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詩の日誌 「抽斗の貝殻のように」 4

「つもりつもるなら」

 いつのまにか積もり積もって……とたまに聞くけれど、何かを口に出せずに過ぎてしまうことは、そんなにつらいことだろうか。
 
 ときどき、言葉を発することが、たとえば木の葉がかすかに揺れ、そこから陽が注ぎ、一瞬だけ視界が明るくなり、またすぐに前の暗さに戻るくらいの些細な出来事に思われることがある。

 表面で交わされた言葉のさざなみが、胸の深い底にはいつまでたっても届かない、というようなことが。
 そんなときには、あえて、何も言わないことを選んでもいいのかもしれない。
 
 桜が咲いた、散った、などと騒いでいる時期を過ぎて、あ、いつのまにか葉桜、残った葉がたくさん揺れている、と、ただそれだけ。
 見た次の瞬間には忘れてもいい軽やかさで、言葉も感情も風になびきながら残ってゆくのなら。

 そうした葉桜の下をあえて選んで通り抜けてゆくひとの後ろ姿は、どんなに大きな声で伝えられた言葉よりも、きっと忘れられないものとなる。
 
 池辺葵の漫画『かごめかごめ』の、ひとつも台詞がなく、指先や視線のほんの少しの動きで時間の停滞と流れを感じさせる、静かな、けれどいつまでも心に残るページを眺めていて、そんなことを思った。

 『かごめかごめ』は、南フランスを思わせる土地の修道院に暮らす修道女たちの日常とある喪失を描いた、全篇カラーの作品。
 やわらかなひかりと影の推移がとても魅力的で、とくに、修道院の外の緑の強い明るさと、室内のほの暗さのそれぞれの広がりと輪郭の交わりは、本をひらくたびにはっと息をのむうつくしさだ。
 
  池辺葵の漫画にある、台詞と台詞のあいだの「間」や、人の背後に広がる「白さ」。読む人に意味を押しつけずに、でもたしかに手渡してくれるさりげない体温や気配がとても好きで、『繕い裁つ人』をはじめて読んだときから、新作をいつも楽しみにしている。

 どの作品も好きだけれど、とくにこの『かごめかごめ』は読みはじめてすぐに、誰の声も聞こえない、無音のまばゆさに一目で惹かれた。
 
 音のない場面に向かって、それまでに交わされた視線や感情が流れこんでゆく。
 その静かな空間に佇むひとの横顔や後ろ姿は神々しいほどで、何も言わないでいいよ、と自分に許すことは、花が葉桜になることを認めるくらいに、ほんとうは安らかな態度なのだろうと思えてくる。
 
 身体のなかに積もり積もるのなら。
 こんな佇まいからこぼれる無音の言葉を積もらせたいと、自然と願ってしまう。

 音のない音楽に似た平穏を胸の奥へと無理なく呼び込む、静謐な器のような本。たとえば眠れない一夜のための。



池辺葵『かごめかごめ』(秋田書店)





詩の日誌「抽斗の貝殻のように」5

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