持つか、それも観測者ごとに異なる。そして、もしこの話に心当たりがあるならば、それがこの項が指し示すものの全てだ。
以前、何かのインタビューで花譜が「複数の円が微妙にずれながら重なっていて、そのどれもが自分」というように自分自身を語っていた事を覚えているのだが、それは観測者が捉える「花譜」にも同じことがいえると思う。我々が観測している「花譜」はどれも微妙にズレながら重なっており、その全てが「花譜」なのだ。そのズレが2mmか2cmか2mかみたいな具体的な話は本当に些細な問題で、地上から星を観測すればそんなことは気にならないのと同じように、観測者が見ている「現象としての花譜」が変わることは無い。
観測の多様性、好きなように好きなものを見ていること。これが、観測者の特異性である。

花譜という外骨格

さて、前項で観測者の特異性について語ったので、次は花譜の特異性について語る。
花譜自体が持つ特異性、他のアーティストには無く花譜のみが持っているものとして、オリジンを核として多くの人間の要素が混ざり合う「混沌」さがある。以下はPIED氏のnoteからの引用である。

「怪歌」のように色々なものが混ざり合うのでより混沌としたエンターテイメント要素が強くなると思いますし、それこそが花譜の魅力だとも思っています。
この「花譜」の中にはオリジンを中心に色々な素晴らしい創作者が参加しているということです。

「神椿代々木決戦二〇二四」ありがとうございました|不確かなものをつくります。 (note.com)

先に廻花との対比を用いて語るならば、花譜は「エンターテイメントの集合体」「寓話」「ドキュメンタリーを内包したフィクション」「外骨格」であり、多くの要素が複雑に絡み合っている。
他のアーティスト、例えば我々もよく知るカンザキイオリ氏やGuiano氏、笹川真生氏が自分の曲を描くなら、そのほとんどは自分の内側から出た言葉だろう。だがコンポーザーの曲提供によって作られる、花譜含むV.W.Pの魔女たちの歌は違う。もちろん彼女らも想いや気持ちを歌詞に載せて全力で表現していることに間違いは無いが、それが一人だけの言葉で形作られるのかと言えば、それは違う。
必ず別の人間の存在がどこかに混ざっていて、複数の人間の要素があってようやく「花譜」は形作られる。楽曲だけでなく、世界観そのもののプロデュースに何十、何百人もの人間が関わっていて、我々が観測している「花譜」は形作られている。
なお、これが問題であるとか他のアーティストに比べるとどうだとか、そういう話ではない。むしろ花譜×カンザキイオリだからこそ描ける景色を信じた観測者は多いし、救われてきた人間も多い。
多くのクリエイターが関わることで花譜の可能性は拡張されてきた。組曲シリーズが特にそうであるように。

もちろん、その中央にいるのはオリジンである彼女であることは間違いない。ただ、その彼女を包む外骨格である「花譜」は彼女から出たもののみで形成されているわけではなく、沢山の要素を巻き込みながら作られる混沌そのものであることは間違いない。
その外骨格が彼女を育ててきたことは間違いないし、同様に彼女がこの外骨格を育んできた。それこそが、常に進化を続け、変わりゆく混沌を抱く、花譜の特異性の1つなのだろう。


故に花は開く

本題に入ろう。「廻花」についてだ。
ここまで書いてきたように、花譜と観測者にはそれぞれ多くの特異性が存在し、その関係性も唯一無二の構造を有している。故に、新たな存在である「廻花」がどういう存在か、という議題については既存の構造を元に考察することは不適切であり、「花譜と観測者」の構造を元に、新しい関係性を構築するしかないのだ。

先に予防線を張ると、神椿には「VALIS」という、バーチャルの身体を持ちながらオリジンの姿を披露するシンガーたちがいる。が、彼女らの「オリジンの姿」と「廻花」の本質は全く別物である。VALISはあくまでも「VALIS (オリジンの姿)」であって、一部でオリジンの姿を出している「CIEL」も同様の事が言える。
これに対し廻花というのは「花譜(オリジンの姿)」ではない。廻花は「廻花」なのだ。

廻花誕生の経緯については、廻花自身の口や花譜のツイート、PIED氏のnoteでも語られている。花譜を育んでいく、あるいは花譜に育まれていく中で、生まれた感情や経験、それらの積み重ねがいつしか曲を通して伝えたい思いを伝えるようになる成長へとつながった。「マイディア」や「リメンバー」がそうであるように。でもそれは「花譜」としての歌だ。
彼女が伝えたい事、表現したい自分自身。花譜である以上、それより先に踏み込めない領域があったのかもしれない。神椿は「花譜」を上手くやりすぎた。
それを超えるために得た新たな肉体が「廻花」、我々があの舞台で観測したものである。廻花の歌は観測した人間ならもうわかるだろう。我々が花譜を観測する中で、多かれ少なかれその向こうに透けていた「彼女」。その純粋な言葉だった。

そして廻花はあくまでも「彼女」の純粋な表現を出力するための存在であり、「彼女」そのものではない。「裏表ガール」の言葉を借りるなら、廻花も「私だけど私じゃない」存在の1つ。
廻花は花譜の延長線に存在しない。彼女にちょっぴり近くて、花譜と並び立つ存在である。

彼女とPIED氏は花譜を捨てたわけではない。花譜から失われたものは実のところ存在せず、新たなモノを作るために新たな存在を作った、と筆者は考えている。
やや極端な話をすると、彼女にとってバーチャルの肉体は表現の手段である。生まれ落ちるために花譜という形を選び、自分の表現を探るために花譜と共に歩んできた。花譜だからこそ出来たこともあるし、それはつまり花譜だからこそ出来なかったこともある。これは全く新しい試みだとか、急激な方向転換ではなく、今までやってきたことと同じ「可能性の拡張」の1つなのだ。

そして最も重要なのが、これから廻花がどんな活動をするのか、だろう。しかし筆者はここに関して、心配や不安を微塵も抱いていない。
何故なら、怪歌にて聞いた廻花の歌。それが全てを物語っているからだ。
出来たてホヤホヤな廻花の公式アカウントに、ワンコーラスのみではあるが、廻花のライブ映像が早速投稿されている。

この歌声を聴けば、それ以上の言葉は必要ない。
あの時に観測した景色、観測者一人一人のその気持ちこそが、それぞれにとっての答えなのだから。

終わりに

先にも書いた通り、神椿スタジオは時折「意図的な空白」を作り出す傾向があり、これ自体に魅力を見出す観測者も多い。
だからこそ、不確かな感触のまま飲み込み、自分の中で考えて結論を出すこと。これは観測者が観測者であるが故に出来る行為であり、つまりこのnote自体がそうだ。
しかし、こうして理屈を重ねて魔法を剥ぎ取ろうとも、結局彼女の歌の前では些細な問題なのかもしれない。
あの時、あの場所で聴いた歌声。見た姿。観測した景色そのものが、そこにいた観測者一人一人にとっての、全ての答えだ。
そして、自分があの時抱いた感情は色々あれど、この一言だった。

Happybirthday、廻花。


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