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私の誕生日/妹の誕生日

 4月生まれの宿命として、新しい環境で誕生日を祝ってもらうことはそうそうない。仲良くなって、誕生日の話題に至る頃には、たいてい自分の誕生日は終わっている。

 でも今年はひょんなことから新しい職場で誕生日の話題になって、ちょっと言いづらいな、気を遣わせるなと思いつつ、「実は来週なんです」と言っていたもんだから、みんなにおめでとうと言ってもらう。昼休みは、高級中華料理店のリーズナブルなランチに上司が連れ出してくれた。

 それにしても今月の生理は重い。すこぶる体調が悪かったが、職場の最寄りの花屋でカフェラテという名前のバラを3本買って帰った。いい気分とわるい気分が併存することもあるんだなと思う。雨の都市は不快指数が高い。体調が悪くて地下鉄に乗っているのに、地下鉄に乗ったことで体調が更に悪くなる。

 このままだと誕生日の夕食が冷凍うどんコースだ、それは避けたいと思い、頑張って商店街に寄る。イタリアンのお惣菜屋さんで、ラザニアとキャロットラペ、フルーツのマリネ、あとブラッドオレンジジュースを買う。気取っていないのに、ちゃんと美味しくて、普通のスーパーで売ってないような野菜や調味料なんかもおいている最近お気に入りの店だ。食欲はあるみたい。

 気を持ち直して帰宅。郵便受けを開けると、少しだけ期待していた郵便物が届いていたので、いい気分が完全に勝利した。うれしい。

 翌日、妹がやってきた。私の誕生日の翌日が、妹の誕生日だ。私が東京に引っ越したと聞いて早速仙台から乗り込んできて、誕生日当日から2泊した。誕生日に姉と過ごすほど暇なのかと突っ込もうかと思ったけど、私だって人のことは言えない。

 商店街まで出て、韓国料理を食べる。会うのは2年ぶりだった。相変わらずバリバリ働いて稼いでいて偉い。元来、タイプの違う二人で、もう一緒に暮らしたりするのは絶対無理だと感じる一方で、お互いがお互いにしか話せないことがあり、世界で唯一の理解者である部分を持つ、そういう不思議な姉妹関係だ。

 誕生日にはべったりと憂鬱な影が張り付いている。それは自身の出生や出どころである家族について考えるからだ。今年は、親に、転居したこと、元気でやっていること、転居先をこれ以上追跡されたくないこと、をはっきりと伝えた。妹がこのタイミングで来ていなければできなかったかもしれない決断だったので、来てくれてありがとう、と思った。

 忙しい彼女が4連休を取って東京へやってきて、ついでに愛知のジブリパークに遊びに行こうなどと言ってきたので、珍しいと思うと同時に少し心配もしていた。姉としてできることは、同じ部屋に布団を敷いてあげて、ちょっとした朝ごはんを出してあげるとか、それくらいのことかなと思ったので、そういうふうにして過ごした。一日目は環境が変わってあまり眠れなかったみたいだけど、二日目は遊び疲れたのかびっくりするほど爆睡しており、その寝相が見覚えのあるものだったので、私も安心した。

 基本的に一人暮らしをしていてそれがつらいということはあまりないのだけれど、客人が来て帰ったあとは、どうしたってぽっかりしてしまう。妹が帰ったあとは、ひとりで夕食を食べる気になれなかった。飲食店街の方へと歩く。どの店からも美味しいにおいと話し声や笑い声が聞こえてくるので、知らない郊外の住宅街を歩いているときのような孤独を感じた。実際まだよく知らない街なので当然なのかもしれない。雨のなか一時間ほどかけて歩き回ったけれど、結局元の場所へ戻ってきてしまって、スーパーマーケットで買い物をして帰った。

 愛知までわざわざ行ったのに、暑くて疲れて、芝生でダラダラしたり四つ葉のクローバーを探したりしたこと、二人してクローバーを見つけて写真を撮ったら、カップルの匂わせ画像みたいになってゲラゲラ笑ったこと。誕生日プレゼントは二人とも用意していなくて、使い差しのミニ香水と、TRANSITのメキシコ号を交換したこと。そういうことを、今年の誕生日の出来事として覚えておこうと思う。
 

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