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誰かのためじゃなく、自分のための「好き」

少し前の話。
友人が不定期で開催している、とある研究会へ誘われた。

その研究会は、自分の好きな漫画・お勧めしたい漫画について語り尽くすというもの。
毎回テーマを決めて、それに沿ったイチオシ漫画を持ち寄るらしい。
人気の研究会で、募集開始と同時にすぐ満員になるらしいのだけど、たまたま欠員が出たということで私に声を掛けてくれたのだという。

いや、素晴らしすぎない?

大人になってから、漫画に限らず自分が好きなものについて語れる人や場所・機会ってあんまりないなーと漠然と思っていたから、企画者の友人に心からの拍手を送りました。

SNSが充実している今、探せばそういうコミュニティはたくさんあるだろうし、なんなら探してなくても情報を得る機会は多い。
そんな時代に、全く予想もつかない出会いがある(しかも対面で)ということがすごく貴重なことに思えるのは私だけだろうか。

でもね、そんな素晴らしい研究会へのお誘いを受けた私は、参加するのをめっっっちゃ躊躇ったんですよ。

なぜなら、人にお勧めできるほど詳しくないから。
自分が好きな漫画を持っていってもきっとみんな知っているし、なんなら自分よりも詳しいだろうし。
漫画好きを相手に紹介するならなおさら。
なんていうか、自分よりもレベル高い人相手にドヤ顔で語るの恥ずかしすぎない?なんて考えが頭をよぎり、お誘いはありがたかったけど実はあんまり気乗りしなかったのだ。
いや、ドヤ顔する必要はないし、してたらそりゃ恥ずかしいんですけど。

そんな理由で散々ゴネていたら、「軽い気持ちで来てくれればいいよ。なんなら今まで知らなかった漫画や人と出会えるチャンス!」的なことを言ってくれて、確かにな!!!と思えたので参加することにした。

しかし、一度躊躇った私に天罰が下る。
コロナがすぐそばまでやってきて、結局参加出来なかったのだ。

正直なところ少しホッとした。
それまで「どの漫画を持って行こう」「どうやって紹介しよう」と考えまくっていて、実はちょっとストレスを感じていた。すまん、友よ。
ストレスを感じるということは、まあ、そういうことだったんだな。

私は漫画とか小説が好きな小学生だった。
でもその頃は、周りにあまり漫画を読んでいる人がいなくて、漫画を読んでいたりそれを真似して絵を描こうものなら、オタクだとバカにされた。
世代なのか地域性なのか知らんけど、今思えばホントにくだらない。
漫画好きが派生して絵を描くことも好きだった。
ちなみに当時は封神演義の天化くんが好きで、小学校で「イラスト大好きクラブ」を創り合法的に天化くんや好きなキャラクターのイラストを描いていた。
あと、1年生から6年生まで学年縦割りの班があって、それぞれの班ごとに旗を作成するのだけど、実は家でこっそり練習していたONE PIECEのドクロをドヤ顔で掲げたのも良い思い出(遠い目)(ドヤ顔好きだな自分)。

私が小6の時、ハリー・ポッターと賢者の石が公開された。
それ以前の記憶がないので初めて映画館で観た映画だと思う。
初めての映画ということもあったが、魔法という非現実世界の話が壮大なスケールで繰り広げられ、しかも主演はきゃるきゃるラドクリフ(※)!
私がハリポタシリーズを追いかけるのに、そう時間はかからなかった。
※きゃるきゃるラドクリフ=きゃるんとした可愛さ溢れるラドクリフのこと。造語。きも。

映画を観た私は小説を読み、新作が出るのを心待ちにしていた。
TSUTAYAで予約して入荷を待っていたあの頃のわくわくは、今でも忘れられない。
この学校の中で1番ハリー・ポッターが好きで詳しいのは自分とさえ思っていた。

中学生になると、当たり前に自分よりもハリー・ポッターが好きで詳しい同級生が現れて、井の中の蛙感MAXになった。
自分の「好き」よりも更に上のレベルの「好き」を目の当たりにし、私の心は折れたのである。

この経験から私は、自分以上の人はこの世の中にごまんといるし、私ごときがドヤ顔で物事を語るなど、傲慢なことだと思うようになった。
その考えが今でも心の奥底にあり、冒頭の研究会である。

誰かより「好き」のレベルが上なことや知識が深いことが、偉かったり称賛されるって訳でもないのに。
なんなら「好きのレベル」なんて存在しないし、そもそも人と比べるようなものでもないのに。

人と比べることで自分の気持ちを確立させようとしていたのか。
自分で自分の「好き」を認めてあげられないのか。

6/27(火)の星野源のオールナイトニッポンでニセ明さんがリスナーのお悩みに答えるコーナーがあって。
自分が好きだと思っていたものに自信がないというか、他者からの評価を気にするあまり(センスが良いと思われたい、一目置かれたい)自分の好きがわからなくなった、というような相談だった。
それに対してニセ明さんはこう答えていた。

今の時代、SNSもたくさんあって色んな人となんでもシェア出来てしまうけど、まずは誰にも言わずに自分の中だけで自分の好きを育てていけばいいのではないか。
そうすることで育っていき確立されるものや、もちろん消えたり薄れたりするものもある。
どんな結果になろうともそれは「自分」が得たものになる。

脱帽です。
ニセ明さん、最高です。
気付けば2000文字超えてるけどこれは書かずにはいれなかった。
ニュアンスだけなのでちょっと違う部分もあるかもだけど。

私は私の好きを育てていこうと思った。
そして自分が好きになったものを大事にしていこう。

最後にもうひとつ「好き」に関して心に響いたものを紹介して終わります。(さすがに長かった。お疲れ様でした。)



ぼる塾田辺さん、最高ーーー!
ホントにその通りですよね。
田辺さんみたいに楽しく「好き」を育てていきたい。


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