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ブラジリアン柔術という共通言語を持ってる人

人と人とは協力しあう。
人と人とは仲良くする。
人と人とは調和しあう。
私が格闘技をしたのは、高校の柔道の時だけですね。ええ、そうなんです。わかってましたか? 知りませんでしたよね。初出しです、初出し。初出し情報なんですよ。
私さ、目が悪かったからさ、まず眼鏡外して柔道しなくちゃいけなかったのが辛かったですね。で私の出席番号アイウエオ順の人が、めちゃ強かったんですよ柔道部で。体育が2でぜんぜん格闘技に興味なかった私が柔道部の体がっちりした人と柔道の練習しなくちゃいけない辛さ、大変だったなあ。ううう。
でもね、格闘技を見るのは好きだったんですよ。私がブラジリアン柔術を知ったのは、総合格闘技が流行った時ですね。あれは何年ごろだったでしょうか?
バーリトゥードという言葉が流行ったころですよ。1990年代かな。ヒクソン・グレイシーとかがね、活躍した頃で。
でね、確かに象徴的だったのが、グレイシー一族がリングにあがってくるときに、隊列を作ってくるんだけど、一列になってて、前の人の両肩に手を乗っけて、列車みたいに連なってるのよね。通称グレイシー・トレイン。
なんか、あれ、思いだしたんですよねえ。
ということで無名人インタビュー! 出発進行です!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは Yoshi さんです!


現在:基本的に気分が悪いことっていうのはあんまりない。怒ることもあまりないです。

クロマニョン:今、何をしている方でしょうか?

Yoshi:ブラジリアン柔術という格闘技をしながら旅をしている人、って言いたいところですがまぁ実際はそこまで旅っていう旅はしてないので、ブラジリアン柔術をしながらブログ書いてる人っていう感じです。

クロマニョン:ブラジリアン柔術について、詳しくお伺いしてもいいでしょうか?

Yoshi:ブラジリアン柔術は名前の通りブラジル発祥の格闘技で、元々は日本の柔道だったものがブラジルに渡って、独自の発展を遂げた競技ですね。

クロマニョン:ブラジリアン柔術と日本の柔道との違いはなんでしょうか?

Yoshi:柔道が投げがメインなのに対して、柔術は寝技がメインという点が一番わかりやすい違いかなと思います。柔術では投げても一本にならずポイントにしかならないので、そのまま攻防が続くんですよ。関節技を極めたら一本です。そこが大きな違いですかね。

クロマニョン:ブラジリアン柔術に興味を持たれたのは、いつ頃からでしょう?

Yoshi:興味を持ったのは高校生の頃ですね。柔道部だったんですけど。別の高校の柔道部で柔術をやってる人がいたので、それで興味を持って。それから社会人になって始めてみたという感じです。

クロマニョン:ご自身では、ブラジリアン柔術の魅力ってどのようなものだと感じてますか?

Yoshi:ブラジリアン柔術の魅力はまず技の多さが挙げられます。限りなく存在する技の一つ一つを掘り下げる過程が楽しい。技が多い分攻防がすごく複雑にはなるんですけど、その分頭を使うのでよくチェスなんかに例えられます。

あとはブラジリアン柔術には独自の文化もあるので、それも魅力の一つだと思っています。格闘技ではあるんですけど、殺伐としていない。むしろ和やかな雰囲気で、楽しく仲間と切磋琢磨しながら練習できるところも魅力の一つですね。まぁ道場にもよると思いますけど。出稽古文化もあるので、道場間の交流もたぶん他の格闘技よりも多いと思います。

それと個人的には自由度の高さが好きです。僕は柔道をやっていたこともあったんですけど、柔道ってこうやって投げないといけないよね、というのがはっきり決まっていたりするんですよね。投げれたとしても、きれいに投げれなかったらあんまりよろしくないよね、みたいなところがあったりするんですよ、特に日本では。ただ柔術はそういうのがなくて。すごく自由度の高い攻防ができるっていうのが、やってて楽しいなって思います。

クロマニョン:ブログを書かれてると仰ってましたけど、書き始めたきっかけって何かあったんでしょうか?

Yoshi:僕、今まで国内外いろんなとこに行ってて。と言っても住んだのは国内では福井、大阪、東京の3県、海外ではフィリピンとニュージーランドの二ヶ国だけなんですけど。地元福井を出てからは、国内外各地を転々としながら柔術を続けてきました。そういった経験を発信してみようかなというのと、まだ行きたいところはたくさんあるので今後行った先々のことも発信できたらなと思ったのが始めですね。旅をコンセプトにしたブログなんですけど、旅先での体験や出会いなどを発信していこうかなと思って始めてみました。

クロマニョン:具体的にどういった内容を書かれてるんでしょう?

Yoshi:そうですね、例えば地方で大会があるときは、大会ついでにその地域の観光なんかをするんですけど、そういった自分の旅の様子を日記的に書いたり。あと過去に行った道場のことを詳しく紹介したりとか。あと今後は自分と同じように各地を転々としながら、その地域地域で柔術をしてきたような人にスポットライトを当てた取材記事なんかも書きたいなと思っています。まだ全然記事数は少ないですけど、今後はもっと増やしていきたいなと思っています。

クロマニョン:旅をすることに関しては、どういうふうに思ってらっしゃいますか?

Yoshi:僕は子どもの時からあちこち行きたい、まぁ言ったら「旅をしたい」、みたいな願望があったわけではなくて、成り行きでこうなってしまったという感じではあるんですけど、今思えば20代前半のうちにいろんなところに行けてよかったですね。

いろんな街に行って、自分がまだ見たことない景色を見たり、経験したことない経験をするのが好きなんですよ。特に目的がなくてもただ街をぶらぶらしたりするのもすごく好きです。

バックパッカーみたいなのはちょっともうできないかなとは思うんですけど、今後も国内外各地に行って柔術を楽しみながら、旅みたいなことができたらいいんじゃないかなと思っています。

クロマニョン:他に趣味は何かあったりするんですか?

Yoshi:これといった趣味は特に無いですね。柔術だけずっとやってるって感じです。強いてあげるなら文章を書くのは好きです。なので基本的に休みは柔術とブログ、それでたまにどこか遠くに行ったりと、そんな感じですね。あとは時々映画を見たり、本読んだりぐらいはしますかね。

クロマニョン:1日の流れというか、スケジュール的なものを伺ってもよろしいですか?

Yoshi:朝起きて、仕事して、仕事が終わったら柔術の練習に行って、あとは寝るだけっていう感じです。ブログは主にすきま時間や休みの日に書いていますね。

クロマニョン:なるほど。ブラジリアン柔術に関してなんですけど、柔術をしている最中、どういう思いで取り組まれていることが多いですか?

Yoshi:もっと強くなりたいなっていう気持ちですかね。というかまぁ柔術やっている人はみんなそんな感じなんじゃないかなと思います。もっと楽しみたい、もっと強くなりたいっていう。それ以外はないんじゃないかな?

クロマニョン:理想とか目標っていうのもあったりするんですかね?

Yoshi:柔術って、帯色がめっちゃたくさんあって。上から黒、茶、紫、青、白ってあるんですけど。僕は紫で真ん中の帯なので、ゆくゆくは黒帯になりたいなとは思っています。

クロマニョン:Yoshiさんの性格について聞きたいんですが、人からどういった性格と言われることが多いですかね?

Yoshi:人からは真面目って言われることが多いですかね。

クロマニョン:それはどういうところを見てるんだと考えてますか?

Yoshi:どういうところですかね。自分でもあまりわかってないですし、実際は真面目だったり真面目じゃなかったりするんですけど。仕事の取り組み方とかじゃないですかね。自分がやるって決めたことや誰かにやるよう言われたことに対しては淡々と忠実に取り組むところとか、そういうところに対して真面目と言われるのかなと思います。

クロマニョン:ご自身は真面目と言われることに対して、どう思いますか?

Yoshi:確かにそうだなって思うところもあるし、別にそうでもないけどなっていうところもありますね。納得できる部分はなくはないです。まぁでもプライベートで性格について言及されることってそんなにないと思うので、今回みたいに急に質問されても人にどう言われたかなんて正直パッとは思い出せないんですけど、仕事しているときは真面目と言われることは多いですかねやっぱり。まぁ確かに仕事は真面目にやっている方だとは思います。

クロマニョン:ご自身の性格については、どう思ってます?

Yoshi:気分屋ですかね。一言で言うと。

クロマニョン:どういったときに気分屋だと感じることが多いですか?

Yoshi:そうですね、結構、物事を気分によって決めちゃうっていうこともよくあったりするので、そういったときですかね。東京に出てきたのも2回目なんですけど、それもわりと気分で決めちゃったんですよ。よし、東京行くか、みたいな。結構物事を決めるときはその時々の気分によって決めることが多いんですよね。だから気分屋かなと。

クロマニョン:気分が悪い時っていうのもあったりするんですか?

Yoshi:そういうときに使う気分って言葉とはまたちょっと違うのかなとは思いますけど、気分が悪いときはほぼほぼないですね。気分屋というより気まぐれって言った方がわかりやすいのかな。自分の凝り固まった考えみたいなのがなくて、その時々の状況によってこうしようああしようみたいな、そういうふうに決めていくっていう感じですね。基本的に気分が悪いことっていうのはあんまりない。怒ることもあまりないです。

クロマニョン:最近は過ごしていて、どういうところに楽しみを感じてますか?

Yoshi:楽しみを感じるのはやっぱり、自分の好きなことができているときですかね。今は特に自分の好きなことができている状況ではあるので毎日楽しいですよ。柔術やって、できなかった技ができるようになったりだとか、うまく相手にかかったりとか、そういったところだったり。あとブログについては、記事を書いて、それが読んでくれる方におもしろかったですとか、参考になりましたとか、そういうふうに言ってもらえるのがすごく嬉しいですよね。

クロマニョン:嫌いなこととか、嫌いなものってありますでしょうか?

Yoshi:嫌いなことやものは、うるさい場所とかですかね。どっちかというと陰キャの方だとは思うので。人がたくさんいる場所、ワイワイした雰囲気、パーティーみたいなノリはちょっと苦手かなって思います。

クロマニョン:旅に行くときも、そういうのを配慮して選んだりすることが多いんでしょうか?

Yoshi:そういう場所には興味がないので行かないですね。祭りとかは好きですけど。どこかへ行くときはその街の町並みとかを見てぶらぶらしてるだけっていうことも多いです。あと観光地をまわったり。

クロマニョン:行く場所はどういうふうに決めてらっしゃるんですか?

Yoshi:最近だと、各地方で柔術の大会があるのでそれ基準で考えます。大会の開催地で観光もする、という感じですね。

クロマニョン:印象に残ってる街とかありますか?

Yoshi:ついこの前盛岡に行ったんですけど、盛岡の街はけっこう落ち着いたおしゃれな雰囲気で印象に残りましたね。住むことになったらゆったり過ごせるんじゃないかなっていうふうに思いました。

クロマニョン:柔術の大会とかにも出場してらっしゃるんですよね。

Yoshi:そうですね、特に最近はわりとしています。

クロマニョン:それは団体に所属して、その団体で出場するってことですか?

Yoshi:そうですね。自分の所属している道場から出るって感じですね。

クロマニョン:今、割合的に言うと、ブラジリアン柔術っていうのはYoshiさんにとって何割ぐらいですか?

Yoshi:んーと。6、7割ぐらいですかね。

クロマニョン:それは生活の中での割合か、自分の頭の中での割合か、どちらですかね?

Yoshi:生活の中ではもっと割合は低いと思います。頭の中ではって感じですね。柔術について考えている時間は長いので。

クロマニョン:他の3割は、何を考えてらっしゃるんでしょうか?

Yoshi:他は、最近はもっぱらブログのこと考えたりしていますね、これからどう運営していこうかとか。それぐらいですかね、やっぱり。

クロマニョン:ブログと競技は、けっこう分けて考えてらっしゃるんですか?

Yoshi:そうですね、自分のブログのコンセプトが「 柔術 × 旅 」なので。競技的な側面をコンセプトとして置いているわけではないんですよ。柔術のブログは他にも結構あって、大体のブログは技術のことに関してだったりとか、あと初心者向けに記事を書いていたりするんですけど、そういった題材はほぼほぼ僕のブログでは取り扱わないです。だからわりと頭の中では分けて考えることが多いかなって思います。

クロマニョン:なるほど。ブラジリアン柔術を始める前と、始めた後の気持ちの変化っていうのは、ありましたかね?

Yoshi:ブラジリアン柔術を始めた後の方が、やっぱり日々の生活がすごい楽しいなっていうふうには思いますね。好きなことというか、夢中になれることができたっていうのが大きいかなと思います。

過去:ずっと自信がなかったんですけど、ちょっとだけ行動に移せたというので、今までとは少し違う自分になれた気がしました。

クロマニョン:子供のときはどのようなお子さんだったでしょうか?

Yoshi:めっちゃくちゃおとなしい子でしたね。

クロマニョン:具体的な場面とか、覚えてますか?

Yoshi:物心ついた頃から、結構人見知りというか、すごい恥ずかしがり屋で。例えば劇をみんなですることになったら、セリフを全く喋らないような目立たない役を進んで選んでいました。なるべく目立ちたくないっていう気持ちが強かったです。

小学校に上がってからも発言するのが苦手で。手を挙げて発言したことなんてほぼなくて、発表したことって多分小学校から高校までで片手で数えられるぐらいしかなかったんじゃないかな。それぐらい目立つのが嫌いで、わりとおとなしい子だったと思います。

クロマニョン:目立つのが嫌っていうのは、今も継続されてらっしゃると思ってます?

Yoshi:昔ほどではないかなと思うんですけど、目立ちたいとかそういう気持ちは今でもないです。裏方の方が好きですね。自分から目立たないように隠れるみたいなことはなくなりましたけど。やりたいことやって目立ってしまったらしょうがないよねという感じです今は。

クロマニョン:それは何かきっかけとかあったりしたんでしょうか?

Yoshi:きっかけ...。まぁ社会人になったことでけっこう意識は変わったかなと思います。社会人になってまず警察官になったんですけど、警察官って人の目につくような仕事じゃないですか。自分から隠れるような行為はもちろんできない。制服着てるだけで目立っちゃいますから。そういうので慣れたっていうのも多分あると思います。

あとはブラジリアン柔術を始めて、ちょっと自分に自信がついて。まぁブラジリアン柔術というか、格闘技ですね。格闘技は柔術を始める前からやっていたので。学生の頃に少林寺拳法や柔道を初めて、社会人になって柔術を始めて、そのそれぞれの試合で結果が出せたりして、それでちょっとずつ自信がついてきたんじゃないかなとは思います。それで人の目につくのが昔ほどこわくなくなったのかなと思いますね。

クロマニョン:高校で柔道部に入ったのは、どういう気持ちで入られたんでしょうか?

Yoshi:高校入学時には警察官になることを決めていたので、それが理由の一つです。あとは中学のときにできなかったのでやってみようかなと。さっきも言ったようにめちゃめちゃおとなしくて自信のない子どもだったので、中学生のときに柔道部に入ろうとして諦めちゃったんですよね一度。運動神経もめちゃくちゃ悪かったので、練習を見学に行ったときに、自分にはできないだろうって思ってしまって。

ただその後に知人の勧めで少林寺拳法を始めて、大会でも入賞できたことで、格闘技だったら自分にもできるんじゃないかな、みたいな自信がやっとそこで出てきて。高校に入ったら柔道に再チャレンジじゃないですけど、今度こそ始めてみようというのがありましたね。そのときにはもう警察官になりたいと思っていたのもあって、将来的にも就職にちょっと役立つかなぐらいの感じでした。

クロマニョン:警察官になりたいっていうのは、いつ頃からの夢なんですか?

Yoshi:中三のときですね。中三のときに親父から、「お前、警察官になれ」って急に言われて。「お前、向いてるよ」って言われたんですよ。当時そんなこと全然考えていなかったんですけど、言われた瞬間に警察官かぁ、何かかっこいいなぁって思ったのがきっかけですかね。

当時の自分からしたら警察官ってなんかすごい自信がある感じに見えたというか、当時の自分と対照的な姿、職業に思えたからこそ憧れを持ったのかもしれないです。

クロマニョン:実際に警察官になって、なる前とではイメージは変わりましたか?

Yoshi:イメージは正直あまり変わらなかったです。まぁ思っていた通りの厳しい世界だったなって感じですね。

クロマニョン:高校を卒業して、大学へ入学したんでしょうか?

Yoshi:いや、大学には行っていないです。高校を卒業して、警察官になりました。

クロマニョン:警察官を辞めたきっかけは、何かあったんですか?

Yoshi:辞めたきっかけは、まぁいくつかあったんですけど、そうですね。さっき言ったように昔からすごく自分に自信がなかったんですけど、警察官になってからもやっぱりまだ自分に自信がなかったんですよね。それで、警察官を続けた先の限界が見えた気がして。

というのも、一緒に働いてる先輩たちを見てると、思い切りよく判断して行動してバリバリ働いていて。そういう先輩たちが周りにいて、そんな先輩たちの姿を見て憧れて、先輩たちみたいになりたいなっていう気持ちがあったんですけど、ただそれで自分を俯瞰して見たときにいつも自分は一歩下がったところにいて、追いかけるだけで必死だなと思ったんですよ。

やっぱり自分に自信がないから咄嗟な判断や行動ができなくて。このままだと先輩たちのようにはなれないなと思いました。なので1回警察官を辞めて、いろんなことにチャレンジして、まず自信をつけようと。それからまた警察官になるのもいいかなと思って一度やめました。とにかく若いうちにいろんな経験をしようと思ったんですよね。そう思うに至ったのも同じタイミングでいろんなことが重なってだったんですけど。それは全部話すと長くなるので割愛します。

クロマニョン:その後はどのような生活でしたか?

Yoshi:警察官を辞めてからは、あっちこっち行く生活が始まって。働いていたのが大阪府警だったので、やめた後は地元の福井に戻って、それから半年後フィリピンのセブ島に留学しました。海外ってどんなんかな、自分に合ってるかなぐらいの感じだったんですけどね。英語とか、語学にもちょっと興味があったので、とりあえず海外留学してみようと思って安く行けるセブ島を選びました。

帰国後は、また海外に行きたいなと思って、セブ島から帰ってきてから東京で1年ぐらい過ごした後に今度はニュージーランドに行きました。その後、帰ってきてからは大阪にまた住んで、でまた東京に出てきたみたいな、そんな転々とする生活を送っている真っ最中です。

クロマニョン:フィリピンのセブ島の留学は、どのぐらい行ってたんですか?

Yoshi:半年ですね。

クロマニョン:留学する前は、旅とか転々としたりっていうのはあまりなかったってことですよね?

Yoshi:ないですね。警察官やってたので、何かあった時にいないってなったら駄目ですから。まだ若手でしたし。学生のときももちろん、自由に使っていいお金があったわけじゃないんで、そういう生活はそれまでしていなかったですし、思い描いてもいなかったですね。

クロマニョン:そもそも旅には興味がなかったってことでしょうか?

Yoshi:興味なかったですね以前は。

クロマニョン:留学がきっかけとなって、いろんなとこに行くっていうのになったってことですかね?

Yoshi:思い返してみたら、そうですね。

クロマニョン:セブ島での半年間の留学は、いかがでしたか?

Yoshi:いやー、めちゃめちゃ楽しかったですね。良かった。かなり濃い半年間を過ごせたかなと思います。普段会わないような、いろんな人に会えて。例えばテレビ業界の人とか、元アイドルの人とか、いろんな経験をした人が集まっていたので。ずっと今まで警察官やってたんで、なかなか今までの生活では会えなかったような人たちに会えて、いろんな話を聞けて、すごく楽しかったですね。

クロマニョン:留学前と行った後で、なにか変化はありましたか?

Yoshi:いろんな人に出会ってより考え方が柔軟になったっていうのと、あとはさっきも言ったようにずっと自分に自信がなかったんですけど、ちょっとだけ行動に移せたっていうので、今までとは少し違う自分になれた気がしました。留学なんて誰でもできるとは思うんですけど、僕の中では割と大きな行動だったので。それだけでも気持ちの面はかなり変わったのかなと思います。

クロマニョン:留学の後は東京に1年、それからニュージーランドに行ったとのことでしたけど、どうしてニュージーランドに行こうと思ったんでしょう?

Yoshi:うーん、簡単に言ったら妥協なんですよね。順を追って言うと、セブ島に行って、また海外に行きたいなっていう気持ちが出てきて。それとは別に、僕大学に行ってなかったので、大学にも行きたいなっていう気持ちがあったんですよ。で、それだったらどちらの希望も叶えられるから海外の大学に行こうと思ったんですよね、最初は。

ただちょっと、家族にトラブルみたいなんがあって。それでちょっと行けなくなっちゃったんですよ。東京の生活はわりと充実していて、それまではけっこう順調だったんですけど、その家族のトラブルがあって急にお先真っ暗じゃないですけど、これからどうしようみたいな感じになってしまったんです。

ただそれでも、このままじゃ駄目だな、とりあえず何か行動しようと思って。海外の大学に行く道はなくなったけど、せめてあのとき海外に行けなかったなという後悔を残したくはなかったんで、ワーキングホリデーっていう制度を使ってニュージーランドに行きました。

ワーキングホリデーだったら働くことができるので、家族にも金銭的な負担をかけなくてもいいですし。そんな流れでニュージーランドに行くことになった感じです。

クロマニョン:大学に行きたかったということでしたけど、どうして高校卒業後に、そういった進路を選ばなかったんでしょうか?

Yoshi:中学生の頃に通っていた塾の先生が大原学園でも先生をやっていた人だったんですけど、その人に「警察官なら高卒でなった方が絶対なりやすいぞ」と言われて。じゃあそうしますって言って、素直に従ったという感じです。高校生の頃は海外に行きたいという気持ちもなかったですしね。大学に行きたいっていう気持ちも当時はそこまで強くなくて、なんとなく大学に行くんだろうなくらいだったので。

クロマニョン:そこから海外の大学に行きたいって思い直したのは、学びたいことがあったからなんでしょうか?

Yoshi:大学行ってなかったから、何となく行きたいみたいな感じがあったんじゃないかな。何かしら思ってた気がするんですけど、何だったかな。当時はそれこそ観光分野のこととか、興味あった気がしますね。そういうのを勉強してみたいなと思っていた気がします。

これからインバウンドというか、海外からのお客さん、旅行者っていうのがめっちゃ増えるんじゃないかなみたいなことも思っていたりして。観光業にちょっと興味を持った時期があったんですよ。だから海外の大学で観光学部があるところを見つけて、そこに行ってみようかなと思ったんですよね。

クロマニョン:なるほど。セブ島に行っていた時と、ニュージーランドでの生活は何か違いがあったりしましたか?

Yoshi:大きな違いは、環境ですね。セブ島の方が全然住みやすかったです、僕の体質的には。僕はアレルギー体質なので、ニュージーランドの環境や気候が合わなかったんですよ。自然豊かすぎて。花粉が多かったりとかね。あと日差しもめちゃくちゃ強かったので、皮膚が弱い自分には合いませんでした。10ヶ月いたんですけど、ほぼほぼ体調崩していましたからね。セブ島と比べたら、環境が全然違ったかなって思います。

クロマニョン:外部環境としては、セブ島の方が合っていたと。内部的な環境というか、精神的にはどうでしたか?

Yoshi:それも全然セブ島の方が合っていましたね。人の感じとか。フィリピンの人は日本が好きな人も多いので、日本人てだけで良いように見てもらえました。ニュージーランドはそういうのも特にないので。あと人の感じもフィリピン人は陽気で明るくて楽しかったですよ。そういった意味でも過ごしやすかったのはフィリピンです。

クロマニョン:ニュージーランドでのワーホリ後は、何をされてましたか?

Yoshi:そうですね、まずニュージーランドの生活の中でかなり考え方が変わって、柔術中心の生活をしたいなって思ったんですよね。それはブラジリアン柔術で食っていこうというのじゃなくて、普通に仕事をするにしても、ブラジリアン柔術が自分の生活の中心であったらいいなというか、自分の好きなことを生活の中心にしたいっていう気持ちが強くなっていて。

クロマニョン:へええ。

Yoshi:なので日本に帰ってからは、さっき言ったトラブルみたいなので母親が大阪に引っ越していたので、母親の心配もあってしばらく大阪にいました。ちょっと近くにいたいなっていう気持ちがあって。それで大阪に1年ぐらい住んで、柔術にもっと時間をさきたいなという気持ちが強まったのでまた東京に来ました。

クロマニョン:ニュージーランドで柔術を中心にしたいって思ったのは、なぜなんでしょうか?

Yoshi:さっきも言ったように、体調をめちゃくちゃ崩したのが大きな原因ですかね。僕がニュージーランドに渡った時期って、コロナが流行りだした時期だったんですよ、ちょうど。ニュージーランドに渡ったのは2019年12月12日だったんですけど、僕が渡って1週間ぐらい経った頃から日本のニュースでコロナが取り上げられるようになったみたいで。そして翌年、2020年の3月ですね。渡航して4ヶ月経った頃にニュージーランドでロックダウン、都市封鎖がかかって。一旦都市封鎖がかかったら、もう自由に出歩きできない。自分が当時住んでたホステルに缶詰めみたいな状態になったんです。

ただ、ありがたいことに仕事はできたんですよ。リンゴの箱詰め工場だったんですけど、シーゾナルジョブと言ってその季節を逃すと仕事がなくなる産業だったからか都市封鎖中でも普通に工場が稼働していて。なので、言ったらまあ日本での暮らしと一緒で、朝起きて仕事行って帰ってきて寝る、っていう生活を数ヶ月送ることになって。たださっき言った通り環境が合わなかったから体調をすごい崩していたのと、あとロックダウンがかかる前に防寒具も含めて自分の所持品を全部盗まれたこともあって、なかなかしんどい数ヶ月間になりました。

クロマニョン:ええー。

Yoshi:ニュージーランドは日本と季節が真逆なので、ちょうど秋になる頃だったんですよ。寒くなっていく時期に防寒具とかが全部なくなって、凍えて、体調も崩して、ついにコロナも流行りだして。そんな状況下で毎日10時間以上仕事して、家に帰っても外に出れず、ネットを開いてもすごいネガティブなニュースしか流れていない。そんな生活が続いたわけです。

クロマニョン:そうなんですね。

Yoshi:コロナで有名な芸能人が亡くなった、人が何人も死んだというニュースがネット上には常に流れていて。そんなときに飼い犬もちょうど死んじゃって。あと100日後に死ぬワニなんてのも話題になっていましたよねその当時は。そういう死に関するネガティブなニュースや情報があふれていました。そんなときに、ニュージーランドでもついにコロナが流行り出したから、これ俺今コロナになったらどうなるんだろうって思ったんですよ。コロナって当時はまだどんなんかわかっていなかったじゃないですか。持病持ちの人は悪化するとかそういう情報もありましたし。持病のせいでかなり体調を崩していたこともあって、今コロナになったら下手したら死ぬ可能性もあるんじゃないかなみたいな、そういう考えがたまによぎるようになっていました。そんな深刻には考えなかったですけどね。

そんな日々が続いて、もし明日死ぬのなら、やっぱり死ぬ前に好きなことをもっとできていたらよかった、そう思うんじゃないかと。死ぬ前に後悔するんじゃないかと。そういうふうに思ったので、好きなことをやろうって思えたんですよね。

クロマニョン:なるほど。ブラジリアン柔術は、いつから始めたんでしょうか? 途中でやめることはありましたか?

Yoshi:柔術は、警察官を辞めてから始めたんですよ。高校で知り合いがやってて、警察をやめて地元に帰った時に始めました。警察官を辞めてからはいろいろやりたいなって思っていて、自信がない自分を変えるためにこれからは今までの自分ではできなかったようなこと、新しいことをどんどんやっていこうっていう気持ちになっていたんですよね。それで知り合いがいたら始めやすそう、続けやすそうっていう理由で始めました。それから、地元の福井で半年、セブ島で半年、東京で1年ぐらいやりましたね。

それで、さっき言った家族関係のトラブルがあったときに、柔術なんてやってても意味ないんじゃないかなと思ってしまって。お金にもならないですから。なのでニュージーランドに渡る直前には柔術に対する熱がほとんどなくなってしまって、1回やめてしまいました。それからニュージーランドにいる間も都市封鎖や体調不良の影響でほぼほぼやらずに1年以上空きましたね。

未来:もうこれ以上いかないというか、自分の限界みたいなとこまでやって、満足したいかなっていうふうには思っていますね。

クロマニョン:5年後10年後、あるいは死ぬときまでを想像して、未来についてどういうイメージをお持ちですか?

Yoshi:これといったイメージは正直ないです。さっき話した過去の経験からも、思い描いたことってなかなか実現するもんじゃないんだなと思ったりしているので。予想外のことが次々と起きたりしてね。さっき言った、気分屋っていう話に戻るかもしれないけど、その場その場の成り行きで、なるようになっていくんじゃないかなと思っていますね今は。

でも今思っているなりたいイメージは一応あって、柔術だったらさっき言ったように、もっと強くなりたい、黒帯になりたいっていうのはありますよね。僕はそんなに選手志向ではないんですが、やっぱり柔術を続けていく上で自分がどこまで強くなれるか、みたいなそういう興味はあったりします。もうこれ以上いかないというか、自分の限界までやって、満足したいかなっていうふうには思っていますね。

クロマニョン:選手としての強さというより、自分の満足感を重視する感じなんですかね?

Yoshi:そうですね。競技を通して自分の強さを示したい、あいつに勝ちたい、みたいなモチベーション、自己顕示欲みたいなのは正直あんまりなくて。自分が納得できたらいいというか。自分自身の限界を知りたい、やりきったと思いたいという気持ちはありますね

クロマニョン:柔術以外だと、こうなりたいっていうイメージはありますかね?

Yoshi:まぁ、自分が限界までやりきったなと思えたら、その後は柔術を広める活動をしたいとか、そういうイメージはぼんやりありますかね。めっちゃざっくりしてますけど、柔術業界のために何かできるようなことがあれば、やりたいなっては思っています。

あとは今28歳なんですけど、若い子が自分のやりたいことにかけて、チャレンジしていくのを助けたいという気持ちもあったりして。まぁ言ったらおせっかいを焼きたいおっさん心みたいなのがすでにあって。そういうのを、自分のやりたいことがもうできていて、かつそれなりに支援できるほどの力がそのとき持てているのであれば、そういう子の応援というか、支援も今後できたらいいんじゃないかなっていう願望はあります。ただ今の状況ではなかなか厳しいと思うので、まずは自分のことを頑張らないといけないなとは思います。

クロマニョン:若者がやりたいことをできる環境を作っていくってことですかね?

Yoshi:そうですね、環境を作るって言ったらまぁジムを開くとかそういうイメージになるかと思うんですけど、そういうわけではなくて。何か支援ができればってところですかね。例えば海外で修行したい子とかもきっといたりすると思うので、そういった子の支援とか、どういった形でっていうのはまだ正直はっきりとはイメージしていないんですけど、そういう柔術という競技にかけて懸命に取り組む人に対しては、サポートというか、少し手助けできるようになったらいいかなとは思っています。

クロマニョン:それは、ご自身の過去が関係してるってことでしょうか?

Yoshi:まぁ、それもあると思います。警察官をやってたときとかも20歳前後の子とかと結構かかわることが多かったりして。それぐらいの、力があり余っていて勢いだけある子みたいなのが、なんていうか、すごい言葉選んじゃうな。それぐらいの若くてまだまだ可能性のある子が、その可能性を最大限に生かせるようなサポートをしたいというか。単純にそういう気持ちがあるっていう感じですかね。全然言葉になってないと思うんですけど。

クロマニョン:死ぬまでには絶対これをしたいとか、これをするまで死ねないっていうものとか、あったりしますか?

Yoshi:さっきの話に戻りますけど、せめて黒帯になって死にたいっていう気持ちはあります。黒帯になれたら、ある程度満足して死ねるんじゃないかなって思ってますね。目標が高いのか低いのかわからないですけど、それ以外は逆に求めてないみたいなところも何ならあります。まずは黒帯になれたら満足って感じで、あとは好きなことを中心に生きて、最期に、まあ好きに生きたなと、悔いはないなと、そう思って死ねたらそれでいいんじゃないかなって思っています。

クロマニョン:黒帯を取れたら、やっぱりご自身で納得するんだろうなっていう未来が見えるってことですかね?

Yoshi:黒帯になっても納得はしないと思うんですけど、一つの基準じゃないですかね。黒帯になっても、多分もっと強くなりたいとは思っているだろうし。ただ、一つのゴールみたいなところではあると思うので。まあ言ったら、強さを求める上で黒帯は一つの合格証と言うか、そういう意味合いがあると思っています。なので、なれないよりかは黒帯になれた方が満足して死ねるんじゃないかなとは思いますね。

クロマニョン:そういうイメージは、柔術を始めた当初からあったものですか?

Yoshi:始めた当初からあったんかな。やるんやったらそこまではなりたいな、みたいな気持ちは多分あったと思います。

クロマニョン:さきほど仰ってた、「悔いが残らない生き方」っていうのは、どこから来たものなんでしょうか?

Yoshi:それは、さっきのニュージーランドの経験からですね。ニュージーランドでしんどい状況になってて、この状態で、特にまだやりたいこと何もできていないまま今死んだら多分俺は後悔するなと思って、そこからですね。それでじゃあ何がしたい?っていう疑問がふと頭をよぎったときに柔術をやりたいっていうのが頭に浮かんで。それが多分本心だったんでしょうね。そんな状況で出てきたんだから。なのであのニュージーランドの経験があったからこそ、例え長生きできなくとも、せめて死ぬその瞬間に悔いなく死ねたらいいなみたいな、そういう気持ちはありますね。

あとこのニュージーランドでの経験から自分にとって柔術は「楽しいもの」でしかないんだなということに気づいて。柔術をしない日々がうつうつとして何も楽しくなかったんですよ、他にこれといった趣味もないですし。ニュージーランドに渡る前は他人の期待に応えようとか選手として活躍できるように頑張ろうみたいな気持ちもあったりしたんですけど、それで変に背負ってしまっていたんですよね。そういう気持ちでいると柔術が楽しくなくなって、柔術が楽しくなくなると楽しいことが日常生活からなくなっていて。

なので強くなる以上に楽しむこと。(気持ちの上で)誰よりも柔術を楽しむ。それを再開してからの一番の目標にしようと決めました。それは今も変わらないですし、いつ死ぬかわからないからこそ死ぬそのときに悔いが残らないよう一日一日をやりきる。そう思いながら日々過ごしています。最近は忘れてしまうこともありますけどね。

クロマニョン:もしもの質問をしたいと思うんですけど。もしも例えばニュージーランドの経験などが重ならなくて、悔いのない人生にしたいと思わなかったとしたら、どんな人生になってたと思いますか?

Yoshi:つまらない人生になっていたんじゃないですかね。今はわりと楽しいので。具体的にはあんまり想像できないですけど、ワーホリを終えて帰国後普通に仕事を見つけて、趣味程度にたまに柔術やって、みたいな、そんな生活を送っていたんじゃないかと思います。さっき頭の6、7割ぐらい柔術のこと考えてると言いましたけど、そこまで考えてないんじゃないですかね。3割ぐらいで終わってるんじゃないかなと思います。

クロマニョン:ニュージーランドでのそうした経験がなくても、柔術は再開されるんですね。それほど柔術はYoshiさんにとって、大切なものというか。

Yoshi:1回柔術やめた時点で、今後は趣味程度にできたらいいなぐらいには思っていましたからね。僕は柔術以外にこれやってて楽しいっていうのが今までなかったので、どのみち再開して続けていたとは思います。再開して、仕事しながらそれなりにはやっていただろうなとは思いますね。もし違う状況だったとしても。

クロマニョン:例えば柔術と出会わなかったら、どんな感じになってたんでしょう?

Yoshi:柔術とそもそも出会わなかったら、どうなっていただろう。想像できないですね。なかったらもう、普通の生活というか、別に趣味もなく、楽しいこともなく、普通に会社行って帰ってみたいな。それこそニュージーランドで過ごした、朝起きて仕事行って帰って寝るみたいな、そういう生活をずっと続けていたんじゃないですかね。

クロマニョン:柔術が一番楽しいと感じるのは、どうしてなんでしょうか?

Yoshi:いやー、なんでなんですかね。なんか楽しいですね。これといってすぐ思いつく理由は特にないですけど、まぁ普通に体を動かせて楽しいっていうのはあると思います。しがらみが少ないから楽しいっていうのもあるんじゃないですかね。日本の武道と違ってカジュアルな部分が多いというか。

あと、これは海外とかでよく感じたことなんですけど、柔術やってるだけで、ファミリー感みたいな、柔術ファミリーみたいなノリが出てきたりとか。日本の武道とはちょっと違う空気感があるんですよね。

そういう雰囲気が楽しいし、同じく柔術をやっている人たちとの放課後ノリ、部活ノリみたいな絡みも楽しい。あとはさっき言ったように技数もめちゃめちゃ多かったりするので、それを掘り下げていく、探求できるみたいな楽しみもあるし。黒帯までの道のりが長いっていうのもあって、そこまでの道のりを想像したり、日々成長を実感しながら目標に向かって進んでいくのも楽しい。練習そのものが楽しいし、柔術そのものを掘り下げる楽しみ、目標に進んでいく楽しみもある。だから夢中になれたんじゃないかなと思います。

クロマニョン:その柔術ファミリーっていうのは、どういった感じなんでしょう?

Yoshi:柔術をやっていれば仲良くできるみたいな。他のジムに行っても、わりとウェルカムな雰囲気で。それこそ、柔術という共通言語を持ってるって感じですね。

クロマニョン:へえ、素敵ですね。

Yoshi:それがすごいところだなっていうふうには思っていますね。コミュニケーションツールになるというか。海外に行ったりすると特に感じますよ。

クロマニョン:最後に、言い残したこととかはありますでしょうか?

Yoshi:特にはないです。まぁブログをやっていて、取材も今後やりたいと思っていたので、どんな感じでやるのかなと思い今回インタビューを受けてみました。無名人インタビューさんでは誰でもインタビューしてくれるっていうのがあったので、それで勉強したいなっていうのがあってお願いした形です。どんな感じかってのがわかって良かったです。

クロマニョン:ありがとうございました。

Yoshi:ありがとうございました。

あとがき

他人からいわれたことばって結構頭に残ってるものですよね。
Yoshiさんはお父様から「警察官に向いてるよ」といわれたと言っていましたが、私も同じようなことを母に言われたことがあります。ただ、言っていることが頻繁に変わるので惑わされるのですが、、1週間前は母に「あなたの前世は絶対馬だったよ」と言われたことに衝撃を受けて、競馬に初挑戦しました。
そんなことはさておき、Yoshiさんの「僕は柔術以外にこれやってて楽しいっていうのが今までなかったので」ということばを聞いた時は、うらやましいなーと率直に思いました。
私も○○以外にやってて楽しいって思えるものないと言えるような○○を見つけられたらいいな、見つけたい!と思ったインタビューでした。素敵なインタビューありがとうございました⭐

【インタビュー・あとがき:クロマニョン】

【編集:なずなはな】

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