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ひとりのときに香る霧(森茉莉と香水と)

 このところ眠りにつくまえに、最近書いた一篇の詩のなかの、漢字とひらがなを取りかえたり、形容詞と副詞を消したり加えたりすることを飽きもせずにくり返している。
 一語一語の視覚的、聴覚的なふれあいを調整するのは、詩を書いていてとても楽しいことの一つ。人に見せるため、というよりもまずは自分のために、心から惹かれる色や素材のスカーフや折り紙を選び、重ねてゆくような面白さがある。
 現実の生活では、思い通りに花を咲かせ、小鳥を鳴かせることはできなくても、言葉と言葉の重ね方や離し方しだいでは、その接触点から見えない花の香りや鳥の囀りを感じさせることすらできるのでは……と夢見る。

 まず自分自身が深く引きこまれる香りや色、音を見つけるために、言葉と言葉の組みあわせを探る。そんなとき、日常の時間ではあまり味わえない「充実」が身体の奥から静かに湧いてくる。
 この静かな活力とも言える充実感は、今朝、たまたま再読したくなり鞄にその本を入れた森茉莉の文章を読むときの心地よさに近いのかも……とも感じた。

 学生の頃から、森茉莉の文章を読むと清々しく前向きな気持ちになれた。彼女が心から惹かれるものに対する濃やかでゆるぎない(頑固なまでの)愛情がそこには表れているからだ。
 「好きなもの」の魅力とそれに対する自身の偏愛をあますところなく掬う言葉は、愛の対象の移ろいやすい輪郭に沿って、このうえなく繊細な霧のように、ときに比喩を駆使しつつ、陶酔と夢の奥へと広がってゆく。

 たとえば、「巴里(パリ)の香水専門店の記憶」について。

 巴里の香水専門店の記憶。(……)蜂蜜色の女の皮膚が、ほんの微かな何かの痕まで見られてしまうような、月を映写する為のような電燈の光はなくて、奥の方は殆ど暗い。辺りの壁面は黒の天鵞絨(ヴエルウル)で張られ、処々(ところどころ)中へひっこんだ飾り棚があって、淡い褐色(ちゃいろ)や薄緑の香水が、大きな男の手で摑んだら壊れてしまいそうに薄い、華奢な硝子の壜の中に入って、黒天鵞絨の深い艶(つや)の中に湖のように静かだ。綺麗な、フランス語が聴える。フランス語という国語は怒鳴ったり、怒ったりするための言葉ではなくて、愛したり、香水の話をするための言葉だ。

「香水の話」(森茉莉『私の美の世界』「夢を買う話」より)

  森茉莉の目には、ありふれた朝の食材である「卵」でさえもこう映る。

 真白な卵の表面は、かすかな凹凸があって、新しく積った雪の表面や、平らにならした白砂糖を連想させるし、またワットマンなぞの上等の西洋紙や、フランスの仮綴じの本のペエジにも似ている。紅みがかった殻もきれいで、そのごく薄いのは、弁柄色をした土の上に並んでいたスペインの家々の壁の色を思い出させるし、またいくらか薔薇色をおびて、かすかに白く星のあるのは最高に美しい。卵の形や色には、なんとなくいかにも平和な感じがある。それが好きである。

「卵料理」(森茉莉『私の美の世界』「貧乏サヴァラン」より)

 心惹かれるものや美しいものを、もっとも自分の好みに合うかたちで愛する。そんな朗らかな親密さに満ちた文章を読むと思い出すのが、昔、わたし自身が愛していた香水のこと。それはやや物騒で挑発的な「OPIUM」(オピウム=阿片)という名前の香りだった。
 その香水の名を知ったのは大学生のとき。詩人としても映画監督としても好きだったジャン・コクトーの「手記」と同じ名前を持つ香水。どんな香りなのだろう?……と興味が湧いた。
 
 しかし強い香りを嗅ぐのは子どもの頃から苦手で、香水をつける習慣もなかったので、香りの存在を知ってからも数年間は、実際に壜を探すこともなかった。「オピウム」を初めて肌につけたのは、一年間のフランス留学を終え、帰国するまえの空港内の化粧品店でだった。店員にすすめられ何気なく試すと、マンダリンとジャスミンとバニラの香りが肌のうえでふわっとひらいた。
 香水が肌の温度になじむにつれ、幼い頃に陽のなかで嗅いだ白粉や匂い袋の残り香や、それらがしまわれていた抽斗のほの暗ささえをも感じた。やや古風で翳りのある、生理的に好きな香りだった。

 搭乗前、フランスの思い出に、とひと壜、購入した。それ以来、とくに二十代の頃に続けて、愛用した。けれどもその香りをつけて人と会ったことはほとんどない。それはだれかのためのものではなく、自分のために、自分だけが知る思い出をひらくための香りだった。

 たとえば外出せずに一日中本を読んでいられる雨の日や、休日の前の晩に、部屋の空気にひと吹きする。そして目をとじて、甘い霧をくぐる。すると、なつかしい街の花の香がだんだんとひらきはじめる。だれのためでもなく、わたしだけのために。ひとりで暮らしているとき、そんな時間がとても嬉しかった。

 いまでは、その香り自体も思い出のなかにある。香水をつけるかわりに、わたしは詩を書き、言葉と言葉の肌をかすかに重ねあわせる。
 目には見えない花がひらき、その下で生まれたばかりの小鳥が歌う、自分のためだけの「香り」の時間にいつか、めぐり逢えるように。