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だから年パス/ささやきに耳を傾ける

 Chromebookが届く。数日前、だましだまし使っていたノートパソコンがついにだめになった。忙しない毎日で大きい買い物を即決するほどの気分的な余裕がなく、とりあえずはこの日記の執筆ができればいいし、持ち運びしやすい軽いものがよかったので、試しにサブスクで借りる。これで長文も書きやすくなるかな。

 昼過ぎ、そうだ新宿御苑に行ってみよう、と思い立つ。途中で近所の町中華の店にふらっと入ったりしながら、徒歩で大木戸門の入場口へ。ゲートの案内を見ていたら、年間パスポートがあることに気づいた。入場料500円に対し、年間パスポートは2,000円。4回で元が取れるなら破格の部類ではと思い、年間パスポートを買ってみることに。とりあえずこの一年くらいは新宿区民でいそうな気がする、でもいつまでも新宿区民でいるかは分からない、という両方の気配ありきの購入なんだと思う。

 ソメイヨシノは見頃を終えていたけれど、園内にはいろんな種類の桜が咲いていて、八重桜系のものはちょうど満開を迎えていた。風が吹く度、あちらこちらの木から大量の花弁が舞い散る。すべての人の上に平等に花吹雪が降り注ぎ、誰もが祝福された主人公みたいだ。おめでたい。一昨日、友人に子が生まれたというLINEが来ていたけれど、4月生まれの私も、こういう暖かくて平和な日和に生まれてきたのかもしれない。

 
 新宿御苑を北から南へ縦断、千駄ヶ谷門から出た。三軒茶屋へ移動。書店twililightで行われるトークイベントを聞きに行くためだった。『ささやきに耳を傾ける』というイベントで、登壇者は井上迅さん、小林エリカさん、竹中万季さん。

 三者の語りと、それぞれの登場人物たちの個人の語り、積み重なる時代の縦の重なりと、個々をまたがる横断的な重なり方が幾重にもあって、それらを地図と年表にプロットしていったところに本当の歴史、その時何があったのか、が朧げに浮かび上がってくる、そんな時間だった。

 一世紀以上前の名もなき少女の語りを真剣に扱うということは、今を生きている自分たち自身の語りを大切にすることにつながる。一見すると超個人的なものこそが、実は超普遍的たりえるんじゃないか、という最近の自分の仮説にも迫るテーマであった。

 有料イベントであったから詳細までは書かないけれど、わたしの心に残ったポイントはこんな感じ。

■うつくしいものが好きなおばあちゃんが、いかにしてそこにたどり着いたのか知りたかった(竹中さん)
■日記はプライベートの検閲のために、校長先生の訓示とその日からですます調に変化する文体(井上さん)
■明治大学平和教育登戸研究室資料館と、燃やせなかったひとりのタイピスト(小林さん)

 普通の人の普通の声をアーカイブすることの難しさは、東日本大震災のときに体験した。当時「風化に抗う」という言い回しもよく見かけたけれど、そのとき市井を生きていた人たちの実感がこもった声の収集は難しく、葛藤を伴うものだった。当の本人たちですら、刻々と変化する状況の中で、忘れゆくもの(場合によっては忘れたいもの、語りたくないもの)でもあるし、「自分の体験なんて大したことない、語るに値しない」と思っていたひとも多かったと思う。

 13年経った今、個人の語りはその人のエピソードであるところをだんだんと離れて、時代の資料となりつつある。あのとき「それを話してもいいんだよ」「そういうものこそ今聞いておきたいんだよ」と誰かが耳を傾けなければ語られることがなかったものが、少しでも掬い取れたのだったら意味はあったんじゃないだろうか―、今年の3月11日は、はじめてそんな風に捉えることができたのだった。

 長年ファンだったme and youの竹中さんにお会いできて幸せな気持ち。竹中さんの文章を読むと、いつも「自分もこれでいいんだ」と思える。サインしてもらったばかりのオレンジ色のちいさな本を、コートのポケットの中で撫でたり、取り出して眺めたり、少し読み返したりしながら帰る。

大きなものが小さなものを押しやり、都合よく「きれいな世界」を見せようとすることが多いなかで、それでもやっぱり小さな声が聞こえるほうに耳を傾け続けたい。そして、今からでは遅いんじゃないかとは思わずに、学び続けなくてはいけない。

竹中万季「百年前、この街で暮らしていた人たちは」、『わたしを覚えている街へ』より

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