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ワーク&シュート 第2回

 そして自分の学力で無理なく行ける大学に入ったぼくはプロレスファンがいそうなサークルを捜した。もちろん、レスリング部や柔道部などに入ってレスラーを目指そうという気持ちはなかった。ぼくは何より運動が苦手なのだ。ぼくは見る専門家であり、語るプロになりたかった。入学式のあとの学部ガイダンス期間のときにいろんなサークル勧誘のブースを回ったが、プロレスファンの同好会のような会はなかった。ここでも自分はマイノリティーなのかと嘆息しながら大学に通い始め数週間が経った頃、新入生歓迎イベントでマスクマンを見た。
 あれはミル・マスカラス。千の顔を持つ男。仮面貴族。いったいどうしてこんな関西の辺鄙なところにある大学に現れたのだろうと間違うはずもなく、それは市販のマスカラスのマスクを被った大学生だった。その男は校舎の一階に即席で作られた舞台に上がって拳銃を持ち、もう一人の男に突きつけて「金を出せ」と叫んでいた。銀行強盗のコントだった。お笑いサークルの出し物だったのだ。
 コントはなかなか面白く、客として集まった新入生たちも笑っていた。コントの内容は銀行強盗で顔を隠す必要があったからマスカラスのマスクを被っていた、というもので、顔さえ隠せればいいのに上半身は裸、銀色のパンツとその下に黒ロングスパッツ、そして銀色のブーツという、マスクマンのプロレスラーになり切ってしまっているというボケである。しかしマスカラスとしてのボケはそこまでで、マスクを脱いでもまだ下に被っていたとか、フライングクロスチョップや回転ヘッドシザースなどといったマスカラスならではの要素はなかった。
 ぼくははっと閃いた。ならば自分でそういうことをやってみたらいいのではないか。コントということであれば、舞台の上でプロレスみたいなことをやることも可能だ。あの先輩とプロレス風のコントをやれば、プロレスファンの学生も集まってくるかもしれない。お笑い番組はプロレスの次によく見ていたのでコントをやるのも抵抗はない。何よりちょっとでもプロレスラーの戦いの真似事ができるかもしれないことに興奮してきた。
 思い立ってお笑いサークルの部室を訪ねた。マスカラスのマスクを被っていた先輩を捜したがそもそも素顔を知らないので本当にこのサークルで間違いないのだろうかと不安になったがすぐに「ああ、それ俺」と名乗り出てくれた。アサクラさんという先輩だ。
「あの、アサクラさんもプロレス好きなんですか」
「ああ、そうやね」
 その一言にぼくの足元は震えた。やっとめぐり逢えた。話の通じる人だ。ついにぼくの居場所がみつかったのだ。
「ちっちゃいときはよう見てたな。タイガーマスクとか」
「どっちのですか?」
「え」このアサクラさんはタイガーマスクが初代の佐山聡以外に全日本プロレスの三沢光晴、短期間だが金本浩二、現行の四代目がいることを知らなかったようだ。もちろん、アサクラさんの言うタイガーは80年代初頭に一世を風靡した初代を指していた。それからアサクラさんにプロレスの様々な話題を振ってみるもハルク・ホーガンやスタン・ハンセンはわかるがボブ・バックランドやディック・マードックなどになると「ええと、おった……なあ」とうっすらとしか記憶にない様子。どうもそれほどプロレスにのめり込んではいないようだった。それでもぼくがプロレス好きだと言っても端っからプロレスを全否定する人がいないだけここのサークルを訪ねてよかったと言えた。

 このサークルでは定期的に大学内の教室や広場を使ってお笑いライブを開催していて、新入生も出演する資格はあった。ただしネタとメンバーは自分で揃えておかないといけないし、ネタが出来上がってもサークル内のネタ見せで幹部の先輩に合格をもらわなければならないのだ。ぼくはアサクラさんに自分のプロレス風コントの構想を聞いてもらい、「まあ、二分くらいのやったらやってもええか。俺はアラカワとのコントもあるから、そっちの練習時間以外で頼むな」
 と承諾を得た。正式な相方がいるのに片手間でもぼくとのコントに時間と労力を割いてくれたアサクラさんには感謝でいっぱいになった。ぼくはアサクラさんには最低限の負担で済むようにネタを一人で考えた。コントのネタなんて初めて作るのだが、とにかくプロレスっぽいことをやりたいという思いの強さで原稿用紙に文字を書き連ねた。
 そうして出来上がったネタはパンツ一丁の二人がリングで向かい合い、力比べや手首の極め合いをしながら「いやーしかし最近暑いですねー」「ほんまやねー」「5月でこんなけ暑いんやったら、12月とか気温100度くらいになっとるで」「なるかボケ!」という、定番のボケと突っ込みのフレーズを掛け合い、「なるかボケ!」で逆水平チョップを胸板に思いっきり叩きつけ、さらに「地球は公転止めたんか、太陽に向かってまっしぐらか、実りの秋においしいお茄子食えへんくなるんか!」とエルボースマッシュ、ヘッドバッド、最後にローリングソバットを叩き込むというものだ。通常のお笑いであれば軽く頭を叩く程度の突っ込みが、凄まじい迫力の打撃とともに繰り出されたらどれほど面白いだろう。きっとプロレスの魅力が見ている人にも伝わるんじゃないだろうか。
 アサクラさんにネタの説明をしたら少し苦笑しながら「俺が君を叩いてええの? 大丈夫なん?」と心配していたので「大丈夫です。思くそやるからおもろいんです」と太鼓判を押してみせた。練習ではまず軽くチョップをしてもらったが、まずまず耐えられた。もともと太めのぼくの体にはたくさんの脂肪がついており、それが衝撃を吸収してくれるのだ。ネタ見せでは実際に上半身裸になって叩いてもらった。するとチョップとともに波打つぼくの胸や腹が予想以上に好評で「お前おいしい体と顔やなあ」とほかの諸先輩から言われた。合格だった。これでライブで自分のやりたかったことが実現できる。
 そして本番の日、講義の終わった教室で机とイスを移動させて舞台を作り、ライブが始まった。集まった学生は男が十数人程度だったが先輩によるとまあまあの入りなのだという。ぼくとアサクラさんのコンビは最初の出番であった教室の照明がすべて落とされ、出囃子が鳴って黒パンツとゴム長靴の姿になったぼくとアサクラさんが明転とともに舞台に飛び出した。そして練習通りの台詞と動き。ところが、本番になってアサクラさんが力を普段以上に入れたのかぼくの立ち位置が練習と微妙に違ったのか、最初の突っ込みの逆水平チョップが胸板ではなく、喉に直撃したのだ。視界の外枠がギザギザになって爆発し、鼻と肺に星が飛び散って、むせた。一瞬、何をするんだこの人は、と恐ろしくなって今本番であることを忘れた。するとその素の表情が見ている人には絶妙におかしかったらしく、今までぼくが聞いたことがないくらいの笑い声が教室にわき起こった。そしてアサクラさんもさすがに心得ているようでぼくの動揺を意に介さずに続けての攻撃を手を抜かずにバチバチと叩き込んできた。最後のローリングソバットは口から何か生物が飛び出すのではないかというくらい効いた。
 そこからぼくがやりたかったプロレスごっこの段取りだ。「今日のお客さんはべっぴんさんばっかりで」「べっぴんさん、べっぴんさん……この人は飛ばして」「飛ばすんかい!」アサクラさんは越中詩郎のヒップアタックや武藤敬司のローリング・エルボーを非常にソフトタッチな感じで繰り出し、ぼくは橋本真也の重いミドルキックとDDTの真似を息を壮絶に切らしながら演じると絶妙にコミカルに見えるようでずっと笑いが起きていた。最後はこれまでの殺伐としたしばき合いからお互いの健闘を讃えて抱き合い「お前強いなあ」「お前もだぞ」と非常に仲良くなって二人で万歳して一礼するというシュールな幕引きで舞台を降りた。客席は何なんやあいつら、アホやなあ、おもろいなあという声でどよめいていた。

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