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パンクロックとデザイン

ロンドンパンクの登場
1977年、私が小学校5年生の時、音楽とデザインが私の人生に大きな影響を与える瞬間を迎えました。1977年10月、唯一のオリジナル・ファースト・アルバム『勝手にしやがれ!!』を発売、セックスピストルズがデビューした。これは音楽シーンにおける一つの革命でした。当時、私の音楽の世界はクイーン、キッス、エアロスミス、レッドツェッペリンなどのハードロックバンドに支配されており、姉の影響で音楽に親しむ日々を過ごしていました。また、渋谷陽一氏のラジオ番組をエアチェック(カセット録音)で追いかけ、音楽への情熱を育てていました。



パンク音楽とデザインの影響
しかし、ロンドンパンクのセックスピストルズが突如として私の人生に登場し、私の音楽とデザインに対する認識を根底から変えました。彼らのファッションはガーゼシャツのズタボロで、髪型はバッサリと切り、音楽はハードで破壊的な演奏と政治的なメッセージを含んでいました(IRA: 北アイルランド解放戦線という言葉も彼らの音楽と共に私の記憶に刻まれました)。そして、何よりも、彼らのファーストアルバムのジャケットデザインが衝撃的でした。そのタイポグラフィ、構成、配色は、それまでのジャケットデザインの慣習を打破し、新しい次元を切り開きました。

パンク精神とクリエイティブへの影響
セックスピストルズの音楽とデザインは一体となり、時代のムーブメントを象徴するものとして私に強烈な印象を与えました。その瞬間から、私のクリエイティブな旅が始まりました。パンクロックは、革命、反体制、破壊、無政府主義、ノンセクト、衝動などのキーワードを含み、私の中で力強い共感を呼び起こしました。これは、大人になった現在でも、クリエイターとしてのコンセプトとポリシーに影響を与えています。


アジアでのクリエイティブの可能性
インターネットの発展により、世界中の情報が手に入りやすくなりましたが、日本にいるだけではリアルな危機感を感じにくいことも事実です。一方、世界の若者は怒りや触発から行動するクリエイターが増えており、特にアジアや共産圏のクリエイターはストイックで、リアルに金に直結する考えを持っています。一方で、日本の企業デザイナーの中には、自身の対価に関してリアルな金の話が少ない傾向があります。これからの時代において、日本を飛び出してアジア圏でのクリエイティブな仕事の展開が、日本のクリエイターにとって有望な選択肢となる可能性が高いでしょう。

サンワカンパニー創業者、山根幸治氏との出会い
芸術大学のデザイン科を卒業した私は大手ハウスメーカーで約10年間の経験を積み、その後、独立して7年間デザイン事務所を経営しました。しかし、40歳手前で新たな衝動に駆られ、サンワカンパニーの創業者である山根幸治さんとの出会いがありました。彼のビジョンは、住宅建材の価格破壊、ワンプライス、日本の住まいを根底から変えることで、これはまさに日本の住生活デザインの変革をもたらすため思想であり、行動であり、全てがパンクスピリッツだと感じ、自身も共に行動することとなりました。


サンワカンパニーと日本の住生活の変革
サンワカンパニーの知名度が上昇するにつれて、消費者は自身のライフスタイルについて考える機会を得、住まいに関する消費者のデザイン意識が高まりました。私たちはまだベンチャーの段階にありますが、これからの展望は次の世代の開発者や経営者の戦略にかかっています。そして、重要なのは、日本人の生活デザインを向上させるための挑戦を継続することです。

ネットに残存する数少ない、山根幸治氏の言葉
サンワカンパニーの創業者の「言葉」から、経営者のパンクスピリッツを感じ取れます。

HOUSE VISION研究会報告|日本
第3回「世界から見た東京/スケルトン住宅」2011年4月26日(火)
サンワカンパニー設立の経緯
ワンプライス導入の衝撃
安い商品は粗悪品か?

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