ループもの人気を考えてみる。
ループものって、どうしてこんなに人気があるんだろう。
と、ふと真面目に思った。今までも猫と遊びながら「は〜なんでこんなに人気あるんだろね〜」とか真面目じゃなく思ったことはあるけど、今回は真面目に考えてみようと思った。きっかけは、この記事。
AAAタイトルを制作する世界に名だたるスタジオ、ベセスダの新作のモチーフが「タイムループ」そのものらしいから。
そりゃAAAクラスのゲーム開発は数年単位のプロジェクトだから、企画が立ち上がったのも何年も前だろうと思う。というか、ベセスダなら10年かけてても不思議じゃない。(わたしスカイリム続編待ってる村に住んでる人です。あ、在住10年!)
けどAAAタイトルの予算って1億ドルとかで、それを回収できるって数年前から見込んでたなら、そのモチーフ自体も数年後それなりに人を引き付け続けている可能性が高い、という判断があったってことで、きっと。その、1億ドルの予算を認める人たちに。
……1おくどるのよさんをみとめるひとたち、ってちょっとリアルに想像しにくいけど、でもきっとそうなんじゃないかなって。
という流れで「そうかぁ、ベセスダもループものか。そして高評価か。ってことは、まだまだ全盛なのかな…」と、ループもの人気を再再々……再度実感したところです。
ループもの自体の歴史は、長い。
遡れば筒井康隆先生の「時をかける少女」まで行くはずだけど、でも2000年以前は今ほど「ループもの」というジャンルは確立していなかったはず(単にコンテンツの量という意味で)。
でも00年代が終わるあたりから、あちらこちらでタイムループがモチーフ・主題のコンテンツが増えたと思われる。特にここ数年の増え方と人気は「タイムループがクライマックス!」なんじゃないか、と思うくらい。
成熟したカテゴリになって設定も使い方も広がって、もうむしろ「実際には誰一人、タイムリープをした人間はいない」という事実の方がフィクションに思えるわたしです。
ということで、昨今の人気ループものをちょっとあげてみる。
マンガ&アニメ 「東京リベンジャーズ」
ヤンキー×タイムループで「鬼滅の刃」に続くヒット作になるんじゃないか? とか言われたりしてるのはみなさまご承知かと。実写映画化も果たしてる。
ループものにヤンキー、という組み合わせが新鮮。かつ、時間を遡ることで「すでに絶滅ぎみのヤンキー文化」を描くのにめっちゃフィット。
さらに友情×流血×十代、という取り合わせで「エモさ」までてんこ盛れるという、なんていうか鉄壁布陣のループもの。
Netflixドラマ 「DARK」
こちらの特徴をひとことで言うとすると「とにかく複雑」な、ドイツのドラマ。
【ちょいネタバレ】複数人が複数世界の複数時間軸を移動するという、ちょっとこれまでに見たことないような複雑な構成。
主人公がとある時間へタイムリープ中に、その家族も別の時間へタイムリープ、さらに隣のおじさんも……そしてそれぞれが時間へと干渉するので、様々な事象が絡み合い……みたいな、概要を知っていても「自分の頭じゃこの脚本は絶対書けません」と断言できる、混迷な内容。
でも難解すぎないところがすごい。IMDbの評価も高い人気ドラマです。3シーズン完結だけど。
映画 「ハッピー・デス・デイ 2U」
あ、続編です。前作の「ハッピー・デス・デイ」から見ないとおもしろさが半減の半減の半減なのでご注意ください。
前作「ハッピー・デス・デイ」は、ループものの基本を押さえたライトで爽快なホラーで、それはそれでしっかりおもしろいんだけど、この続編は「えっ!?」と驚く斜め上の展開へ。
完全に前作あっての内容なんだけど、もはやホラーでなく何ならちょっと感動系の青春SFに華麗に転身していて、それもループありきの。なんだろう、一粒でこうねじるのかと、驚いた。
そしてこの映画、3作目も予定されてる。もしかしたら「ループものじゃなくなる」って可能性も無くはないけど(さらに果てしなく斜め上へ行くなら)、それでも続編があるってことは、やっぱりループもの人気はまだ続くと見越されてるってことなんだろう。
みんなループものだけど、どれも内容は進化というか、それぞれ新味があっておもしろい。でもみんなループものだけど。なぜこんなに人気あるんだ。
かせつ1:とにかくわかりやすい=カタルシス得やすい。
あらゆるものに「わかりやすさが求められる」「わかりにくいものは忌避される」というのは、もう一般的な常識になりつつあると自分は思ってるし、こんな記事も見かけた。
例えばこの記事の中で、長年商業作品をプロデュースしている方は「テレビドラマはもちろん、映画に関しても、説明セリフの多い作品が20年前、30年前と比べて圧倒的に増えた」と述べている。続編記事にも書かれているが、「誰もが“わかる”作品」が求められているから。
その視点から考えると、ループものの構造は非常に効果的。
ちょうざっくり乱暴に言うと「問題のあるシーンを何度も行き来して問題解決する」わけだから、
・基本は「同じシーン」なので、新たな理解を必要とする情報がたくさん出てきにくい。
・新たな状況が出てきても、前の状況というベースがあるので理解が早い。
・「問題」と「問題解決」がわかりやすい比較で表現される。
と言うことで、ループものは他の構造に比べて、いろいろ理解する手間が省けてしまう。=わかりやすい。
さらに「好ましくない時間軸」が「好ましい時間軸」に変わる、というのは画的にもめちゃめちゃわかりやすいし、タイムループという「繰り返しの苦痛」「科学的困難」を乗り越えたあとにそれが目の前に提示されることで、誰でもすごく明確にカタルシスが得られそうでもある。
あ、そういうことか。仕組みとニーズが今めっちゃフィットしてるってことなのか!
と、ここで自分的にはすごく納得しちゃったので仮説「1」もなにもないっちゃないんですが、それだと仮説提示にならないので、もう一個くらいは出してみる。
かせつ2:つくる側がつくりたい=手数が結果に繋がる。
ループものって、ギミックありきの物語になる。
ここをこう押したら、ここがこう動いて、それ故にこれが……みたいなピタゴラスイッチみたいな構造。
こういう構造って、作り込んでいく快感みたいなのがあると思う。手を入れれば入れるほど緻密になっていって、緻密になればなるほど「ループもの」としては密度が高くなっていくから、欲求と結果の親和性が高いと言うか。
それに、どんどん新味のあるループものが出てきて、それが「凝ってる!」「新しい!」となると、作り手としてはそのジャンルに挑戦してみたくなる、みたいな気持ちが出てくるんじゃなかろうか。
今流行ってるだけにいろいろ数が出てくるから、それを見ていると刺激されるというか。「自分ならこうする」が出てきやすいというか。
さらには、もう完全に「ループもの」という概念が広く行き渡っているので、それをベースにした新しい創作が可能になってきているのだと思う。
↑は例えば、ここで例として上げるのはちょっと適切ではないかもしれないけど「魔法少女まどか☆マギカ」の「魔法少女」の概念みたいなことです。すでに人々の中にある概念を前提として、そこをひっくり返したりすることで新しい衝撃を生み出すことができる、みたいな。
うーん…… 説じゃなくてただの事実の気がする。笑。
自分としては「オール・ユー・ニード・イズ・キル」が公開された時、「トム・クルーズもループものか……これがループものクライマックスだな!」と思ったんだけど、全然まだまだだった。
ずっと「その次はなんだろう」と思ってます。ループものの。
でも今日の結論から想像すると、おそらくこの先も「わかりやすさありき」というのがベースになって展開していくような気がするので、ちょっと眉間にシワが寄る。
いや、特に「わかりにくいものを作りたい」というわけではないだけど、なにもかも説明されるのもしまくるのも、あまりスキじゃないので……
もはや少数派なのだろうか。
自由に想像できる余白を残したい。それが望まれないのだとしたら、そこにまでひたすら書き込んだり切り取ったりしないで、白いままでも楽しめるものをつくる、のが理想なのかな、と今ちょっと思った。
おかしかっていいですか。ありがとうございます。