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裸足で掴む天と、靴下のなかで触れる自分の熱。

木製の床の感触が好きだから、家のなかを歩くときはずっと頑なに裸足だった。

寒がりなのに、素足で床を掴んで歩けるのが嬉しくて、冷えてる感覚はあんまりなくて。

寒い季節、服は着るけど、そっと包み込む感覚よりも、キュッとしめる感覚の強い服が好き。羽織ったり、柔らかく巻いたりすると温かいようなショールの類は、なんとなく動きづらくなるきがして、いちばん苦手だった。

それが、靴下を履くようになって、からだの冷えと肌寒さという概念を知ってから、軽く羽織れる大判のショールを愛用するようになって。

起きているときも、大好きなふかふかのお布団みたいに柔らかくやさしく包まれるような感覚を知ってしまったら、そこからなかなか逃れられなくなった。

弱くてなんにもできなような自分を愛するひとときっていうのは、歯がゆくて、時々氣が狂いそうになるくらいの感情がめぐるけれど、優しくって心地よい。

でも、できてたことができなくなるような感覚は、心細いし、心許ないし、不安にもなる。

裸足の指でしっかりと地面を掴みながら歩いていたとき、わたしはひどく夢見がちで、流れゆく自然の変化を感じながら、自分のみちを生きていた。

その頃のわたしは、まわりから言わせると地に足がついていなくて、わたしから言わせると、天地がひっくり返っている感覚。

地面を掴んで歩くはずの足は宇宙の星を掴むように無限に広がる海に身を委ねるのを怖がって、だけどひっくり返った自分を戻す術もわからずに、いくらか緊張しながら世界を見つめたまま、好奇心に逆らえずに、天の地面に足をつけたまま、必死にわたしが「その先」にあると感じた大きな大地に手を伸ばしていた。

そうして掴んだ地面はわたしにとって温かく、優しくて、わたしを育てて導く愛だった。

くるっとひっくり返っていたからだが、みんなが言う大地じゃなくても、どこか、大きな大地に着地して、わたしの足は地についている、とはっきりと感じられるようになったのは、この頃から♪

そうしてわたしは天の大地を掴んだまんま歩き続けたのですが、ある時からふと、靴下を履いたらね、わたしの足は靴下に優しく護られて、包まれて、そんな心地よい甘さのなかで、今度はわたしはわたしにしか、触れられなくなったんだ。

掴むのは地面でも天でも星でもなく、わたし自身で、" わたし "を通して伝わる熱だけ。

その、ごまかしのきかないいのちの熱を生きはじめた時から、わたしはどんなに幻想みたいな現実を生きていても、「地に足がついてる」と言われるようになった。


靴下のなかで感じた自分の熱は、熱かったり、冷たかったりする。

普段は自分から見えない足の裏が触れている熱と世界に感覚が澄まされて、感性が開いていく。

靴下を履かない頃の方がわたしのからだは動くことを恐れずに、素早い行動ができていたなぁと感じる。

自分のからだの先の熱を常に掴んで生きていたから、弱さよりも強さを生きることを、選び続けていられていたような^ ^

そして靴下を履いたわたしは、今度は自分の熱だけをありのまま感じるようになって、とことんまでに弱くなった。

ガムシャラに走るのをやめて、飛んでいるとき以外は、一歩一歩を踏みしめて歩くようになった。

弱い自分は、案外楽しくて、可愛くて、愛しかった。

そうして靴下を履いた代わりに、次々に別のものを脱ぎ捨てていき、そこから新しいSenseが広がっていったのはまた別の話♪

雪のなか、冷えてゆく指先を感じながら、それでも温かな熱が自分のなかにあるのを感じた今日は、靴下を二枚履きたいようなきもち。

今は自分の熱のなかに、天の大地を掴んで歩いています♪


地球に暮らす、さやかより♡






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