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詩の日誌「抽斗の貝殻のように」13

「くらやみ。きみを抱きしめるための」
 
 思い出のなかのろうそくの火は、焰を包もうとした手のひらと一緒にある。
 生まれた土地の、真夏の迎え盆。先祖の霊を家に招くために墓地で一本のろうそくに火をつける。風の強い日はとくに、まだ小さな火のおこりを片方の手のひらで慎重に覆いつつ提灯に入れた。
 家に帰る途中でたびたび提灯の内側の揺れを確かめ、風を入れないようにいつもよりゆっくりと炎天下を歩く。いくつもの木蔭を抜け、家のひんやりとした仏間に火をようやく移すとき、父はろうそくをふたたび、丸くした手のひらでさっと包み、守るしぐさをした。
 仏間に白く灯る焰のなかには、父が子どもの頃に亡くなった、永遠に若いままの祖母もいた。
 
 包む。それは多くの場合は、包装紙や布で中身が見えないように覆うこと。
 わたしはときどき、完璧に包装されたものに息苦しさを感じる。自分以外の人の目や手で汚されないようにまるごと覆う。そこには贈る相手への礼儀や気遣いもあるだろうが、その儀礼のなかには、外の世界に所有物を送りだすことに対する怖れや警戒も無意識に漂う。
 隙間なくきっちりと包まれた、中身のわからないもの。それを受け取るとき、わたしは少し緊張する。
 
 しかし、手のひらで何かを包むとき、それを完全に包むことはできない。ろうそくの火を覆い隠すこともできない。ひかりは指のあいだから、すぐにこぼれる。そこには、中身への愛しさゆえに、包みきれないことは承知のうえで、包み、守ろうとする手の動きがあるだけだ。
 包装紙や布と同じ役割を果たせない不完全な人の手は、包もうとするものに自然と包まれてしまう。
 人の手は火を包みながら、火に包まれてゆく。
 
 ルーヴル美術館にあるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品「大工の聖ヨセフ」。
 この絵に描かれるのは、暗い室内で木材を細工するヨセフとまだ幼いキリストの姿。一本のろうそくの火によって二人は闇のなかに白く浮かびあがる。もちろん火の灯るろうそくは信仰の象徴として描かれたものであるし、その意味と背景を丁寧に読み取ることは西洋の絵画の楽しみ方の一つだと思う。

 それでもわたしは、こう願うこともある。一枚の絵にしても、一篇の詩にしても、意味が意味として脳内に定着するまえに、直感としてさきに心身の奥に流れてくる物のかたちや色やひかりや音をできるだけ長く、ただ眺めていたい……と。 
 この有名な絵画の場合も、そうだった。父の作業を照らす火を消さないようにと一本のろうそくに添えられた少年の手が、焰の色に無防備に透きとおっていることに一目で、深く惹かれた。火を包みながら、火に包まれる幼い手の、目にしみるような真白い暖かさに。
 
 人が素手で火を守ろうとするとき、包むものと包まれるもののあいだには埋められない隙間が、暗闇がある。そのことにもほっとする。
 何かを包み、守ろうとするものが、その何かによって闇とともに包まれ、自然と守られてしまう。この一瞬に、双方の思いは血のように初めて通いあうのではないかと。
 
 暗闇のなかの火、としてやはり思い出す一篇の詩がある。
 ジャック・プレヴェールの「夜のパリ(Paris at night)」だ。
 シャンソン「枯葉」の歌詞や映画『天井桟敷の人々』のシナリオを手がけた彼の詩には、平明な言葉で日常のシーンを描いたものも多い。この詩も、形容のないきわめてシンプルな言葉で、原文でも翻訳でも六行のみで書かれている。
 恋人(未満かもしれない)の顔を見るために三本のマッチを一本ずつ、夜のなかで順番に擦ってゆくという内容の詩だ。
 
 はじめの一本は「きみの顔をくまなく見るため」。二本目は「きみの目を見るため」。三本目は「きみのくちびるを見るため」に。

 原文では、「見るため」=pour voir(プール ヴォワール)という空気を優しくひらくような音につづいて、きみの顔(ton visage トン ヴィザージュ)、目(tes yeux テ ジュ―)、くちびる(ta bouche タ ブーシュ)という、詩を読む人のくちびるの隙間をも震わせて流れるささやきが、脳内で甘く響く。
 そうした甘やかな息づかいに沿って、一行ごとにマッチが一本一本ゆっくりと灯され、顔、目、くちびる、とふたりの距離も近づいてゆく。

 詩はここでは終わらない。三本のマッチを擦ったあとに残るものについて書かれている。

残りのくらやみは今のすべてを思い出すため
きみを抱きしめながら

ジャック・プレヴェール「夜のパリ」小笠原豊樹訳


 わたしはきみを包みながら、きみに包まれ、そしてふたりは「くらやみ」に包まれる。
 人の心は移ろいやすいもの。だからなおさら、この瞬間に、包み、包まれること。この詩はそう、うたっている。
 
 いつかふたりが離れてしまっても、マッチを擦り、相手を知ろうとしたしぐさがあったことだけは、記憶の隙間に残るのだと。
 手のひらのなかの火が灯りつづける、愛しい「くらやみ」として。







詩の日誌「抽斗の貝殻のように」14

「くり返しの、待ちあわせ」