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ワーク&シュート 第6回

 三回生に進級しまた新歓のライブの時期となったが、さすがに新入生の前で面白くない先輩を見せたくないと判断したカザマはぼくとサノのコンビの出演を許可しなかった。ついに方向性やサークルへの協力態度ではなく、単に「おもろない」という理由で拒否されたのだ。このことをカザマから告げられたのが、橋本真也が最後の挑戦として小川直也に引退を掛けてのぞんだシングルマッチが、またも惨敗に終わった衝撃的な試合の直後だったので、試合の翌日に丸坊主姿で引退を表明した橋本がぼくに完全に乗りうつり、もう何もかもこのサークルにいる意味がなくなった気がした。
 ぼくには舞台の裏方として照明や音響、本番前の学内宣伝などの役割を与えられたが、これほど惨めな思いで希望あふれる新入生と相対するシチュエーションはないだろうと目の端にじわりと分泌されるものを感じた。何でぼくはそうまでしてここに居続けるのだろう。新歓ライブを、ぼくは舞台袖で蛍光灯のスイッチに手を掛けながら見ていた。ひと組のネタが終わると蛍光灯を切り、次のコンビの準備が整うと点ける。コントの途中で照明を落とすという段取りがある場合は、ネタの展開を見ながら、打ち合わせていたタイミングで蛍光灯を切る。
 みな、新入生たちに受けている。楽しそうな笑い声が客席から沸き上がる。その声に若さを感じる。二歳程度の差なのに。出演しているどのコンビにもプロレスのネタなど存在しない。特に女子に受ける方向性に絞った、ポップでキャッチーなネタばかり。女子に喜ばれる文化こそが世間に受け入れられ、時代を動かす。と感傷的になっていたら聞き覚えのあるテーマ曲が出囃子として流れ出した。映画のSPEEDのTKリミックスバージョン。同期の一人がストロングマシンのマスクを被って舞台に飛び出したのだ。
 桜庭和志だ。こないだ「PRIDE」でヒクソン・グレイシーの弟、ホイス・グレイシーに勝った試合の入場パフォーマンスではないか。プロレスネタは駄目だと言ったのに、女の子にはわからないじゃないか……と思ったら観客はやんやの喝采。さらにマスクを客席に投げるパフォーマンスをやると前席の女の子たちが手を伸ばして奪い合っていた。知っているのだ。プロレスは知らないけどPRIDEは知っている。プロレスは駄目だけど格闘技ならいい。ぼくは駄目だけど彼はいい。
 ライブに出なくなると本当に部室に行く用事がなくなり、講義やゼミに行って終われば即帰宅、帰ってテレビを見るという、小・中学、高校とほとんど変わらない生活に逆戻りしてしまった。二十歳を過ぎたというのにぼくは何で毎日夕方に家でアニメの再放送を見るような日々を送っているのだろうと思っていたところ、この有り余った時間にアルバイトをすればいいことに思い当たった。仕事という大義名分があれば周囲とコミュニケーションする機会も生まれてくるだろう。

 そうしてぼくは講義が早く終わる日に近所のコンビニでバイトを始めた。初めは店長に鈍くさい動きをいちいち注意されながら働いていたが、徐々にルーチンワーク化してきて苦でなくなってきた。それに女子店員と一緒にシフトに入ることもあり、うちのサークルにいそうにない、なかなか美人でおしとやかそうな人と会話する機会も割と得られたのである。「検品、ぼくやっときますね」「レジお願いしまーす」「こっち五百円玉切れそうなんですけどありますか?」など、ぼくにも彼女に話しかけるきっかけがいろいろあり、徐々に会話をすることへの抵抗がなくなっていった。
 ユミカワさんというこの女性店員は関西でも上位にランキングされる私立大学の二回生で、特に大学でサークルに入っていないという。
「ユミカワさんはどんなことしてはるんですか」
「え」ユミカワさんが戸惑っている様子を見て、質問が何を聞こうとしているのかがまったく伝わっていないことに気がついた。
「いや……どういう趣味なんかなと思って」
「ああ、うちでは音楽とか聞いてますかねー。あとはレンタルビデオで映画見たりとか」
 映画か。映画ならば自分もツタヤで借りて見ればその話題でまた話ができるようになる。ぼくはバイトの帰りに彼女が言っていたグリーンマイルとショーシャンクの空にを借りてみることにした。
 しかし何度見ても途中で眠くなってしまう。登場人物の名前が覚えられない。白人と黒人の区別はつくが、あとは皆同じ顔に見えてしまい、三分も経たないうちに物語の展開を見失ってしまう。いったいこの人たちは何を話し合っているのだろう。ついでに借りたPRIDEのビデオの方はずっと集中して見ていられた。桜庭がホイスを破った試合はまだビデオソフト化されていなかったが、桜庭が昨年戦った試合が入った二本を借りていたのだ。
 桜庭は高田延彦の後輩で、同じくUWFインターの出身の、一応プロレスラーの肩書きを持ってはいた。ビデオに収録されていた試合の一つは随分実力差がある相手のようで、試合前から桜庭は「プロレス技のダブルアームスープレックスを出したい」と公言していたという。しかし実際、試合でも何度か本当にかけようとしていたが成功せず、替わりにフロントスープレックスを見せたり、寝技で上のポジションからモンゴリアンチョップを繰り出したりしてみせていた。
 彼は以前にも格闘技の大会で勝利した後「プロレスラーは本当は強いんです」と発言したりと彼なりのプロレス愛を見せてくれてはいる。しかしぼくはあまり嬉しくはなかった。格闘技の試合でプロレス技に“近い”技が出る度、その技が実際にはあまり相手にダメージを与えていないこと、今見た試合のようによほどの実力差がなければ決まらない(しかもダブルアームは失敗した)ことを証明しているように見えるからだ。桜庭がこういう技をやればやるほど「プロレスの技はあんまり効かないんですよ」と言われているような気になる。それに、プロレスでは寝技で試合の序盤に出るスリーパーホールドや腕ひしぎ十字固めが、PRIDEでは決まり手になり、しかも本当に苦しそうで痛そうに見える。これではプロレスが手を抜いていると見られてしまっても仕方がない。
 などと考えているうちにビデオの返却期限が来てしまい、結局グリーンマイルもショーシャンクの空にもまったく何の話かわからないままビデオを返してしまった。次にユミカワさんと一緒にシフトに入ったとき、ぼくはその映画の話を振られたらどうしようかと冷や冷やしていたが店が非常に混む日だったため雑談をする余裕がなく、趣味の話で彼女を落胆させる危機を免れた。

 バイトで忙しくなったとはいえサークルは辞めておらず、学内ライブがあるときは手伝いに行っていた。もはや学園のスターと化したカザマはファンに講義中まで追いかけ回されているとかで、学生生活を送るのも楽ではないのだという。ここまでくると、カザマとハザマのコンビはプロを目指すのではないかと周囲は噂し始めていた。
 実際、彼らの漫才は見る度に腕を上げているというか面白くなっていた。会場の空気を支配して自分たちの話に引き込み、みんなの集中力がピークに達するかというところでふいに調子を外したボケをかまして笑いに転化する。そして一度火がついた笑いを、ボケを被せてさらに増幅させる。そこにはアクセルを全部踏み込んだような加速感があった。ネタが終わったあと、まるで嵐が過ぎ去ったかのような余韻が会場に残った。もう感動するしかない。
 その舞台にぼくが入り込む余地は既になかった。こうして舞台袖からライブを手伝うくらいしかぼくの存在意義はない。下手で無鉄砲ながらもプロレスコントで会場を引っかき回していた頃が遙か遠い昔のようだという感慨に浸っていたそのとき、サノと一回生の女子が抱き合っているのを目撃した。
 一瞬ベアハッグかフロント・スープレックスの体勢かと思ったがそうではなかった。あまりの衝撃に二度見、三度見してようやくその光景が何なのかを理解した。舞台裏でほかのサークル員もいるなかで何をやっているんだと思ったら、周りの反応を見るとそれほど意外なことでもなさそうであった。むしろ、ああそうねよかったね的な雰囲気すら見せていた。
 しかしなぜサノが、と思ったが周囲の会話から漏れ聞こえてくる内容を総合するとその女の子は今日初めて舞台に立ってネタを披露した出演者で、今日のためにネタづくりにたくさんの時間をかけ、何度も練習を重ねた。その課程で相談相手だったのがサノだったそうだ。そして本番、凄まじい緊張のなかで立ったライブが成功に終わり、歓喜のあまりサノ先輩に抱きついたのだという。話としてはなかなか美しいがガリガリのサノに千代大海のような体型と千代大海のような顔のつまり千代大海そのものの女の子が飛びかかって抱きつく様はいささか滑稽ではあった。
 それにしてもあのサノに彼女ができるなど、全日本プロレスから三沢、小橋をはじめ所属選手のほぼ全員が離脱し、新団体「プロレスリング・ノア」を旗揚げしたことなどどうでもよくなるくらいの事件だ。サノは全日本のことはどうでもいいのだろうか。何とも嬉しそうに彼女と話しているサノを見ていると、彼にとってプロレスよりもこのサークルでの存在意義を選んで生きているように思えて、全日本分裂騒動の話題で話しかける気にならなかった。
 もう完全に自分の居場所はなくなったのか。

 夏休みに入ったが自分を取り巻く状況は何も変化していなかった。サークルを辞めようかどうしようか迷っていたが辞める話をしようにもライブの予定が九月までなかったので、部室に行く機会もなくカザマに電話をかける勇気もなく、結局形の上では所属したままであった。ただ大学に行かずにコンビニと自宅を行き来するだけの日々が始まり、無尽蔵に溢れ出る“自分しか存在しない時間”をどのように過ごすかに対峙し続けていた。自分のうちにもパソコンが欲しいなと思う。インターネットというのは結構な時間つぶしになるらしいから。バイトの給料でプロレスのチケットを買うということも可能であったが、一人で行くととてつもない孤独感で一切楽しめない気がして無理だった。
 そもそもプロレス界も迷走していた。ついに自分が望んでいた“新日本プロレスの所属レスラーとグレイシー柔術家との対決”がPRIDEで実現し、ケンドー・カシンこと石沢常光がハイアン・グレイシーと戦ったがあっさりと負けてしまい、しかも柔術家に関節・締め技ではなくパンチのラッシュでKOされるという、何とも落胆させられる内容だった。引退した橋本を巡っては、バラエティー番組で少年たちが復帰を願う千羽鶴を一般視聴者から募集するという、何だかセンチメンタルな企画が行なわれていた。たぶん、復帰しても小川直也には勝てそうな気がしないし、PRIDEになど上がりはしないだろう。
 強くなかったプロレス。面白くなかった自分。海で日に焼けて帰って来たコンビニバイトの同僚たちを横目に一人レジで働きながら、そうだよな会話もろくにできない自分にはこういう役回りしかないよなと思うしかなかった。

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