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わざと教えてないんだろう


A hyper-realistic image of a small store located in a national park, dedicated exclusively to selling lace. Inside the store, there's a steamer where an eggplant is melting away, evoking a dreamlike and serene atmosphere.

澄みきった空。
青天井。
罪のない雲。
今日という日をいつも愛したいと思っているが、実際は思ってないですね。

今週はインタビューが多くて、月火と有料5万円のインタビューが各1あって、これは実はインタビュー自体は120分でまあ軽いもんなのだけど、そのあとの記事作成がもうちょっと小説を書くようなものなので思ったよりもヘビーだよ。
それで、今日は《何かと人》インタビューを3本。
「復職と人」「短歌と人」「金稼ぎと人」の3本。
それぞれけっこう軽い内容ではあるものの、3本となるとそれはそれは厳しいよなあと思っている。

それで、私は、今日の日記タイトルをなぜ「わざと教えてないんだろう」にしたのだろうか。なぜか。わからないな。
どっちかと言えばもう眠いからなのかもしれない。こんななんか呪いみたいな言葉にしちゃったのわ。

「わざと教えてないんだろう」という言葉は、誰が誰に言った言葉なんだろうか。
親が、小学校の教師に言った言葉なのだろうか。
それとも、ポケモン大会に出場した選手が、退会運営に対して、重要なルールの説明がなぜか抜けていて、その時に言った言葉なのだろうか。
知らん。

ああまた、こうも、何の意味もない言葉を連ねてしまう。
仕方あるまい。

「わざと教えてないんだろう」という言葉が思い浮かぶには、何かしら、私の心の中に戦う何かがあるのだと思うよ。
それは、例えば、チームのインタビュアー達に対して、インタビュー技術をちゃんと教えてないってことが思い当たる。いや、教えてるつもりで、ヌケモレがあったりするってことなんだけど。
それはまだまだ知識の体系化の第一章が終わってないってことなんだけど。
(で、そうなんだ、インタビュー実践ばっかりやってないで、さっさと知識を紙にまとめるんだよ、早く! 早く!)時よ来たれ。夜に舞え。走れ!

例えば教えてないことに、正聴、インタビューフルネス、聞欲話欲。そういうものがあったりする。
インタビューフルネスという概念は、とても重要なんだけど、最近できたといえばできた概念なので、ぜんぜん伝えられていない。
ここで書こう。

これはもう、インタビューを通じて得られたマインドフルネスという意味でつけた。私自身がマインドフルネスについて最高に詳しくないので、ほんとにもう概念を拝借したようなものだけど、つまり、インタビューしている間に感じる参加者と混然一体になった感覚に「インタビューフルネス」と名付けた。
これは、インタビュー参加者にとっては、自分の話をして、自己が整理され、すっきりし、インタビュアーに話を肯定的に受け入れられ、幸福感を感じている感覚を示す。体温はちょっと上昇しているだろう。頬ぺたはほんのり紅潮しているだろうという塩梅である。

一方インタビュアーにとってのインタビューフルネスとは(そうです! インタビュアーもフルネスできるんです!)、インタビュー参加者の人生を本人の口から聞き、聞くことで追体験し、上質のドラマ、最高級の映画を思う存分見たような満足感がある幸福感のことを指します。物語の持つ、時系列展開、感情の上下、迷い、そういったものを感受性いっぱいに頬ばるんです。
そして何より大きいのは、質問する喜びです。喜びなんですね。
質問によって、実はそのストーリーに参加できるんです。参加者の中の記憶に参加して、一緒に、本人と、出来事を縦糸に、感情を横糸にした物語という名のタペストリーを味わうんですお腹いっぱい。
あなたは私であり、私はあなたである。

こういうこのこと、実は教えてないんですよね。
教えてないというか、教えられてないというか。
そうなんですよー。いじわるしてるんじゃないんですよ。
ただ、時間がなくてとか。最近できた概念だからとか。
そうなんですよー。まだ教えられてなくて。
だから、そうなんですよね。そういった最新の概念、インタビュー研究に基づいた「新しい人の話の聞き方:インタビューフルネスと聞欲の無名人インタビュー」という本を準備中です。お待ちくださいませ。

ご存知でしたか? 無名人インタビューは今のところqbcのポケットマネーで運営されています。
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