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ワーク&シュート 第10回

 より自分の戦いを進めていくにはどうしたらよいかを考えていたぼくは、自分のホームページを立ち上げることに思い至った。プロレスラーの強さを世に広め、そしてそのホームページが盛り上がってプロレスラー本人に届くようになれば、こんなにプロレスを想ってくれるファンがいるのか、ならばもっと練習してどんな格闘技の選手と戦っても勝てるように強くならなきゃな、と考えてくれるかもしれない。
 ホームページの構成はこうだ。まずはプロレスの歴史コーナー。単に力道山から始まるものではなく、イギリスのランカシャー・レスリング、さらには古代ギリシャのパンクラチオンまでさかのぼる。世界中の強さへの希求が、今のプロレスに脈々と受け継がれているのだ。そしてぼくのプロレス観戦記。実際に試合に足を運んだ試合もそうだし、テレビで観た試合、ビデオで観た試合の感想や批評を書いていく。試合のチケットを買うにはまた金が必要になるが、大学卒業後はまたちょっとずつバイトをしよう。そして掲示板。ぼくが管理する掲示板で熱い議論を戦わせよう。プロレスに楯突く輩はぼくが容赦なく叩き潰す。あ、それとプロレス初心者のためのQ&Aコーナーもつける。やはり、プロレスを初めて見る人たちには奇異に映るロープに走る行為や飛び技を待って受ける行為、あと関節技のどこが痛いのかとかを解説しよう。それに「プロレスって八百長なの?」という疑問にも懇切丁寧に否定してやろう。
 HTMLの知識などなかったがホームページの作成ソフトを購入して早速作業にかかった。週に二日大学に通う以外用事のない人間にとって、日がな一日サイトの作成にかかることなど造作もないことであった。二日もしないうちに各コーナーの枠組みは完成し、壁紙や画像などのおおまかなレイアウトも決めた。それから一週間ほど自分の知識を総動員してプロレスの歴史、今までの観戦記、Q&Aを書き、季節が秋に入る頃に完成させた。そして宣伝のためあっちこっちの掲示板の書き込みにうちのURLを貼り付けまくり、トップページのアクセスカウンターには発足すぐでも一日に二十人、三十人という数字が加算されていた。
 他サイトでの誘導書き込みにはそれほど喧嘩腰の文体にしなかったせいか、掲示板に書き込んでくれる人はフレンドリーな感じで専門的な話はなく「中西選手ってまたG1で優勝しませんかね?」とか「佐々木健介は伸び悩んでますよね」とか「越中詩郎はいったい何がしたいんでしょうか」などのゆるい話題が多かった。
 ぼくは一つ一つ訪問者の書き込みにレスして自分の見解を説いて回った。まるで自分がプロレス雑誌の編集長になったような気分になる。しかしやがてホームページの運営が軌道に乗って訪問者数が増えてくると、プロレスだけの話題では済まずにPRIDEの話題やこの夏の藤田の敗戦に触れてくる人も出始めた。これにも持論でプロレスの優位性を書いていたが、ホームページ発足当時からの常連投稿者の書き込みで、ついに「プロレスの試合って台本があるんですか」ということを書いてくる人が現れた。
「Q&Aを読んでください。だいたいぼくの言いたいことはそこに書きました。それに付け加えるなら、もし仮に台本があるとしたら、それを演じきっているプロレスラーは相当な名俳優ということになります。試合の一挙手一投足の筋書きを覚えて、しかもそれを年間二百試合近くやるなんて、真剣勝負するより遙かに大変だとぼくは思いますが。G1クライマックスで優勝して涙する選手が何人もいますが、あんな芝居ができる大男がいるでしょうか」
 その投稿者はぼくの書き込みで納得してくれたが、それでもおかしいと噛みついてくる人が何人かいた。ぼくはその書き込みにも毎回レスを書き、黙らせていった。


 ネットへの書き込みで鍛えた文章力で無駄に枚数ノルマだけ果たしたような卒論を提出し、大学には本当にまったく行く必要がなくなった師走。サイト運営を続けているうちに、ある掲示板の投稿者から「オフ会をやりませんか」という書き込みがあった。ちょうど大晦日にプロレスと格闘技のイベントが行なわれるようで、それをみんなで観に行く、という企画が持ち上がったのだ。オフ会! 昨年はたった一人でプロレスを生観戦していたぼくに、この見ず知らずの人たちが誘いをかけてくれている。こんな日が来ようとは。行かない理由はない。場所はさいたまスーパーアリーナ。チケットに加え関東に出るため交通費や宿泊費もかなり必要になるが、親に急に向こうで面接を受けることになったとか言えば出してくれるだろう。
 その大晦日の大会では再びK1と猪木軍との戦いが行なわれ、今度は団体戦だという。ミルコ・クロコップも出場し、対戦相手は永田裕志だ。永田は今年新日本プロレスの真夏のリーグ戦、G1クライマックスで優勝した男だ。弟はシドニーオリンピックのレスリングで銀メダルを獲得した永田克彦。兄の裕志もレスリングの実力はかなりのもので、何よりあの1995年の新日本対Uインターの対抗戦ではタッグマッチで桜庭和志を破っている。彼ならミルコに勝つだろう。
 ところで不思議なものでこうした他流試合のことを考えると何故か、かつて新日本で最強の存在だった橋本真也は出場候補に出てこなかった。彼は復帰を果たしたものの新日本プロレスを首になり、プロレスリングZERO1という自分の団体を興した。そこには仇敵である小川直也も参戦しているのだが、彼にリベンジする動きはあまりないようで、何と今度はタッグチームを結成するのだという。完全に最強の座を諦めたのか。まあ今度の大会でプロレスラーが快勝すればいずれ橋本の強さも見直されるはずだ。
 新幹線の予約をするため親に年末に関東に出かける話をしたら「何でこんな時期に企業が採用活動するねん」と鋭すぎる指摘を返され、ぼくは正直に話すしかなかった。当然のごとく父は怒り母は呆れ、金が欲しかったらバイトしろ、と断られた。ならばバイトはするから前借りさせてくれ、と言ったがそれでも余り納得してくれない様子で「そもそも今のお前に一番大事なことは何かをわかっていない」とまた長い説教が始まったので部屋に引っ込んだ。しょうがないのでオフ会参加者の人に交通費の前借りを頼もうかとパソコンを立ち上げ、インターネットを開いたときだった。
 ぼくのサイトの掲示版に「新日本でレフェリーをしていたミスター高橋が、プロレスの暴露本を出版したそうですが」という書き込みが投稿されていた。
 『流血の魔術、最強の演技』――というその本には、プロレスの試合はすべて事前に勝ち負けを決めているショーであること、試合中に流血するのは、レフェリーやセコンドがこっそりカミソリで選手の額を切って流させている演出であることなど、今までまったく触れられてこなかった業界の内幕が書かれているのだ、と…………
 まさか。
 今までいろんな暴露本が出てきたが、いずれも部外者や、ちょっとしかプロレスに関わったことがない人たちが自分の恨み妬みの感情に任せてあることないことを書き綴ったものばかりだった。だから嘘だと言い切れた。しかし、ミスター高橋といったら最近まで新日本で試合を裁いていたレフェリーで、それこそ何千試合も関わってきたプロレスの超当事者ではないか。ぼくが観て、感動・興奮した試合の多くも高橋がレフェリーをしていた。
 そんなアホな……マウスを握る手は自分の意思で動かしにくく、画面上の矢印のカーソルが細かく震え続ける。違う。何かの間違いやそんなはずがない。そうや、第一この人の書き込みそのものが嘘っていう可能性だってある。ぼくはパソコンの電源も落とさないまま部屋を飛び出し、スウェット上下にスタジアムコートを羽織って近所の本屋まで走っていった。
 本屋で平積みされているハードカバーの赤い表紙。プロレスラーらしきシルエットと情報どおりのタイトル。そして“ミスター高橋”という著者名。本を手には取ったが表紙を開くことができない。手が拒否している。しかし平積みに戻すこともまたできない。しばらく右手に握られた表紙を見つめていたが、店内のエアコンが効きすぎでスウェットの下が汗ばんできたのでレジに向かう。歩きだしたとき、胸から首筋にかけて鼓動が激しく高鳴っていることに気づいた。

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