今日はアタリ 今日はハズレ

中学二年生の時、姉2人がウォークマンを買う流れで、特に欲しくはなかったが私も買ってもらえることになった。元々音楽を聴く習慣がなかった私は、「まあ買ってもらえるもんは買ってもらっとくか」の精神で、それほど嬉しくもなかった。

CDも何も持ってない私は、姉がTSUTAYAで借りてきたCDや買ったCD、友達に貸してもらったCDなど全部入れて適当に流す毎日だった。
当時姉達はAKB48にハマっており、私も自然と聞くようになった。可愛らしい衣装を着て、可愛らしい楽曲を歌って踊って、漠然と「ああ、私とは生きる世界が違うんだろうな」と感じた。いいな、羨ましいなと感じることが増えた。

なんでも出来る姉達と違い、要領も出来も悪い私はいつも劣等感を抱いていた。両親から進路についてあれこれ言われ、必ず決まって最後は「あなたのためを思って言ってるんだからね」で終わる。私のためってなんだろう、と考える事が増えた。姉達も"私のため"だと語ることが増え、少し早く生まれたらなんでも言う権利があるんだ、いいなと思うようになった。
この時からずっとなんとも言えない感情に襲われるようになった。家族と言えど人の人生についてそんなにも熱く語ることが出来るのかと、ある意味感心していた。

そんなある日、いつもと同じように両親と姉が、私のためにわーわー言っているのを聞きながら、部屋にこもりウォークマンを手にした。
同じ曲ばかりで飽きたから新しい曲でも聞いてみるか、と軽い気持ちで再生ボタンを押した。
軽快なギターから始まったその曲は、アイドルソングしか聴いた事なかった私にとって刺激的なものだった。
歌詞はイマイチ何を言ってるのか分からないし、中学生の私にとって、全然共感ができるものではなかった。
何だこの曲、、と停止ボタンを押そうとしたその時、

♪~~「余計なお世話だよ」と流れた。

その時なにかストンと心に落ちる気がした。
ああ、そうだ。ずっと"私のため"を謳う言葉たちは全て、「余計なお世話」なんだ、とようやく気持ちを言葉にすることが出来た感覚だった。

その出会いから私は、クリープハイプを聴き漁るようになった。歌詞を見ない限りなんと歌っているのか分からないし、そんなこと経験したことがないはず。
なのになんか自分の事のように感じる曲が多かった。

それからの日々は、何かを言われる度に心の中で「余計なお世話だよ」と悪態をつけるようになり、自分が成長した気持ちになった。

あの出会いからもう6年は経った。
その間理不尽なことや自分だけが報われない感じがして、劣等感や焦燥感を抱くこともあった。
その度に、クリープハイプを聴くようになった。以前は共感出来なかった歌詞に、自分自身を重ねるようになり、大人になったと感じる日が増えた。

見てないようで見てくれてるような、考えてないようでしっかり考えて伝えてくれるような、そんな不器用だけど居場所を作ってくれているように感じているクリープハイプと人生を歩んでいる。ここには書ききれないが、病気になったときも、入院でセンターが受けれないかもしれないとなった時も、就活で苦しんでいる今も、曲に出会って支えてもらっている。これからもまだまだ頼むよ、と彼等に伝えたい。自分のことばかりで情けないよな。


そして、
生まれ変わってもまたクリープハイプに出逢いたい。


#クリープハイプ  
#だからそれはクリープハイプ


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