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頭は男、身体は女性の状態の人

無名人インタビューをしていると、今まで会ったことのない人と会います。
会うというかお話します、お話して、ああそうだよなこの人も人だよな、と思うのですよね。人は人でしかない、ということを確認えんえんし続ける旅のように無名人インタビューを思ったりすることも、あります。
その中で、多重人格の人と話すことがちらちら増えて、そもそも人間には多重人格性があるのでは? とか、そもそも人間の人格の一貫性というのが怪しいのでは? と思うようになりました?
人間、なんで、一人の人間としての人格をもってなきゃいけないの? と。
家で、会社で、学校で、違う自分でもぜんぜんよくないか?
完全に一致するような自分であることのほうが難しいのではないか?
多重人格と呼ばれる人は記憶障害を伴ったりするわけですが、そうではないにしろ、一般的な感覚として、誰かが頭の中で喋ってるとまでは言わないまでも、誰かならこう言うだろうな、これしたら誰かに何か言われるだろうな、みたいな他人の目は自分の中に入りこんできて、自分の意思決定に影響を与えます。
なんか、こういう様相を眺めていると、自己同一性というもののほうが危うくて、そもそも自分なんてない、あやふやだ、て認識であったほうがナチュラルなんではないのかな、と思った次第。
で、まあ、無名人インタビューゴッ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 宮澤武德(茉莉) さんです!


現在:自分の中に男の自分と女の自分の2人がいる状態が続いている感じですね。


花梨:宮澤さんは今、何をしている方ですか?

宮澤:Webデザイナーとして働いております。デザイナーとしては、そろそろ15年近くになります。ネットでパソコンが買えるような通販サイトの運用をやっておりまして。そこでページをデザインしたり、バナー作ったり。あとはチラシを作ったりしています。

花梨:現在の会社で15年ですか?

宮澤:いえ、会社は結構変わっていてデザイナーとしては15年近くになります。今もう5、6社は経験していますね。

花梨:どうしてWebデザイナーのお仕事を?

宮澤:Webデザイナーになったのは、成り行きが大きいですね。私は高校に通えなくて、中退してるんですけども、その時たまたまインターネットが普及した時期でして。高校に行けない間は家でパソコン触ってネットサーフィンしたり、自分でWebサイトを公開したり、そういうことをやってたので。それが仕事に繋がっていったって感じですね。

花梨:今お仕事をしている中で、どういったお気持ちになることが多いですか?

宮澤:Webの仕事は好きだし楽しいなと思いますけど。本当は、最近は絵を描きたいと思っていて。今通信制の大学に通い出して描いてるところなんですけど。今後はWebの割合もちょっと減らして、絵の方も仕事にするというか、やっていけたらいいなとは思ってますね。

花梨:絵を描きたいと思ったのはどうしてですか?

宮澤:子どもの時からは絵は描いてましたね。小学生ぐらいの時までは、漫画家とかなれたらいいなとは思ってたんですけども。漫画とかアニメって一時期どんどん衰退していってしまって。大人向けのアニメとかそういうのになってきちゃって。子ども向けの漫画とかアニメが作りたかったんで、ちょっと違うなと思って段々離れてしまって。

絵は一時期、高校受験のあたりで1回止めちゃってるんですけども。その後、性別の問題で高校に受かったけど通えなくなっちゃって。それがきっかけで、また絵とか自分の好きな方にちょっと戻ってきたのかなっていうのはありますね。で、高校に通えなかったお陰で、全然行く予定もなかった美大の方に進学ができて。そこからまた絵とか美術、作る方にシフトしていったのはありますね。

仕事はWebをやってたんですけども。で、絵も描かなくなっちゃったんですけど。どうしても絵を描くのをやめられなかったというか、捨てらんなかったかなと思ってます。一時期Webの仕事をやってて、デザインじゃなくてコードだけを書くっていう仕事を任されそうだったんですけど。その時にやっぱ初めて、あっ嫌だなって思いましたね。

自分の得意な絵とかデザインとかを完全にやめてコードだけを書くっていうのは、自分の得意なところを潰しちゃってるなって感じがして。その時に初めてやっぱ自分は絵を描く人間なんだなって思いましたね。

花梨:Webのお仕事をしつつ、通信制の大学ということですが、1週間はどんなスケジュール?

宮澤:通信制の大学は基本土日でやってまして。平日はフルタイムで会社に行って仕事しているので平日は仕事だけで。土日はその通信制の大学に通う日もあれば、自宅で絵を描くとか、課題をやっている時もあります。

花梨:今そういった生活を送ってみていかがですか?

宮澤:すごい充実してますね。やっぱり仕事が物足りないと感じている部分が結構あるので、その分を通信制の大学で発散できるというか。そういう意味ではバランスがいいなと思ってます。

花梨:通信制の大学では、絵の技術を学んでいる?

宮澤:技術を学ぶというよりかは、追求するみたいな方が近いですね。0から絵を描き始めたわけではないので、昔描いていたのを思い出してもっと探求するとか、そういうのに近いと思います。

花梨:探求するとは、具体的にはどんな意味ですか?

宮澤:そうですね。やっぱり見方をもっと広げるとかそういうのかなと思ってますね。やっぱ専門の先生が、通信制の美大なんですけどそこにはいるわけですから。いろんなことを教えてくれたり、これは違うとか言われたり、そういうのでちょっと見方が深まっていくのかなと思います。

花梨:最近印象に残っていることはありますか?

宮澤:最近ジブリ映画を結構連続で見ているんですけども。すごいやっぱ絵もいいし、動きもいいし、すごいいいなと思いましたね。子どもの頃「となりのトトロ」見てたんですけど、あの時に見るのと今見るのとではやっぱり物の見方も変わってるけど、すごくいいものはいいなって思いましたね。

花梨:どうして連続で見始めたんですか?

宮澤:最初にジブリ美術館に行ってすごく良かったので、そこでちょっとジブリに興味が湧いて。でも見てない作品がいっぱいあるなと思って、今レンタルで結構なペースで見ています。

花梨:どういった点が良いと感じました?

宮澤:やっぱり、描き手の気持ちが伝わってくるなと思って。私も絵を描く人間だから、自分もこういうのを描きたいなと思うし、こういうのを描ける人が今いるんだなっていうのが
映画を見てると分かるので。そういうのを感じられるといいなって思いますね。

花梨:絵を描いている時は、どんな気持ちになることが多いですか?

宮澤:考え事をしながら描いている時が結構あって。絵にあんまり集中してないなっていうのはありますね。私は美大を受けたんで、美大予備校とか通ってたんですけども。あの時自分はどういう精神状態だったのかなとか、きつかったなとか、そういうのをいろいろ思い出しながら描いてますね。またそこの辺の整理ができてないので、思いっきり絵に集中できる状態じゃないなって感じてます。

花梨:考え事として過去のことを思い出すのは、どうしてだと思いますか?

宮澤:なんだろう。私は1回ちょっと記憶が途切れちゃってて。22、23で就職してから5年ぐらい、20代後半まで記憶が結構抜け落ちてて。昔と同じことをするとやっぱ昔の自分を思い出せるなっていうのに気づいて。

あの時どういう気持ちだったんだろうか、何考えてたんだろうなっていうのがすごく自分でも興味深くて。やっぱ絵を描いてくると思い出すし。本当は自分はどうなりたかったんだろうとか、どういう大人になりたかったんだろうなっていうのを思い出すために絵を描いていたりしますね。

花梨:それで、何か思い出したことはありますか?

宮澤:昔の若い時の自分はこういう性格だったというか。本当に我が強くて、絶対にこれをやり遂げようみたいなのをすごく思ってたと思うんですけども。もう30半ばに差し掛かってきた今だと、そういう尖った部分がだいぶ丸くなっちゃったなって感じますね。

花梨:性別の問題とは何か具体的に聞いてもいいですか?

宮澤:そもそもの原因からお話しますと、生まれつき体の性別がちゃんと男性か女性かに分かれてない状態だっていうのを最近になって知って。具体的に言うと、首から上が男性。下が女性みたいな。そういう状態で元々生まれてきたんだなと思っていて。それが俗に言う性同一性障害だと最近になって分かって。

子どものときから、自分は女の子のはずなのに、男の自分と女の自分が2人いるような感覚があって。性同一性障害って、幼少期から女の体だけど自分は男だっていう人が多いんですけども、私の場合は幼少期はあんまり男の自分が出てこなくて。
女の子になったり、男の子っぽい自分が出てきたりするなっていうのをなんとなく感じていて。その状態でずっと生きていたら、自分の中に男の自分と女の自分の2人がいる状態が続いている感じですね。

花梨:2人いるという感覚は、どんな感じなんですか?

宮澤:本来の性別は男性だって感じています。体は女性のままだし、見た目も女性のままだけど、仕事をしている時とか、今花梨さんとお話している時は、本来の男性の時の自分で対応します。でも外に出て、女性として振る舞うときとか、会社に行って、女性の自分として振舞わなきゃみたいな時は、女の子の自分に代わってもらうみたいな感覚ですね。
例えば、女の子として遊びに行きたいみたいな。女の子として温泉に行きたい時は、女の子の自分が出てくるし。それ以外に仕事したり考え事したりする時は、男の方の自分ですね。

仕事はWebデザイナーで、パソコンと自分しかいない環境なので、体使わないので男の自分でできるんですけども。誰かとご飯行ったりする時は、ちょっと女の子の自分が出てきたりみたいなそういう感じですね。

花梨:入れ替わっていると、どうして分かるんですか?ちょっと変な質問ですけど。

宮澤:そうなんですよね。なんかすごく曖昧なんですよね。自分でも、男っぽい自分と女っぽい自分の2人がいる認識はなかなかできなかったんですよ。だから、1人の人間が男っぽくなったり、女の子っぽくなったりするのかなみたいな感覚だったんですけれども。

最近になってからはそうじゃなくて。男の自分、女の子の自分は別々の人間が交代交代で出てきてるみたいな、それに近いなっていうのを感じましたね。いわゆる解離性同一性障害の方の話を聞いてると、考え方とか性格とかも違う別の人間が自分の1つの体の中に入っていて、出てくるタイミングが違うみたいなそういう感じなのかなって思ってて。別に完全にその人格が切り替わってる間に記憶が飛ぶとかそういうのもなくて。緩やかに切り替わってるみたいな感じですね。

例えば、男の自分が喋ってる時の記憶は完全に残るんですけども、女の子の自分として喋っている時は記憶があんまり残らないんですよ。半分から7割ぐらいしか残らない。女の子として私が何か対応したっていう事実は知ってるけど、詳しく何をしたってのは私の中であんまり覚えてないですね。

花梨:そもそも、男の子と女の子の自分は、どんな性格なんですか?

宮澤:そうですね。ちょっと幼少期からさかのぼってお話しますと、子どもの時は2人とも性格が似てたんですよ。男女ってあんまりはっきり分かれていなくて。子どもの時は女の子の方が強かった、今の自分より女の子の方が強かったから、女の子のものを好んでいましたね。セーラームーンとかバービー人形とかああいう人形遊びは好きでしたし。

男の子の自分も時々出てくるんですけど、趣味が似てたというか、人形遊びとか小物づくりとかそういうのが男の自分も好きだったので。本当に境目がほとんどなかったんだなって今考えれば思いますね。

子どもの時はそんな感じだったんですけども、15歳ぐらいになってくると女の子だった時の自分の性格とはガラッと変わっちゃって。男の自分が強くなった時があったんですけども。その時はもう女性のグラビアとか、そういうのも好きだったし。あとは、格闘技とか好きだったし、男性が好むような青年漫画が好きなっちゃって。あれ? ってくらい性格が変わっちゃって。

昔の女の子の自分とは考えられないぐらい変わったなと思っていましたね。今もそれは同じです。子どもの時は2人とも好きなものが似ていたなと思ったんですけども。大人になった今は、男の私は男のものが好き。相変わらず青年漫画とかグラビアとか好きだし、女の子の私は本当に女の子の趣味が強く出ていて。可愛い服が着たいとか化粧したりとか美容とか、そういうのが好きだし。男性と結婚したいとか、子どもを産みたいと考えていますね。

男の方の私は別に女性と結婚したいみたいな、あんまりそういう欲がないというか。そこら辺はあまり興味がないんです。やっぱ仕事とか競争とかそういうのが好きなので。もっと仕事できるようになりたいとか、絵が上手くなりたいとかそういうことばっかり考えていますね。

花梨:お互いのことはどう思っているんですか?

宮澤:私は女の子の方に幸せになってもらいたいって思ってますね。最終的に、私の方がどんどん引っ込んで、男女両方の自分がいる自分じゃなくなって、女の子の自分が強くなる状態になっちゃってもいいかなと私は思ってて。女の子の方に女の子として生きていってほしいし、好きな男性と幸せに結婚して、普通の女性としての人生を歩んでほしいなって思ってますね。

一方、女の子の方は、すごく自我が弱いっていうか。自分はこうしたいというのをあんまり持ってないというか。もう出てくる頻度もだいぶ減っちゃってるので。出てきた時は、自分の好きなことをやるとか、そういう感じになっちゃってるんで。あんまり詳しく私のことをどう思ってるかまではあまり言及してないと思いますね。

花梨:頻度が減ったのは最近のことですか?

宮澤:去年、女の子の自分にすごい好きな人が現れて。その時はすごく女の子の自分が、こんなこと今までにないってぐらい出てきちゃって。私の方がほとんど出番がなくなっちゃったみたいな時期があったんですよ。

でも、好きだった人が急にいなくなっちゃったのがきっかけで、また男の方の自分が強くなっちゃって。もう私はなんだろう、女の子の方に好きな人が現れた時は、もう自分の出番ここで終わりかみたいに思ってたんですけども。そしたら、予想外に女の子の方が元気なくなっちゃって。

自分としてはもう、自分で生きるつもりはなかったんだけど、また自分が出てきちゃったなみたいな複雑な気持ちになっていましたね。女の子の方は好きな人がいなくなっちゃったのがショックだったみたいで。今だいぶ立ち直って、出てくる頻度は元に戻ったんですけども。自我が全然出なくなっちゃって、落ち込んじゃって。

花梨:どうして出なくなってしまったと分かるんですか?

宮澤:やっぱ自分ばっかだなって思いますね。自分として過ごしているか、女の子として過ごしてるかの差しかないので。2、3年ぐらい前までは、男の方の自分ではなくて女の子の方メインで生きていたんです。日常生活も、女の子の方の自分でやってましたね。

で、失恋事件がきっかけで、もう出てくる頻度が逆転しちゃって。今は私がメインみたいになってるけど、2、3年ぐらい前までは結構女の子っぽく過ごす時期が多かったです。

過去:やっぱり、男としての自分もいるけど、女の子としての自分もいて、一度の人生で2個の性別をいっぺんに楽しんでるなとは思ってますね。

花梨:幼少期はどんなお子さんでしたか?

宮澤:物心ついた時は、すごい抑圧されてるなと感じてましたね。自分の性別が体の方じゃないみたいなやりづらさもあったと思うんですけども。何もね喋らない子でした。

幼稚園の時もね、友達がいないっていうか。人には興味なくて、物事には興味あったんですよ。アニメとか、本とか。友達と遊ぶことには全然興味なくて、自分の身の周りにあるものにすごく興味を惹かれて、そのことをずっと考えてたって感じでしたね。

幼稚園でいつも1人でいることを先生も心配したみたいで。私は別にその時友達を求めてるわけじゃないので、寂しいとも思わなかったですね。だから、幼稚園にあるおもちゃとかで、永遠と1人で遊べるので。全く自分としては困ってないんですけども、周囲から友達がいないことをちょっと心配されてたなって思いますね。

花梨:どんな物事に興味があったんですか?

宮澤:絵を描くことにも興味あったけど、工作とかすごい好きで。発泡スチロールのトレーを見つけてきて船にしたりとか、何か見つけて作るとかそういうのはすごく興味あったみたいで。別にそれは友達とかもいらず、1人で完結できるので。1人で黙々と何かを作る子どもでしたね。

花梨:抑圧というのは、性別が一致しないこと?

宮澤:それもあるんですけれども。私、聞き手が矯正されてたみたいで、本当は左利きなんですよ。右に矯正されてて、それもあるんじゃないかなと思って。途中で自分が左利きなんだったんだって気づいた時から、本来自認している男性の方の性別が自然と出やすくなって。

だから、幼少期に性別の違和が出にくかったのは、利き手が矯正された影響もあるのかなと思って。性別のことで悩まずに済んだのは、利き手の矯正のおかげなので、それはそれでよかったのかなと思う面もありますね。

花梨:自分の中に2つの性別があると気づいたタイミングはありましたか?

宮澤:性別があるというより、自分が性同一性障害だと気づいたことがきっかけですね。本来の性別である男と、体の性別を演じなきゃいけないから女の子の2つの性別に分かれちゃったのかなと思ってますね。

男の子っぽい自分と女の子っぽい自分は明らかに性格が違うので、これはやっぱ別もんだって最近思うようになって。専門家の先生からも、人間の脳は女性の時と男性の時で使う部分が違って、それぞれが人格化しちゃうことも普通にあるっていう話を聞いたので。そういう風に考えていますね。

ファンタジーとかそういうのじゃなくて、生まれつき性別のおかしいのと、女性として育てられた環境が影響して男女2個に分かれちゃってる感じですね。

花梨:幼少期の頃のご家族との関係はどんな感じでしたか?

宮澤:家族仲はすごく良かったです。中学生ぐらいまでは良かったですね。すごく恵まれていた。いじめとかはなかったです、やっぱり思い返しても。

最初喋らないキャラだったんですけど、本来の性別の男の子っぽいのが強くなった時から、すごく元気で活発なキャラクターに変わっていって、周囲から人気が出たというか、ちょっと人気者みたいなキャラになって。そういう意味では、家族にも恵まれてたし、周囲の人たちにも恵まれてて。親にもすごい感謝してますね。

花梨:男の子っぽいのが強くなったのは、いつ頃ですか?

宮澤:そうですね。女の子っぽいキャラから、だんだん中性的キャラになって。その後、男が強くなるって感じだったんですけども。中3の時はもう明らかにあれっ? とは思いましたね。スカートを履くと、おかしいなって感じたり。それまで履けてたスカートがなんか履けなくなったなみたいな。女の子の枠に収まれないような、居心地の悪さを感じるようになりましたね。別にそれは自分が男になろうとかそういうのじゃなくて、何も考えずに普通に生きてたんだけど、なんか急に違和感を感じるようになった感じでした。

花梨:他にも違和感はありました?

宮澤:中学校から高校上がるくらいっていうのは、男性は男性、女性は女性で性別の違いがはっきりしてくる時期だと思うんですけども。自分は女の子の体なのに、女の子っぽくなんないなみたいな。むしろ、男の方の趣味に興味が湧いてくるし、興味がどんどん男の方に寄っちゃってて。

別にそれはそれで、男のものを好きな女の人もいるだろうし、おかしいと思わなかった。だから、自分は性同一性障害じゃないかみたいな考えもなかった。

花梨:ただ、男の子の趣味に興味を持っているだけ?

宮澤:そうですね。本当に困らなかったです、まだ学生だったし。でも高校は行けなくなっちゃって。
その理由が2種類あって、1個はスカートが履けない。スカート履くと記憶が飛んじゃうみたいな。男の自分が保てなくなっちゃったのもあったんですけども。

あと、体がどんどん虚弱になっちゃって。あれ? って感じで学校に通えなくなっちゃって。それで中退しちゃったんですけど、スカート履く機会がなくなって、高校中退したことで困る機会がなくなったんですね。

その状態が続いたもんだから、性別がおかしいって考える機会すらなくなったみたいな感じですね。で、自分は相変わらず自分の好きなものは自分の個性っていうか、自分はこういうものが好きなんだからこういうの見るんだみたいな風に思っていて。

だから、女性として演じる機会も学生ではないので全然ないですし。たまに、全然おしゃれしない私を見かねて、母と姉がおしゃれさせようとしたんですけど。その時私キレたっていうか、すごい不快だったのは覚えてますね。

花梨:どうして不快だったんですかね?

宮澤:やっぱり、自分のアイデンティティを否定されてるからだと思いますね。男の子に無理に女の子の格好をさせるみたいな、自分に馴染みのないことをされるのと同じなので。自分を否定されてるような感覚だったんだなって思いますね。

花梨:中退後はどんな生活をされていたんですか?

宮澤:なんかもうすごい、ある意味天国みたいな生活でしたね。もう誰とも会わずに家でインターネットやって、好きなウェブサイトを作ってみたいな。その時は大検を取得して、大学受験を目指していました。最初は一般大を目指していたんですけども、あることで母と喧嘩したことがきっかけで、美大に進路を変えることになったんですけども。

受験に向けて絵を描いたり、週に1回か2回土日に東京の方の美術予備校行って絵を描いて。あとは、もう自分の好きなことばっかやってるみたいな。なんか自分としては楽でしたね。ただ、友達との接点は全然なかったので、性格的にはかなり変な方に行ってしまって、たまに人とトラブルを起こしたこともありましたね。

その時は女の子の自分がほとんど出なくて、ほぼ100%今の喋ってる男の自分でしたね。高校中退した15歳から、大学受験して入学するまでの20歳ぐらいの5年間は、もう男の自分全盛期みたいな感じで。

男の人はあんまり協調性がないので、ネット上で知り合った人と、ちょっとしたトラブルもありました。でも、人間関係はそんな深入りもしてなかったので、すごくストレスになるようなトラブルはなかったと思いますね。

花梨:女の子の自分が出ないことに対して、違和感はなかったんですか?

宮澤:なかったっていうか、やりやすかった。私は性同一性障害で、本当の性別は男性という認識ですから、本来の性別がずっといることが正しい状態。女の子の自分が残っちゃってる方がイレギュラーなんだなと思ってて。

たまに、性同一性障害で人格が2個に分かれている人がいるんですけども。女性の体で生まれて、男性自認の方だとあんまりいなくて。女の子の自分もいるよって人も、まずいないので。私の場合はたまたま残っちゃってんだろうなって思ってて。本来はいない存在。たまたま女の子として育てられたのが強く残っちゃってんだなっていう感じなので。

だから、いないのが普通というか。当時は性同一性障害を知らなかったから、男っぽい自分でいられて幸せだなって、快適だなって思ってて、女の子だったことをその時は忘れてましたね。女の子だった自分の感覚を忘れていました、20ぐらいまでのときは。

花梨:思い出したのは、何がきっかけ?

宮澤:大学1年の時に、友達と結構トラブルやらかしてるんですよ。男の方の自分は本当に我が強くて、周囲との調和とか考えないもので、トラブルを起こして。それがきっかけで、ちょっと丸くなったっていうか。1回女の子にぱたんって変わっちゃったような感じでしたね。

20歳前後は、交互に出てくることが多かった気がします。今の自分がすごい自信なくしちゃった時は、私じゃなくて女の子の自分が出てきた時期がちらほらありました。基本は男、たまに女の子みたいな感じだったのかな。だから、どちらかが一切出なかったことはないのかもしれないですね。

だけど、大学3年の時は就活しないといけなくて、女の子の自分を面接とかそういう機会で出さないといけなくなっちゃって。

それを続けているうちに、男の自分が出る機会が減ってきたなと感じてました。あとは、当時リーマン・ショック後だったので、就職もえらい悪くなってて。それを見て今の私は悲観しちゃって、もう駄目だみたいな、鬱思考になっちゃって。気づいたら今の自分じゃなくて、女の子の方に変わってたみたいな、そういう感じでしたね。

花梨:気づいたら変わってた?

宮澤:そうなんですよ。大学4年の時はもう、男の方の自分が本当に元気がなくて。女の子の自分が代わりにやってきてくれたと思うんですけど、その時の記憶がほとんどないんですよ。大学4年以降と、あと女の子として就職した時と、それからの5年間、2015年ぐらいまではほとんど記憶がなくて。

今日、女の子の自分の時に作ったものを見返したんですけど、まだ覚えてないなみたいな。こんなのやってたんだなみたいな。薄っすら記憶はあるんですけども、自分がやったって感覚が全然ないなと思って。

仕事で何やったというのは割と覚えているんですけども。実生活の感覚はほとんどないですね。その当時は、付き合ってた男性と同居していたけど、その感覚は自分の中にはもうないです。でも、女の子の方に切り替われば思い出すのかというと、思い出せないみたいで。

どうも女の子の自分って記憶があんまり覚えられないみたいで。女の子1人しか出てきてない時期はどうしても記憶がないみたいですね。

花梨:赤の他人みたいな記憶みたいな感じですか?

宮澤:そうですよね。女の子として就職していた5年間にFacebookで知り合った人とかは覚えてなくて。誰ですか? とかちょっと前に聞いちゃったんですけど。この時に出会った人ですよみたいなのを教えてもらって、そうだったなみたいな。

すごく薄いというか、私の記憶のない時期に知り合った人なんだなみたいなそういう感覚で。女の子の自分やってた時も、もうすんごい記憶の残りが悪かったと思う。よく生きていたなと思いますね。

仕事も本当にできなかったと思います。だから、仕事の時はもう仕事できないキャラだったと思いますね。

花梨:就職後は、どうやってお仕事をされていたんですか?

宮澤:付き合ってた男性と会社が一緒だったんで。ほぼその人に支えられて生きてたって感じですね。その人のおかげで、何とかできていたというのはありますね。だから、仕事してたのと、その人と付き合ってたっていう事実ぐらいしか残ってなくて。

だから、自分が性同一性障害だったって気づくまでの間は、本当に記憶が薄い状態ですね。

花梨:気づいたのはいつ頃?

宮澤:就職して5、6年経って、当時勤めていた会社を退職したんですよ。その後に派遣社員をやり出したんですけども。時間が急にできたから、Twitter始めたんですよ。で、Twitterで知り合った人が、たまたま性同一性障害の人で。最初、その人のこと男性だと思ったんだけど、本当は体が女性だって言ってて、え? って。自分もそれなんじゃないってのは、その人がきっかけで気づきましたね。

それまで体は女で心が男だっていう人が性同一性障害だと思ってて。別に望みがあって体の性別変えているわけじゃないのねっていうのを知って。

だから、自分の頭が男性で、体が女性の状態じゃないかなと考えた時に、これまでおかしいなって思ったことが、すっと分かったって感じでしたね。だからこんなにやりづらいとか生きづらかったんだと思いましたね。

花梨:気づいた時は、どんな気持ちが強かったですか?

宮澤:なんか安心感が強かったですね。人と話すのもやりづらかったし、このやりづらさは何なんだろうってずっと思ってて。本当の性別は男なのに女の子を演じて人と喋ろうとしてるからやりづらいのねって気づいて。自分のせいじゃなかったんだって思いましたね。ずっと自分が悪いと思ってて、なんでできないんだろうって思ってたし。

だから、気づいた時は安心感がすごくありました。自分を許せたというか、そういう気持ちは強かったですね。

花梨:最初のお仕事は、女の子の方がされていたんですよね?

宮澤:うん。だから、男の時に築いた知識の貯金を切り崩しながら、技術職として仕事をしてたみたいな。私が覚えた知識っていうのは、女の子の方も使えるので。それを使って仕事してたって感じだと思いますね。

花梨:今はもう、男の子の方がされている?

宮澤:そうなんですよ。女の子の方が仕事をすると、溜め込んだ記憶を呼び出せるけど、新しくインプットするとか、書き込むことができないみたいなんですよね。

元々、女の子の方は意欲があって仕事するような性格じゃないので。過去の知識を使うとか、そういうできることできるけど、新しいものを詰め込めない。新しいことを覚えてって言われても覚えられないとか、そういうことが多発してて。

今は原因が分かったから、もう女の子の方は仕事をしなくていいよっていう感じで。男私の方が仕事をしたいし、仕事するのは私の役割。会社にも、こういう事情で本当の性別は女の子じゃないので、できれば男の方で接してもらった方がパフォーマンスが上がりますよっていうのを言う必要があるときは言ってますね。

そうしないとパフォーマンスが下がっちゃうっていうのは感じていますね。女の子として会社でも振る舞おうとすると、それは本来の自分じゃないので。

花梨:今のご自身の状態についてどう評価していますか?

宮澤:まず、普通の人じゃない状態に対してですけど、私はポジティブに考えてます。普通は性別1個のはずなのに、2個あるっていうのはどうなんだろうというと、私以外の人でもいろんな事情で自分の中に男の自分、女の自分がいるよっていう人が結構いることを知ってから、この状態は別に自分ひとりじゃないし、他にもいるんだって思ったら、そんな悲観的に考えるもんじゃないし。

あと、自分の中に2人がいるというのはそれでいいっていうか、他の人よりも得してるって考える人もいるから、私も得していると思ってます。やっぱり、男としての自分もいるけど、女の子としての自分もいて、一度の人生で2個の性別をいっぺんに楽しんでるなとは思ってますね。

未来:協力関係にあって、私というものを運営しているというか。片方ができないことを片方がやってくれるみたいな、依存関係になってるから。

花梨:5年後10年後、あるいは亡くなる時まで想像した時に、未来についてどんなイメージを持っていますか?

宮澤:なんかもう、まだ全然わかんないなってとこが大きいですね。こうなったらいいなというのは一応あるんですけども。

男の私としては給料を上げたいとか。ちょっと出遅れちゃったというか、性同一性障害に気づくのに遅れちゃって。キャリア形成がすごいしくじっているので。今の状態で満足しないで、ちょっとずつ本来の自分の能力を発揮して、ちゃんと稼げるようになりたいですね。

女の子の方は真逆ですね。あんまり仕事はしたくないし、自分の好きな男性を支える生活がしたいっていうか、自分も働きたくない気持ちが強いみたいで。やっぱりすごい真逆だなと思いますけど、もう今はそれを両立したいなと思ってて。2人の夢を叶えると考えるようになりましたね。

花梨:両立は、どういった形で考えていますか?

宮澤:やっぱり役割分担っていうか、仕事とかそういうことはもう私が全部やって、外見とかそういう部分は女の子の方に担当させる。私は自分の男性としての自分の体を持ってないから、見えない部分は自分がやる。見える部分は女の子の方がやる。メインは私だけど、私の人生じゃなくて、女の子の方の人生で幸せになってほしいなとかそういう感じですね。

花梨:どんな人生が理想ですか?

宮澤:一般的な家庭を作るとかそういうのに憧れていて。女の子の私も男の子の私も、もうすごい典型的な家族像というか、男女結婚するものとか子どもを産むものとかも、性格は全然違くても、そこら辺は同じなんですよね。

私は男性としての自分の体がないわけですから、女性と結婚はできるかもしれないけど、子どもを作ったりはできない。でも元々、生まれた体は女の子だから、女性として男性と結婚し子どもを作ることができる。そっちの方がいいんじゃないかなみたいな感じですかね。

私は実際、あまり人間に興味がないっていうか、女性と付き合おうとは思わないので。でも女の子の方は男性と付き合いたい気持ちがすごい強いみたいで。だったらそっちで良くない? みたいなそういう感じですね。

花梨:究極的には、男性の自分がなくなってもいい?

宮澤:そうですね。女の子の方になるつもりで、もう何年も前から準備してて。ちょっと前に女の子の方で婚活みたいなのをして、男性と結婚したら自分は終わりかなみたいに思ってたんだけど、女の子の好きな人がいなくなっちゃって。

今は男の自分に戻っちゃった感じですが、また女の子の方に戻れるのかどうか分からないけど、一応女の子の方に戻してあげられたらいいなって感じですね。今はそのための準備期間というか、女の子が戻ってくるまでの間に、男の自分がせっかく出てきたから、仕事やってちょっと給料を上げてとか、女の子の自分が困らないような生活の基盤を作ってあげる時期かなと思って。

今は別に男の自分がいっぱい出てくる方が好都合というか。ただゆくゆくは、なんだろう、ちょっと疲れたというか、自分の複雑な人生を送るのも疲れたから、楽になりたいっていうか、自分はまた女の子の中で眠る時期がまた来てもいいかなと思っていますね。

花梨:男の子の方で、何かやりたいことはないんですか?

宮澤:なくなっちゃったというか。性同一性障害に気づかないで女性で就職しちゃって、私が5年間も眠ったような状態になっちゃった影響が大きいですね。私も昔ほど尖んなくなっちゃって。

女の子の自分は、結構自分はこうしたいみたいな意欲が強くなってきちゃった。女性として暮らしたあの5年間のせいで私は弱くなったし、女の子の自分がずいぶん強くなっちゃったなって思いますね。

だから、女性として生きるのもいいなっていう風に気づいちゃったと思うんですよ。私もいつまでも自分のやりたいことをやらなくてもいいなっていう考えになっちゃいました。だから、昔よりはもう全然私もガツガツしないですし。女の子は将来こうしたいっていうのがあって、逆に私はないもんですから。じゃあ女の子で生きた方が絶対幸せだなと思いますね。

花梨:今言ってもらったイメージがすべて叶ったとしたら、どんな気持ちが1番最初に出てきそうですか?

宮澤:なんかもう、叶っているイメージができなくなってきましたね。結局、どっちかの性別に寄せない方がいいんじゃないかなと思ってて。メインは女の子の方で生きていってほしいですけど、私もやっぱ消えたくないっていうか。完全に消えちゃった時期は、記憶も飛んじゃうので、やっぱ怖かったですし。

そういう意味では、完全に消えられないし。男の子の自分と女の子の自分が共通して好きなものをずっとやり続けられたらいいなと思ってて。最初にお話したジブリも、男女問わず好まれる作品や空間というか。そういうのをずっと続けられたらいいんじゃないと最近気づいて。そしたら、どっちかがいなくなることもなくなるし。なんとなく2人いる状態がいいなと思ってますね。

あとは、こういう状態を話しても、それに理解がある男性もいるので。そういう人と女の子の自分が仲良くなって、一緒にいられたらいいのかなというのはなんとなくありますね。前はやっぱり、そういう理解のある人があんまりいないんじゃないかと思ってたから、将来に対してもすごい悲観的でした。

花梨:今は悲観的ではない?

宮澤:やっぱり去年知り合った女の子の自分がすごい好きなっちゃった男性が理解ある方だったのもあって。その人に会ってからは、他にもいろんな人と会って、自分のことを正直に話して。

理解がある人は意外にいるんだと気づきましたね。でも、やっぱり女の子の方は絶対彼しか好きじゃないし。でもまあ、それでいいんじゃないと。その人以外が嫌だったら別に無理に他の人を好きにならなくてもいいし。

ずっと自分が女の子の方を見守るというか、そういうのでもいいかなと最近は思ってますね。最初はもう自分は完全に寝ちゃって、あとは女の子の自分の方のパートナーに任せようと思ってたんですけど、好きな人がいなくなっちゃったから。急遽、男の自分が出てきて、女の子の自分と2人の生活でもいいのかなという考えに変わりましたね。

花梨:好きな男性がいなくなったあとに、男の自分がまた出てきたということですか?

宮澤:強く出てきましたね。最初はもう、女の子の方がその男性をすっごい好きだったから、私はずっと隅に追いやられていたんですけども。でも、彼がいなくなっちゃってすごい落ち込んだ時は、自然と自分に戻っちゃったなみたいな。

なんかもう予想外でしたね、あんまりもショックを受けちゃって、もうどうしたらいいのみたいな感じになっちゃって。女の子の自分は、その男性のことを考えるとすごい悲しむんだけど、私はその男性には別に恋愛感情もないので。なんかすごい不思議な感じでしたね。女の子の方がずっと悲しんでいて、私は平気でどうしようみたいな。

花梨:もし、どちらかの自分が完全に消えていたとしたら、どんな生活をされていたと思いますか?

宮澤:どうだろう。女の子の方を消すのは簡単なんですよ。今は男性ホルモン注射を少量しか打ち込んでないから女の子も結構残ってるんですけど。もっと量を増やすと、男の方が強くなって、相対的に女の子の方は出る機会が減っちゃうので、本来の私ひとりになるんだろうなと思ってるけど。

それはつまんないというか、夢がないので。自分ひとりになるのはやっぱり考えられないなと思うし。女の子の方は、例えば仕事を完全にやめちゃって、男性と2人きりという状態をずっと続けてると、男の方の自分がどんどん出なくなっちゃうんで。女の子だけになるのもできると思うんですけども。

多分、仕事もできないし、家事とかもできないし、記憶がちゃんと残らないので。完全に介護状態というか、ひとりじゃ生きられない状態になっちゃいますね。だから、どっちか片方というのはやっぱ無理だなと思ったんですよ。協力関係にあって、私というものを運営している。片方ができないことを片方がやってくれるみたいな、依存関係になってるから。どっちかにするのは無理なんだなと最近感じるようになりましたね。

私は人生に楽しみがないので、仕事だけやってても楽しいんだけど鬱になっちゃう。女の子の方は、人に愛されるとか人を愛することがすごい好きだけど、私にはそれがないんですよね。

女の子の方の人生はすごく夢があっていいなと思いますね。私も完全にないわけじゃなくて、最近絵を描くのを思い出したから、自分の可能性も見つけられたんですけども。それでも自分の人生が楽しいとは思えないです。女の子の方を幸せにすることを考えるのが自分の楽しみになっちゃってる。自分の妹みたいな感じですね。

花梨:男の子の自分が夢を抱く可能性は、どれくらいあると思いますか?

宮澤:結構あると思いますね。通信制の美大に行ってまた絵を描き始めたのがいいきっかけになってて。絵を描くことを続ければ、私は多分ずっと残り続けられると思ってますね。でも、なんかそこに野望がある状態ではもう完全にないです。女の子の方は好きな人と結婚して子どもを作りたいっていう大きな夢があるけど、私はそこまでは強くなくて。単に絵を描くのが楽しいというだけで、今はもう十分になっちゃったんです。それが、望んでること。

目的を果たすというよりかは、描いているだけで幸せって感じることが、自分が一番欲しいものになっちゃってて。昔はもっと何かをやり遂げたいとかあったけど、今はもう生活が一番になっちゃってますね。

花梨:ご自身が亡くなった時に、どんな人だったと言われると思いますか?

宮澤:そうですね。変わってた人だったなとか、そう思われるのかなって思いますね。

花梨:逆に、言われたい印象はありますか?

宮澤:人を集めて何かやったりするのが得意だなってちょっと自分でもそう思ってるとこあるので。そういう風に思われていたら、嬉しいのかなと思いますね。

子どもの時はそういうキャラだったけど、一時期本当に性同一性障害で苦しんでいた時は、全くそうじゃなくなってしまって。でも今はまた昔のようなキャラクターに戻れて良かったなとすごく思います。

花梨:最後に、言い残したことはありますか?

宮澤:そうですね。性同一性障害の当事者から相談を受けたりするんですけども。悩んでいる時間はもったいないよねってよく言ったりしますね。私は自分の人生通して、あまり悩まなかったなって思うんですよ。性同一性障害に気づかず普通に生きてたから悩まなかったというのは、すごくあって。苦しんだけど悩まなかったとすごく感じていて。

悩んでいる時間がもったいないから解決法を考えようとか、そういう風に考えた方がいいんじゃないかなと思ったりしますね。このインタビューが始まる前も、当事者の方とたまたま通話してて。私が喋ったことで、そういう道もあるんだと言ってもらえて。

道はいろいろあるんですよ。性同一性障害は苦しいとか一般的に言われてることを鵜呑みにしちゃって、苦しいもんなんだって思い込んでしまって具合が悪くなってしまった人も結構いるんですけども。

道はいろいろあるというか。気持ちを切り替えて現実的に解決しようと言いたいですね。で、私もすごく苦しんでましたけど、ずいぶんその苦しみが減ったっていうか。いろんなことを1つずつ解決していって、もうずいぶん生きやすくなったなと思いますね。

花梨:どんな解決法を試していました?

宮澤:例えば、ホルモン注射を打たないと体かおかしくなっちゃうんだなと気づいて、打つようになって元気になったのが1点。あと、自分は何なんだってずっと考えてて。なんで女の子の方の自分もいるんだとずっと考えてて、でも、いるもんはいるんだという結論に至ったんですよ。

現実をそのまま受け止めて、それをどう対処していくか。女の子の自分はやっぱおまけみたいな存在なんだ、メインは私なんだという状況も理解して。その状況で、自分はどうしたら一番幸せなのかを考えていくと、ごちゃごちゃだった時代からずいぶん生きやすくなったというか。悩むことはなくなったし、不安も感じなくなりました。この状態どうしようみたいな感じではなくなりましたね。

花梨:今の状態を受け入れた?

宮澤:自分で理解したから、自分の状態はこうだと他人に話せるようになった。最初は、もうそんなわけないでしょみたいに思われたかもしれないんですけど。やっぱり今は信じてもらえますね、自分の話したことを。信じてもらえないんじゃないかっていう考えは、自分の中で完全になくなりました。

他の人に話しても自信を持って話せるようになったし、信じてもらえるというのが昔とは全然違います。今日もお話して信じてもらえるかどうかちょっと不安だったんですけども、ただ自分はこういう状態ですよって正直に話して。それでいいんじゃないかなって思いますね。

あとがき

自分という存在について、誰しも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
家族関係や友人関係、恋愛関係。状況によって見せる顔が違えば違うほど、“どの自分が正しいのか?”と自問自答してしまいがちです。

人見知りが激しかった学生時代。私は、どの状態の自分が素なのか?素じゃない自分をなくすには?と頭を悩ませ、理想から外れた自分のことを否定する日がつづきました。

“人は波があってあたりまえ” そんな言葉を知ってから、今の自分の様子をよく観察できるようになり、「なんだ、いろんな顔があってもいいのね」と思えるようになりました。

今の状態を受け入れる。そして、人に素直に話してみる。ただ、それだけでいいのかもしれませんね。

宮澤さん、インタビューへのご参加ありがとうございました!次回は、どんなお話になるでしょうか?お楽しみに。

【インタビュー・編集・あとがき:花梨】

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