『君たちはどう生きるか』で実際のお腹がいっぱいになった話。※ネタバレなし

2023年7月15日夕刻。カフェにいて、なぜかふと映画情報を検索。『君たちはどう生きるか』を見つける。えっ! これもうやってたの!? と驚いて確認すると、レイトショーが13分後に上映予定だった。
カフェから最寄りのシアターがたまたま近く10分程で行けそうだったので、即会計を済ませ、シアターが入っているショッピングモールへ。駐車場もいっぱいだったが突き進んでいくと、シアターから一番近い入り口の目の前の駐車場から車が出たので、吸い込まれるように停めた。
歩きながらスマホでチケットをとって、ちゃんとトイレにも行って(大事!)予告編の途中で入館。

堪能して、いつの間に上映してたんだろう? と調べると、なんとその日が初日だった。どうりで、ほぼ満席だった。

1月にスラムダンクを観に行ったとき例の青鷺のポスターを見つけ「7月公開予定」とあり、「えー!絶対みる!」と声に出して言った。宮崎駿さん大リスペクトなので。
そんなことはその日まですっかり忘れていたのだが、1月に決めていたから、ちゃんと初日に観に行ったんだな。
さすがわたし。

宮崎監督の映画は、リアルでは『もののけ姫』から、
『千と千尋の神隠し』
『ハウルの動く城』
『崖の上のポニョ』
『風立ちぬ』
と、上映はすべて観に行っている

もうこれで監督を退きます、と言われてからまだ作品が同じ時代に生きて観られるよろこびよ。
ネタバレされるの大嫌いなので内容は言いませんが、

もののけ姫から、千と千尋、ハウル、ポニョ、風立ちぬ、見えやすいモチーフとしては一部紅の豚やトトロから、いやきっと大きくはもちろん、ナウシカからずーっとの、監督の死生観、いのち観が、こう極まったんだなと思った。(好き勝手言ってます)

エンドロール最後の

  原作・脚本・監督 宮﨑駿

の字で、鳥肌がザンっと立った。

帰ってから、色々な人のコメントや分析を漁る。何が何のメタファーなのか、オマージュだったのか、同じ見方の人がいたかとか。裏話や予備知識がある人の見解とか。
一度自分で感じた上で、その後あれこれ見るのが好き。

宮崎監督は現在82歳でいらっしゃると知り、本当の化け物でいらっしゃいますねと泣けた。

今回、ポスターと題名以外の告知はすべてなしだったということも、テレビを見ないので自分が公開日を知らなかっただけだと思っていた。どうりで、鑑賞後パンフレットを読みたくてショップに行ったけどなかったのも、後日販売の徹底ぶり。

この情報の時代、情報がないことがエンターテイメントになると思ったという鈴木プロデューサーに痺れる。

確かに、予告編って命がけで人に興味を訴えるから観たくなるけれど、いざ映画を見たらそこまで面白くなかったりする。予告編という作品としてもう完成していて、実際の映画の文脈とは切り離されたキャッチーな画と音をこれでもかと組み合わせてるもんね。

そういう興味の引き方の一切をせず、国民的、世界的に知名度がある宮崎監督の長編映画であるという期待と興味のみでどれだけ観客を動員できるのか、もはやそれは巨大な社会実験であると称した人もいる。
国民や世界を巻き込んで実験できるなんて、なんてワクワクする。
誰にでもできることじゃないことをできる人がやっちゃうのが、痛快だ。

同じことはしない。わかってることはしない。その時いちばんやって「みたい」ことをする。やった「方がいい」ことではなく。
どうすれば観客受けが良いかなど、わかり尽くしてきた今までがあっての、監督が好きなようにした、自分にもわからない、というそのステージに自分を放れること。
並大抵ではできないと思う。
同じことをしない、ということは、恐ろしいことであるから。

7年もかけて作成した10年ぶりの長編、10年前の風立ちぬで長編を退くと言ったことを事実上覆してからの長編、人生で最後になるかもという位置付けの長編で、それをやってみせること。
本当にグッとくる。

最初に観た日、急に行ったから食事もしてなかった。でも終わった後、おなかいっぱいになっていた。
よく、精神的に満足することを「おなかいっぱい」と言うけれど、実際体としてもお腹いっぱいになってて、何も食べたいと思わなかった。

作品に込められた気を食したと思った。
丹精込められた美しい料理は少しでお腹いっぱいになることはよく感じるけれど、映画でお腹がふくれたのは初めて。

そして、翌日2回目を観に行った。こんなことも初めてだったのだ。