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双子の弟の人

どっーーーーーん! ということでインタビューご応募いただいた瞬間に双子のお二人別々にインタビューしてみよう! と秒で企画を思いついていたqbcですこんばんは!(こんにちは! おはようございます!!)
ということで、今回は双子の兄インタビューに引き続き、双子の弟インタビューになります。
ということで、兄インタビューはちなみにこちらから!
兄インタビューの「まえがき」でも書きましたが、私の家は姉-私-弟なので、私は兄でもあり弟でもある完全生命体なんですね。どっちの気持ちもわかってしまえるんですわ。そういう気持ちで今回のインタビューも読みましたが、みなさんはいかがだったでしょうか?
私自身はね、姉からいろんな趣味のこと教えてもらったし(nirvanaとか澁澤龍彦とかサリンジャーとか)、弟には漫画とかアニメのこととか教えたし(てかおかげさまで今弟はTVアニメシリーズのCG監督やってるし!!!)、なんか、そういうタテのつながりもいいなって思ってます。ほんとうにそう思ってるよ。
家族力を感じたインタビューだったのかもしれません。はい! ということで今回の無名人インタビューもよろしくお願いいたします!!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは 秋山祐輔 さんです!

現在:体育会学生のキャリアをサポートする

森逸崎:今日はどんなインタビューにしていきましょうか? 

祐輔:今後やりたいことに対しての情報整理というか、振り返りのインタビューになればいいなと思います。
今年28歳なのですが、人生振り返ったときに、これまでのいろんな挑戦だったり、うれしいこともなんか楽しいことも、たくさんしてきたな、みたいに思ったので。
それを改めて振り返って、今後も「こうして生きていきたいな」というのが見つかればいいなと思います。

森逸崎:今は何をされている人なのでしょうか?

祐輔:今は人材会社で、ちょっとニッチなんですけど、体育会学生限定のキャリアアドバイザーをさせていただいています。去年の7月に転職しました。
幅広い企業様、それこそベンチャー企業から創業100年弱ぐらいの老舗の商社に対して、業種関係なく斡旋しています。
今、就活生45万人ぐらいいる中で、体育会学生の割合は48%って言われているんですね。
やっぱり企業様が求めてるところって、つまるところ継続性であったりとか、ちょっと理不尽なことでも耐えられる忍耐力みたいなところは、やっぱり体育学生は強くて。そしてそこが業種問わず評価していただいているポイントであるなと思っています。

森逸崎:その仕事を始めようと思ったのはどのようなご理由でしたか?

祐輔:自分の経験から、ですね。
自分自身も、もともと14年間ぐらいずっと野球をしてきたので、その経験をダイレクトに就活生へ伝えられるかなっていうのを思って、そこを今選んで働いてるっていうような感じです。

森逸崎:14年間も! どんな風に取り組んでいたんですか?

祐輔:いやもう「野球命!」って感じです(笑)
本当に365日、どうしたら上手くなるかとか、どうしたら自分が試合で出て活躍できるかみたいなことを考えて。今振り返るとめっちゃ真剣に取り組んでたなって思いますね。
小学校のときからずっと、暇さえあれば、外に出て壁当てするとか、バット持ったりするとかみたいなことをしていた気がします。

森逸崎:ポジションはどこだったんですか? 

祐輔:最初は、基本ずっと内野手で。小学生の時はショートを守っていて、中学もショート、高校で最初ショートだったけど次セカンド行って。大学もそうですね。そんな感じで、ショート、セカンド、サードみたいな感じでした。

森逸崎:内野を守る人って、どういうタイプの人が多いんですか? 傾向というか。

祐輔:やっぱり、選手の中で一番うまい人かなって思いますね(笑)
自分で言うのもあれですけど、まあまあうまい方ではあったし。自分に一番合ってるポジションだったかなとは思います。だから、そのポジションに選ばれた時は嬉しかったですね。

森逸崎:いいですね。
野球を始められたきっかけは、何だったのでしょうか? 

祐輔:始めたきっかけは、僕も明確には覚えてないんですけど、父親がずっと野球やってて、母親もソフトボールやってるぐらい野球一家だったので、自分も気づいたら、グローブ持って、バット持ってたみたいな感じでした。
両親と一緒に普通に素振りすることとか、キャッチボールした思い出とか、今でもやっぱりあるし、両親から教わることも多かったかなと思います。

森逸崎:野球人生の中で今振り返って思う、自分の人格形成に影響した部分って何かありますか?

祐輔:物心ついてから大学まで「野球しかない」みたいな人生だったので。「取られたら、何も残らへんな」みたいな。
本当に、野球してるときが一番自分らしかったし、結構中学、高校とか授業の時間よりも、野球の時間に早くならないかなって。自分を表現するものだったなみたいな感じでしたね。

森逸崎:野球が、祐輔さんの自己表現の手法。

祐輔:はい。今となっては結構社交的になったんですけど、自分はすごい人見知りだったんです。小中高と、本当に女性と喋るのとかマジで無理だなと思っていたくらい。
とはいえ双子なんで、「双子」ってだけで寄ってきてくれて、結構友達は多かったですけど、それでも自分から作りに行ったりとかも、全然下手くそなタイプでした。学校では「隅っこにいたいな」と思って過ごす感じでしたね。
でも逆に野球をやっているときは、もう「目立ちたい、中心選手でいたい」みたいな感じだったんで、そういう反動的なものはあったと思います。

森逸崎:後ほどその幼少期のお話もぜひお伺いさせてください。
野球を長年やってい宝こそ今のキャリアアドバイザーに活かせているな、と思うことは何かありますか?

祐輔:ありますね。大学まで1つのスポーツを続けてきてる人って、よくも悪くも、そこにめちゃめちゃ熱量を注いで、時間もお金もかけてきてやってる人だと思っていて。
かつ、その十数年間で辛い思いとか、何かを達成した思いは絶対強くある。でもそれなのに、そういった経験を言語化するのが、体育学生はやっぱり下手くそな部分があるなとは思います。
せっかく良い経験を持ってるのに、言語化できないゆえに、企業様とのマッチングがうまくいかない。だから、その部分を結構自分が手伝ったり整理してあげることで、その人の経験やその会社どういう部分が役立てられるのか、といった部分を正確に伝えるサポートをしたりしています。
あとはその人がスポーツをやっていた熱量があれば、社会に出ても活躍できるんじゃないかなっていうのは思っていて。なんかそこをうまく伝えたいなって。

森逸崎:体育学生と関わる中で、なんと言われることが多いですか? 

祐輔:新しい発見の声が多いかもしれません。
彼らも、一生懸命ずっとそのスポーツをやっていただけだったんですけど、いざ振り返ると、「この経験が、この仕事のこういうところにつながるんだよ」みたいな提案に対しても、「すごい発見でした」とか「自分ってこういうのが向いてるんですね」とかを言ってくれます。結構そういう新たな発見みたいな声が多いです。

森逸崎:仕事していてどんな時が一番楽しいですか?

祐輔:それはもう、ちゃんと学生さんに自分の言葉で伝えられてるとき。
自分自身体育会出身で、ファーストキャリアのところでうまくいかなかった部分もあって、それで転職も2回しているので。「スポーツの熱量で仕事ができるって、こういうことだよ」みたいなことをちゃんと学生さんに伝えて、その子が受け取ってくれていると感じたときは、この仕事で一番楽しいと思いますね。その言葉によって新しい発見や、気づきが伝わったなという瞬間。

過去:野球しか知らない自分

森逸崎:先ほど幼少期は人見知りだったと仰っていましたが、ご自身も、言語化は苦手だったのでしょうか?

祐輔:めっちゃ苦手だったと思います。基本的に1人で考えたり、本を読むのが好きだったので。でも、インプットはめっちゃするんですけど、いざそれをアウトプットするってなると、できなかった。最適な言葉も見つからないし、それを口に出すこともできない。

森逸崎:そもそも人見知りだったのって、どんなことが影響しているのでしょうか。

祐輔:一番は、双子だったからというのはあるのかなと思っています。本当に、保育園から小中高と、ずっと「友達を作った」というよりは「勝手に来てくれた」という感覚の方が大きかったんです。別に外に友達がいなくても、全然2人で遊んでたらその場はその場で楽しいなと家でも思っていたし。「わざわざ外に出て誰かと喋る」をしなくても良かったっていう環境が、結構人見知りにつながってるんじゃないかなと思います。

森逸崎:なるほど。
具体的に自分で「インプットするの好きだな」と思い始めたのは、何歳ぐらいからなんですか? 

祐輔:中学のときですかね。お母さんが結構小説とか読んでいたので、その影響で。プールも習っていたんですけど、プールの待ってる時間とかに母が小説を読んでるのを見て、なんかちょっとかっこいいなって思ってたこともありました。
あと、プロ野球選手の中でも、すごい読書家の方って結構多くて。かつ結果も出していたから、「自分も読んだら結果出せるのかな」と思って読み始めたのがきっかけですね。

森逸崎:へえー!
ちなみにちょっと話が逸れるかもしれないですけど、ご自身の中でお母様ってどんな存在ですか? 

祐輔:お母さんは、もうめちゃめちゃ愛情ある、何しても本当に味方でいてくれる人です。本当にすごいなって思います。常に僕たちのことを考えてくれているなって思う瞬間がめっちゃ多くて。どんな時でも、否定的な言葉を投げたりしないし、応援してくれる。自分がへこんでいる時でも、前向きな言葉をかけてくれる。愛情が、すごい伝わってくるというか。そういう存在ですね。割と父親もそんな感じなので、肯定され続けて育ちました。

森逸崎:きっと実力的にも環境的にも、野球の道に進むことも選択肢の一つとしてあったのでは。

祐輔:ありましたが、それはもう、実力的なところで「無理だな」と自分で思って。プロになれる要素もないなと思ったし、ここでやっていても、多分お金になることはないかなと思ったんで、やめたっていう感じです。

森逸崎:当時の祐輔さんが思われていた「プロになれる要素」ってどういう要素ですか? 

祐輔:とにかく結果ですね。普通に大会で活躍してるとか。
大学入ったときに硬式野球部があったんですけど、そこの練習を1回見に行ったことがあったんですね。でも、それを見た瞬間「これは自分には無理だな」って思ったんですよ。「この環境で自分が試合に出ることはできない」って。だから硬式ではなく「準硬式」という、違う部活に入って大学では野球をやっていました。

森逸崎:硬式の方は、どんな環境だったんですか? 

祐輔:もう、なんですかね。本当に甲子園常連校の人たちが集まるような部活。レベルが段違いで、めっちゃ高いなと思って。だから結構、そこで諦めた節はありますね。
それでも「何かに打ち込みたいな」とは思っていたので、準硬式の野球部を選んだっていう感じです。
とはいえ準硬式の方は、レベルこそ硬式より低いけど、というかそう思って入ったんですけど、僕が1年生で入部したときの4年生が、全国制覇するぐらいの結構強いチームで(笑)
でも、びっくりはしましたけど「ここならやっていけそうかな」とか思って、4年間打ち込みました。

森逸崎:野球に打ち込んでいた環境で、自分の言語化スキルに対して向き合うようになったのはいつ頃なのでしょうか?

祐輔:就活のときとかですね。面接もそんな得意なタイプじゃなかったので。そのときに初めて、「野球だけやってきたことって、意外とコンプレックスなのかな」とか「もっといろんな経験してきたら、いろいろ喋れるのかな」とか思ってしまった時期もあって。
今振り返ると、別にそんなことはないと思うんですけど。野球を通してすごくいろんなことを学んだし、いい経験をしてきました。
でもその当時は「自分には継続力ぐらいしか長所がないな」と本気で思っていました。その頃に初めて、「自分は自分のことをあまり言語化できていないな」と、なんか思いましたね。

森逸崎:就活の時は、言語化はどのように実施していたんでしょうか?

祐輔:いろんな人と話したりとか、よくある自己分析分析ですかね。自己啓発本も読んで、自分のこういうとこが長所で、こういうところが短所で、みたいなのを自分でして、訓練していきました。
とはいえ特にやりたいこととかも見つかっていなかったので、あとは面接をめちゃめちゃ受けて、場数を踏むことをしていました。それで面接にも慣れていって、言語化をちょっとずつしていったなという感じです。

森逸崎:最終的に一番最初はどんな会社に入られたんですか? 

祐輔:某大手家具販売会社で、最初は研修で店舗に立って主に接客をしていました。普通に、来てくださったお客さんに対していろいろ話して「この家具ありますよ」と接客する感じ。
自分に合ってたといえば合ってたと思います。客層も主婦の方が多かったりもしたので、結構好かれたりとかしてたし(笑)あとは一緒に働く人も、パートさんがやっぱり多かったので、コミュニケーションもまあまあそれなりに円滑に取れながら進められていたと思います。家具とか売るのも結構、全国社員の中で1位の成績を取れたりとかもして。
接客業とか営業。人と話すことは、たぶん自分に合ってるんだろうなと思いました。

森逸崎:幼少期は人見知りだった方が、それでも人と話すことが好きだったり、そこに対して興味を持てたのってなんでだったんですかね? 

祐輔:なんでなんですかね。
でもまあ、憧れみたいなものはあったかなって思います。自分があんまり話せない分、めちゃめちゃ話せる人とか、友達が多い人に、いいなと思う気持ちはずっとあったからですね。

森逸崎:言語化スキルを身につけるにあたって、何かきっかけはあったのでしょうか?

祐輔:あーありますね。
社会人2年半目くらいですかね。そのタイミングで転職をして、普通に企業では働いてたんですけど、同時にオンラインサロンみたいなものに入って。そこでの経験がめちゃめちゃ僕にとって良かったんですよね。
元々「話すことや人に対してはめっちゃ興味あったけどうまく話せない」みたいな状態だった。でもそのサロンで、話すこと、コミュニケーションってこういうことをするんだよとかを教わって。価値観だったり考え方を180度ぐらい変えてもらった感じです。そこから、自分もそのサロンで講師をするようになったりとかして、そこでも伝えること自体を訓練したりもしました。
それがきっかけで、むしろ面接とかめっちゃ得意な方になった感じですね。

森逸崎:そのオンラインサロンは、どういうきっかけで入ったんですか? 

祐輔:これがすごい面白くて。それこそ就活期間中に、自分がカフェで履歴書かなんか書いてたんですね。そのときにたまたま隣にいた全く僕の知らない人。20代後半ぐらいの人にいきなり「この近くに美味しいラーメン屋さんある?」みたいな感じで声をかけられて(笑)それで教えたのかな1箇所。「なんかここ美味しいらしいですよ」みたいな。で、そこでちょっと仲良くなって。
それで話を聞いていたらその人は元々独立をこれからする人で、なんか話も面白いし、仲良くなってLINE交換したんです。その当時の話がすごい面白かったんですよね、僕にとって新鮮な話で。
だから社会人になっても、連絡を取り合ったり、帰省する度にカフェで話したりもしていました. その人とは。それで僕がちょうど転職をしたいなって思ったタイミングで相談する人がやっぱりいなかったので、はじめに相談した人はたぶんその人でした。その人から教えてもらって、オンラインサロンにもつながったって感じですね。

森逸崎:へえー。
そのオンラインサロンでは、どんなことをやるんですか? 

祐輔:わかりやすく言うと、ネットワークビジネスですね。仲間を集めて、その仲間と一緒に店舗を立てたりとか、一緒に経営していくみたいなイメージ。

森逸崎:ご自身の中でこのサロンから一番影響を受けた部分って、どんなところでしょうか。

祐輔:一番は、本当に人生こうしたいとか、こういう目標・目的を持ってやれば、ある程度成果というか、結果が得られる、ということですね。
そのスタンスで取り組んでいれば、過程もめっちゃ面白くなるし、自分自身もある程度本気で何かなりたいみたいなものがあれば、結果、成果って出せるんだなって。それが一番の学びだったなって思いますね。
そのサロンには同世代とか僕の年下とかも多かったので、それがめっちゃ刺激になった感じです。

森逸崎:逆にそれまでは、ご自身の中で進路や自分のやりたいことを選択するときの判断基準って、どんな感じだったんですか? 

祐輔:親とか周りとかの目を気にしてたと思います。
まず中学から高校に行くときも。本当は甲子園を本気で目指したかったから、当時住んでいた滋賀県の中でも、自分の勉強のレベルの範囲で、甲子園行けそうな高校に行きたいって親に言ったんですよね。
でも同時に、私立の高校から野球の推薦ももらったりして。そっちに進学した方が、その後指定校推薦もあったので大学とかも行きやすくて。今思うと僕はその当時あまり考えられていなかったので、「あ、そうなんや。推薦ももらえてるから、今はその私立高校に行こう」と思って結局そっちに行ったりとか。

森逸崎:うんうん。

祐輔:大学を決めるときもそうでした。関西なので、いわゆる関関同立(関西学院、関西大学、同志社大学、立命館大学)に行って欲しいとかいうのも親から期待があったりして、僕もそれに応えないといけないのかなって。結構点数的にはギリギリだったのかなと思うんですけど、最終的に指定校推薦でそこを選んだりとか。自分の意思っていうよりは、わりと、「そういうふうに行くべき」みたいな感じで思っていました。
就職のときも、4社ぐらい内定いただいたんですけど。結局、一番大手で名前が知られているところに行きましたし。
常に周りの目や両親の期待に応えたい、という感覚が強くて、自分で考えて自分で決めるってことはしてこなかった感覚があります。

森逸崎:その当時のご自身は、周りからどう思われたかったですか? 

祐輔:めっちゃかっこ良く見られたかったんだと思います。かっこいいとか、すごい人とかって言われたい。
今は結構「堂々としていて、自分のやりたいことをやっている人」が、やっぱりかっこいいなって思うんですけど。
その当時は本当に、いわゆる「安定」とかステータスとか、大手に入ってキャリアを積んでいる人のことをかっこいいと思っていました。

森逸崎:サロンとの出会いで、明確に自分の中で、「あれ、自分変わってきたぞ」と思うタイミングってどんな時でしたか?

祐輔:オンラインサロンに入って、1ヶ月2か月ぐらい経ったときに、それこそ双子の兄と、あともう一人よく会う親友と、たまたま話す機会があって。
そのときに、僕はあまり覚えてないんですけど、結構いろんなこと、将来やっていきたいこととか、その時思っていた価値観とかをベラベラと話していたらしくて。そのときに2人から「お前変わったな」みたいなのを言われて。イキイキしてるというか、「こうだよね」とか、「こうすべきだよね」とか、「こっちにした方が将来に絶対つながるよね」とか、とにかくハッキリものを言えるようになったと言われました。
そこで初めて、自分が変わったことを実感しました。

森逸崎:サロンの中で、一番影響を受けた人とかっていますか?

祐輔:本当に一番最初に転職相談した、「カフェでたまたま出会った人」ですね。その人がきっかけで、結構変わったなって思います。最近はもうあまり連絡とってないんですけど。
その人は本当に毎日楽しそうだったし、結構周りにもこの人を慕う人がめっちゃいたし。やっぱり、あったかい人ではあったなって思いますね。自分が言ったことに対して、絶対否定はしなかったし、むしろ可能性の方を信じてくれました。
その1社目に勤めていた大手を辞める時とかも。その当時ずっと成田に住んでいたので、転職して大阪に戻るってことは、引っ越しとかも含めてめっちゃ大きな決断だったんですけど、でもその時に「一緒にやっていこう」「自分の理想に向かって努力していこう」って、ちゃんと面と向かって言ってくれたのが、すごい良かったなって思います。

森逸崎:「一緒にやっていこうよ」って言われたときは、祐輔さん的にはどういう感情だったんですか? 

祐輔:もう、プロポーズ受けた感覚に近い(笑)

森逸崎:プロポーズ!(笑)

祐輔:好きな人に「将来一緒にこういうふうに家庭を作っていこう」みたいなのを、言われた感じです。
その時、色々整理もして、そのオンラインサロンの時間を確保するために、会社は必要最低限、9時-18時で働けて、残業がないところを選びました。
その大手の、自分が働いてた店長とかマネージャーをやっている30代の人より、そこのオンラインサロンにいる30代の人の方が、僕はキラキラして見えたし、こういう人みたいになれたらと思って、決断したんだって思います。
たぶんそのサロンに出会ってなかったら、普通に結婚して、普通にたぶん今ごろ店長とかしてそうですね。

森逸崎:もし今カフェで履歴書書いてる自分に会ったら、どんなアドバイスをしますか?

祐輔:なんだろう。「自分の本当にやりたいこと、ありたい姿につながる仕事を選んだ方がいいよ」っていうのを、言いたいですね。周りの目や世間体とかじゃなくて。結局、そういうのは半年ぐらい経ったらどうでも良くなるから、自分のこうなりたいにつながるところに、どんどん向けて行こうっていうのを言うと思います。

森逸崎:ありがとうございます。
ぜひ、今後のやりたいことについてのお話もお伺いしたいなと思います。


未来:結果を出すことで自分の選択に納得したい

森逸崎:今後、こうなりたいなっていうイメージって何かあったりしますでしょうか。

祐輔:今考えているのは、大きく2つあって。
1つは、やっぱり今のキャリアアドバイザーの仕事は、自分に絶対合っているなと思っているので、それこそ僕みたいな、社会人2年目、3年目とかで迷ってる人に対して、自分の経験とかアドバイスとかを伝えられるような、キャリアステップを踏んでいきたいなと考えています。
もう1個は、双子で有名になりたいなっていうのはありますね。
双子でいろんな活動というか、Instagramで発信したりとかインスタライブしたりとかいろいろしていて、まだどういう形にするかは分らないですけど。
でもその2軸は、やっていきたいと思いますね。

森逸崎:祐輔さんにとって、双子のお兄さんはどんな存在ですか? 

祐輔:ありがたい存在ですね。やっぱり1人じゃ、僕もいろんな行動はできなかったなって思うし。実は兄もオンラインサロンに入ったんですよね、僕の後に。僕が誘ったっていうよりは、兄が僕の姿を見て、刺激を受けて感化されて入ってきたみたいなのがあるんですけど。
そこも、兄がいたから結構頑張れたし、何でも話せるいいライバルみたいな感じですかね。

森逸崎:いいですね。何でも話せるいいライバル。
お兄さんから影響を受けたことってありますか? 

祐輔:結構ありますね。小さいことで言えば服装とか。何が面白いかみたいな会話は、ずっと2人のLINEでしてたりするので、ドラマとか、そういう日常的なとこもそうですし。
あとはずっと野球も高校まで一緒だったので、努力する姿勢とか、何かを信じ抜く力とか。継続してたら、最終的には花開くんだなみたいなところもめっちゃ兄から学びました。そういうとこはすごいありますね、影響受けてます。

森逸崎:ありがとうございます。
ちなみに、今後その2軸の活動をされていきつつ、5年後10年後、もしくは死ぬ前にご自身はどういう感情でいたいですか? 

祐輔:あのときの挑戦とか選択が、やっぱり良かったなって思えるような自分でいたいなと思っています。
今、正直結果がついてきてるかっていうと、そうじゃない。過程の段階ではあるので。
だから、結果ですね。キャリアアドバイザーであれば、具体的に何人が自分のいきたい会社に行けているかとか、双子の活動であれば、フォロワー数とか、わかりやすい結果を出して、俺のこれまでの選択っていうのが、間違っていなかったんだなって思える人生にしていきたいなとは思います。

森逸崎:ちなみに双子の活動は、どんな内容で、どんな人に届けていきたいですか?

祐輔:すごい矛盾してしまうんですけど、伝えたいのは、やっぱり20代の方ですね。ちょっとキャリアに困っている人。そういう人たちに自分がやりたいことをやって結果を出すっていう部分は伝えたいんですけど。
今進めているのが、双子のお母さんたちをターゲットに、双子の当事者としてこういうことを思ってきたよとか、こういう苦労してきたよとかいうのを発信していて。それが少し好評いただいている状態なので、そっちに向けて今は発信してるっていう感じですね。

森逸崎:では、祐輔さんのイメージの中では、キャリアアドバイザーとしての活動も、ゆくゆくはInstagramでPRしていけたらいいなっていうイメージなのでしょうか? 

祐輔:そうしたいなとは、ゆくゆくは思っています。

森逸崎:ありがとうございます。
今までずっと私、お仕事の方の話をバーっと聞いてしまったんですけど、趣味は何ですか?(笑)

祐輔:趣味は読書と、あと、匂いフェチなんで(笑)香水とか、お香とか、結構そういうのを集めるのは、好きですね。
これがきっかけかはわかんないですけど、ユニバーサルスタジオジャパンのETの乗り物ってあったの知ってます?自分がめっちゃ小さい時にそこに行ったんですけど、その乗り物の匂いがめっちゃ好きやったんですよ。そこからずっと、それに近い香水の匂いの人とかを、めっちゃ探して(笑)それで一応、ちょっと近いのにたどり着いたのがあったりして。

森逸崎:あはは(笑)
どんな匂いなんですか? 

祐輔:森林とか、ウッディ系の匂いですね、そういうのに近いと思います。森みたいな安らげるような匂いが近いかもしれないです。すごいリラックス効果がありそうな。
ちっちゃいときから、その匂いは覚えてますね。

森逸崎:覚えてるのもすごいし、実際に見つけられるのもすごい(笑)
では打って変わって、「もしもの未来」についてお伺いします。
もし仮にご自身が幼少期のころから言語化が得意で、自分の人生こうしたいっていうものが、ちゃんと人に伝えられて、もっと堂々としている状態だったとしたら、今ってどういう人生になってたと思いますか? 

祐輔:あーーーー。何だろう。多分何かしらの分野では、もっと有名になっていたんじゃないかなって思います。それがスポーツなのか、経営なのか、仕事なのかわかんないですけど。自分の可能性とか、そういうのを信じることができて、それに対して行動してたりして、有名になってるんじゃないかなって思います。
基本的に、目立ったり、結果を出すことができるのは嬉しいんですよね。まあ、小中高とか、野球やっていても割と早いうちから試合に出させてもらえていたりとかもしましたし。やっぱり、結果を出している方の自分の方が好きだし、めっちゃいいなって思いますね。

森逸崎:おお。やっぱり「結果を出す」が一つのキーワードなんですね。
ありがとうございます。
ちなみに、双子のお兄さんにもご両親にもご友人にも言っていない、墓場まで持って行こうかなって思ってることって何かあったりしますか? 

祐輔:えー、墓場まで?なんやろ。「両親に言ってない」ということは結構多かったりはするんですけど、大輔(兄)にはめっちゃなんでも話してて。え、あるかな。
マジでないかも、今のとこ。一つくらい持っていたいですけどね(笑)思い出せへん。

森逸崎:おお。Instagram概要欄にあった「日本一仲のいい双子」は伊達じゃない。

祐輔:確かに。ほんまにないかも。

森逸崎:これからもぜひ、仲のいいお二人でいてください!
インタビューは以上となります。
いろいろ教えていただいてありがとうございました!

あとがき

祐輔さんのお話を聴きながら、「結果を出すこと」に対しての強い信念を感じました。野球一筋でやってきたこと自体をコンプレックスに感じても、それこそが強みであると自分で言語化していった祐輔さん。
実は双子のお兄さんの大輔さんのインタビューの直後に祐輔さんのインタビューを実施したのですが、情報処理の仕方が全く別物! ゆえにやっていきたいことだったり得意なことも全く別物! とても興味深いインタビューとなりました。
これからのご活躍をとても応援しています。

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