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ワーク&シュート 第4回

 夏休みの間は暇だった。大学に行くことがなければアサクラさんともサノとも会う機会がなく、また家に閉じこもってビデオを見たり雑誌や本を読んだりする生活だった。ただそれでも時間が有り余っていたのでバイトでもしてまたプロレスを見に行くお金を稼ぐかと思っていたところ、サークルの仲間たちが草野球のチームを作ったので参加しないか、という連絡がきた。
 ぼくは野球には興味がないし、第一ボールを狙ったところに投げられないし、バットを振ってボールに当たったことがない。小学生の頃ぼくがクラスの連中の草野球に参加したとき、ぼくをどちらのチームに入れるかで両チームのキャプテンが軽く喧嘩になった。結局じゃんけんで決まったのだがぼくが入った方のキャプテンが「っふざけんなやー。最悪や、全然おもんないわー」と試合開始までずっとぼやいていた。案の定試合中もフライを追いかけない、緩いゴロをエラー、中継の送球を味方の内野手にぶつけるといった珍プレーを連発、無関係な人から見たら笑えたかもしれないが当事者だらけのそのグラウンドではその珍プレーのたびに険悪なムードになった。そんな精神的外傷が蘇り、ぼくは参加を辞退し、結局夏休みはぼんやりと過ごしたのだった。アサクラさんやサノは参加したようで、練習や試合後の打ち上げなんかのついでに会いたかったが野球に参加していない自分が行くのは悪い気がして行かなかった。
 暇な時間は近所の本屋を回ってプロレス関係の雑誌、本、ムックなどを立ち読みしまくって過ごした。プロレスに関する情報は底なし沼のようにどこまで潜っても底につかない。特に最近はK1やPRIDEなどを中心に格闘技ブームが盛り上がってきており、プロレスラーの強さについてぼくの関心は高かった。しかしどうも、プロレスが格闘技の範疇から外されて語られている感がある。プロレスラーだって普段のショー的要素を除いて本気で戦えばかなり強いのに。もっとプロレスの競技性を語った本はないのか、と思っていたら「プロレスの技はかけられる相手が協力している」「プロレスの試合はあらかじめ勝ち負けが決められている」といったことを大々的に書いている本を見つけ、頭が凍り付いた。二時間くらいそこの本屋で立ち読みし、店を出るときは店員のじとっとした視線も気にならないくらい頭がくらくらしていた。その後しばらく暗い気持ちで晩ご飯を食べたりしたが、あれを書いているのはプロレスの部外者なのだ、ということに気づいて心を落ち着かせた。本を売りたいがため、あることないことを書くのはどの業界のマスコミもやることだ。ぼくは自分の見たものを信じる。そんなことを考えていたらまたアサクラさんやサノに会いたくなってきた。

 しかし夏休みが明けると、その草野球でうちのサークルの同期たちの結束は強まったようで、休み明けの部室ではアサクラさんやサノがいても野球の練習の話や夏休み中の話題がよく上るようになり、少し居づらくなった。とはいえ、ライブを再開するようになればまたコントを考えたり練習したりとぼくの出番もまた回ってくるのだ。それに秋には大学祭という一年間最大のビッグイベントが控えている。これを目標に頑張るのみだ。
「ドイも野球やろうや。女の子もみんな見に来るで」
 コントの打ち合わせをしているとき、アサクラさんにこう言われたので野球に興味がないのと苦手なことを伝えた。
「別に下手でもええがな。みんなで楽しく遊ぼうってだけやし。負けても気にせえへんで」と言っているが部室で先日の試合の負けの原因を作った人が結構本気で落ち込んでいるのを見たり、別のところで「○○のあのときのエラーがなあ、くっそー」と先輩が悔やんでいる姿を見ているだけに、全面的に信じられなかった。
「プロレスだけやったら話題にも困るやろ。女の子も見に来るし、世界が広がる思うで」アサクラさんが軽く放ったその言葉が水泳で耳に入る水のように残った。ぼくは気にしていない振りをしてアサクラさんとサノにネタの原案を説明して三人でコントを作っていった。
 プロレスの外からの侵略がじわじわと大きくなっている気がする。居心地の良さを求めて入ってきたサークルも、夏休み以来プロレス以外の関わり方を求められるようになるなんて。確かにうちの同期でも女子が五人ほどいるが皆プロレスはもちろんのこと、お笑いにもそれほど熱烈な興味を持って参加しているといった感じではない。お祭り騒ぎが好きで来ているといったほうが正しい。そういった人たちともっと関わるにはプロレス以外の話題もできるようにならなければいけないらしい。だがそれが自分の好きなことを抑えてまでやらなければいけないことなのか?
 といった疑問を持ちつつあった10月、東京ドームで高田延彦とヒクソン・グレイシーが再び戦った。結果は前回よりも長く戦えたもののまたも高田の完敗。高田はこの一年間、ヒクソンに勝つためだけに練習を積んできたのに、完敗。前回はグレイシーの戦い方をよくわかっていなかったから、という理由付けもあった。プロレスラーの超人的な体力があって、グレイシーの戦法をしっかり研究すれば簡単に勝てる、と何人かの人がプロレス雑誌に寄稿していたのを読んでいたぼくは背筋が寒くなった。今回はちゃんと対策してたよな。それでも負けるん? やはり高田ではだめだ。新日本プロレスからもっと強いプロレスラーを出さなければいけない。
 その年の大学祭でもぼくはトリオでプロレスコントを演じた。三日間開催されたなかで、三日とも出番がある。それぞれネタを変え、衣装も単純な黒パンツのときもあればグレート・ムタのような顔面ペイント、カツラを被ってワンピース水着を着て女子プロの格好もやった。どの回もぼくらの力一杯のネタに客は拍手してくれた。確かに高度なボケやストーリーの展開に斬新さはないが、とにかく大きな声や全力の打撃、そして軽いオチをつけるのがぼくらのスタイルだ。客のなかには顔を背ける女の人もいたが、多くの男子学生には好評なのだ。これでまた、プロレスに興味を持ってくれる人が増えてくれればいいのだが。

 と思っていたが冬になっても状況は変わらず、相変わらずプロレスの話になったときのみサークルで存在意義を見出す日々が続いた。年が明け、新日本プロレスには毎年恒例の1・4東京ドーム大会が行なわれた。例年と同様に始まった新春の大会だったが、その日はこれまでと違う不穏な事件が起きた。
 一つは、大仁田厚が新日本プロレスに参戦し、佐々木健介と一騎打ちした試合。あんな弱っちい、ただ自分の体を傷つけてぎゃあぎゃあわめくだけの男と新日本プロレスの鍛え抜かれた一流のレスラーが同じ空間に立つなど、ぼくは認めたくなかった。案の定、佐々木健介は大仁田のパイプ椅子攻撃をものともせずに圧倒的な力の差を見せつけてボコボコにしたが、最後の最後で大仁田がズボンのポケットに隠していた火綿に火を着けた火炎攻撃で反則裁定が下り、完全決着とはならなかった。これでまた大仁田が新日本に上がる口実ができてしまった。実に不快だ。
 もう一つは、橋本真也と元・柔道家の小川直也の試合。背景に様々な政治的な軋轢があったようで、小川直也がいわゆるセメント、つまりショー的要素なしのただ相手を潰しにいく攻撃を一方的に仕掛け、橋本がなにもできずにいたところ、両陣営のセコンドが次々に乱入してきて無効試合となった。ぼくは風貌が少し似ていることがあって橋本に感情移入していたのでやられ続ける橋本を見るのが歯がゆかった。しかも橋本は新日本プロレスでも最強の男だったはず。セメントを仕掛けられてもやり返せばいいのに。
「いやー弱かったね橋本。三沢がさ『あれじゃプロレスラーが弱く見られる。もっと強いところを見せてもらわないと』って心配するなんてよっぽどだよ。やっぱりさ、強いのは全日本だよ。もし小川が全日本に上がったらまったくついて来られないと思うね。蹴りなんかも川田のスピードに負けちゃうだろうし、小橋のパワーとスタミナなんかの前じゃ、小川は子供同然だろうねー」
 というのがサノの橋本・小川戦評であった。プロレスの話で盛り上がれるはずのサノとの会話だったが、以前から気にはなっていたこの全日至上主義の論調が、いくら何でも我慢できないレベルに達しつつあった。しかしコントをやるにはサノも必要だし、貴重な話し相手を失うわけにもいかないので彼が全日四天王の凄さ、強さだけを語るときは賛同しておき、比較のために新日本のレスラーを腐すときは苦笑いで誤魔化していた。
 そんな橋本・小川戦のすぐ後に全日本プロレスの創設者にして象徴であったジャイアント馬場が死去した。これはあいつ、落ち込んでんのかなと思って翌日にサノに話を聞きに行ったら「ああ、これで全日本も真剣な試合だけになってくれるよね。ほら、馬場っていつも前座でラッシャー木村とか永源遙とかとおちゃらけた試合やっててさ、プロレスが誤解されるんじゃないかって、いつも不満だったんだよね。ついでにラッシャーや永源も引退してくれないかな」と思いも寄らない反応が返ってきたのだ。サノはあまり歴史というものに敬意を払わないタイプなのかもしれない。
 アサクラさんはアサクラさんで「ああ、新日も全日もいろいろ大変なんやなー」とどこか他人事で、部室で盛り上がっていた阪神タイガースの話題などの方に興味があるようだった。入部してもうすぐ一年が経とうとしていたが、最初の頃に感じていた充実感、というか連帯感が薄れているのを感じていた。これではいけない。でもどうすればいい。

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