見出し画像

グレゴリオ暦を重要視できなくなったら、年が明けてだいぶ時が経ってしまいました。昨年の後半は、ある道を選ぶとその先が分かれていて、また選ぶとさらにその先が分かれていて…というような感じだったように思います。そして、もう道が交わるとは思えなかった友人が、横を見ると自分の歩いている道の平行にある、声も届くくらいの距離の別の道にいたりして。そうかと思うと、話しかけただけでまだ何を話すかも言い終わらないうちに、見えないくらい遠くに行ってしまった人もいたり。道は右か左の二つではなくその先もY字に細かく分かれていて、日を追う毎に共感できる人がいなくなってしまったように感じていました。大まかには共感しているけれど細かい部分では同意できないみたいなことが増えていったように思います。自分の軸というものが太くなってきたからでしょうか。

物事は、良い・悪いでは分けれられないとつくづく思うのです。良い行いのように見えて何かの情報に流されているだけの場合もあるし、常識的に悪い行いのように見えて、常識という情報そのものが間違っているということもあるでしょう。善のように見えて裏が見抜けていないだけかもしれないし、悪のように見えてそのおかげで極悪が炙り出されているのかもしれません。というわけで、年始は少し氣持ちが混沌としていました。

ここで突然お茶の話です。お茶の葉というものは何茶でも同じ茶葉だとご存じでしょうか?お茶の葉を蒸したものが日本茶で、発酵したものが紅茶、半発酵したものが烏龍茶なのだそうです。お茶の色もそれを表しています。日本茶は緑色をしています。紅茶は赤で、烏龍茶は茶色ですね。緑と赤は補色といって真逆の色です。補色を混ぜると茶色になります。まさにお茶の色も製法と対応しているのです。烏龍茶はどちらも含んでいる色をしているのです。そして烏龍の「烏」と「龍」は「太陽」と「月」を表します。陽と陰です。『道』というタイトルを決めてから、道=タオだなと思っていました。陰陽は陰が悪い陽が良い、ということではなくどちらもあってバランスが取れるというものです。今は陰が極まっていて、これからは節分を迎えて陽の氣が増してくる時期なのではないでしょうか。

これからは極悪と思われるようなものは無くなっていくでしょうが、意見の対立というものは発生してしまうでしょう。そのとき「それもあり、これもあり」と他者を認めることができれば、優しい世の中に向かうのではないでしょうか。もちろん自己主張もしながら…。

今年もこのように氣になることを書いていきます。           ご縁のある方々へ、今年もご機嫌よく過ごして参りましょう!

では、また。ご機嫌よう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?