見出し画像

自分の見たそれを信じられるか

先日、ヒプノセラピーを初めて受けた。
いわゆる催眠療法のことで、ヒーラーやセラピストのによる誘導瞑想を行い、自分自身で"自身の無意識"にアクセスする。
グループセッションのイベントなので、短時間のワントピックスだったけれど、非常に充実した空間だったと思う。

今回参加したコラボセッション
『宇秘咒(ひとつなぎ)』
KAORU| https://instagram.com/kaoruworld007
ASUKA| https://instagram.com/asukabote

何をどんなふうに見るか、感じるか、捉えるかは人によって様々だそう。
私の場合は映画のようなイメージ映像。
カメラワークやカットの入れ替わりなど、アーティスティックな映像編集があったのが「らしい」と言える。

この時見たものは、私の無意識の中に組み込まれている「魂の記憶・記録」であり、過去の魂の在りし日の姿だ。
そう、これを「過去世」と呼ぶ。
でも果たして、あれは本当に過去世で、当時その場所に行けば"わたし"は実在したんだろうか?

そう、実在したかどうか、確かめられない。
人によっては、その存在が後世に名を残さないことの方が多いし、ときには人間でさえない。

私が見たのは、私の「こうありたい」と願う妄想なのか、本当に無意識の先にあった過去の姿なのか。
この葛藤に悩む人は、どうやって始末をつけたのだろうか。
というのも、周囲はすんなりとそれを自身の過去世として受け入れているから。

誘導をしてくれたアスカちゃんは、ヒプノセラピー自体が霊視とは異なり「自分でみる」ものだと、前置きしていた。
傍でハープを奏でていたかおちゃんには、これまで何度も過去世からの言葉やその姿を教えてもらってきた。
私は本当に初めて"自分の目で見にいく"ことをした。
だから、自分は確かに見たものだけど、なかなか「信じられない」でいた。

イベント後、思わずふたりに答え合わせをして欲しくなった。
本当に、私がみた彼女は実在するのか?
彼女が伝えたい真意は?私の解釈で間違っていないか?
でもその日、あまり何も言わないで少しだけ挨拶をして、そのまま帰路に着いた。
なぜなら、その答えを知っているから。

霊視もヒプノも、「何を受けとるか」

"みたそれ"が実在したかどうかは、本質的なもんだいではない。とわかっている

過去世やご先祖たちのような存在。神様や精霊、天使といった存在。
——彼らがその人を守護する存在として、実態はなくとも在ると信じて憚らないかぎりだけれど——
彼らは何を見せたがったのか?を考えるだけなのだ。

これを、いまのこの子に見せよう(伝えよう)。
この子はきっと、こういうものだったら捉えられるから、伝わるはずだ。

そうやって当人にフィックスさせた形で用意しているので、みた過去世のビジョンが実在するかどうかは定かではないし、問題ではないのだ。

今の私に必要な「ヒント」を渡されたと信じる他ない。
「実在したかどうか」を信じるのではなくて
ヒントの真意を探り、紐解くこと。
大切なのは「信じる・信じない」ではないと知ってはいる…。

でもできたら、あのビジョンの先で見た
過去世のエピソードや
無意識の世界に広がったお気に入りだけの世界が
実在して欲しい。
だから「そう、信じることにする」。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?