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自分なんか信用できないぞ


考えてるんですよね、この主催日記ブログをいつ書くべきなのかと。
昨日もそうだし、他の日も比較的そうなんだけど、深夜に寝る前に書いているんですよ。ひとしきり仕事終わったあとにね。あとyoutube見るくらいしか見ることなくなってから。
でも、そうすると、濁った思考の時にやってる感じになっちゃうんですよね。

人間、やっぱり一日生きてると、体中の液体が濁ってる感じがするというか。
脳に血液がぐんぐんまわってるわけじゃないですか、その血液の中にエネルギーというかなんか情報がなんかのっかってるわけですよね。で、それで液体がめぐることによって体になんかプラスのことしてるわけですよね?
私のザックリ認識、バックリ間違ってますかね。おおらかな誤認でもしてるのかしら私。
わからないで。わからないぞ自分なんか。
でも、ともあれ、一日の朝よりも、一日の夜のほうが体濁ってて、思考もただれるでしょって!(昼ひなかの今書いててもじゃっかんダーク感あるけど)

私、白内障の手術で左目だけ人工レンズなんですけど(何度も何度も言ってますが新規さんも読むのでね!)、手術後、翌朝、驚いたんですよ、包帯はずした後で。
左目と右目で、視界の色が違ったんです。人工の左目はやや青みがかっている。右目は、やや黄ばんでる? こわいですね老化って。

と、いうわけでなるべく午前中に書いて、午後は作業、夜はもっと作業にする。
作業=原稿。
もっと作業=システム開発など、結果に人依存がすくないもの。

朝は脳のゴールデンデリシャスタイムっていうものね。

ままま、ということで、Youtube企画とか考えたり、音声配信企画を考えたり、まあ企画ばかりしているわけですが、最近始めたのが、「大学生に自分の力でお金を稼がせる」企画です。
45の大人がやり始めると、なんだかうす汚い企画みたいな感じしますけど、そんなことないですからね、まじめです。イギリス留学中のうちのチームの人との企画なんだけど、なんか日本のマックで200円しかしないハンバーガーがイギリスポンドだと1,000円するらしいんですよ。
5倍ってね。さすがになんか見間違いも疑ってますけれど、そのチームメンバーがそう言うからにはそうなのでしょう。
これはまずいね、自分の力でお金を稼がないと、仕送りだけではやっていけない! 9月から1年いなきゃいけないのに!

私の頭の中にあるのは、
10,000人に1人が仕組みを作れる
1,000人に1人が仕組みを理解して、改善案を出せる。
100人に1人が仕組みは理解して、ただ使える。
残りはただ使う人。
という構造。

無から有ってほどじゃないけど、やっぱり仕組みを作れる人は少ない。たとえばUber Eatsとかさ。(でもウーバーも既存ビジネスを土台にはしてるわけで、完全に無から有ってわけでもないよね)
で、今回の大学生はまずは「100人に1人が仕組みは理解して、ただ使える。」にたどりつきたい、と思ってます。
さっそくココナラにお話し聞きサービスを掲載したらしいんだけど、どうなったんだろうね。まずは「ただ使う人。」の立場になって、仕組みを理解するってところにステップアップしたいところです。

で! 自分なんか信用できないぞというタイトルで書いていたんですね。
私、自分をあんまり信用していなくて。性格悪いし。それに、やっぱり悪意や憎悪って自分の中に渦巻いてるんですよね。で、悪いこともしてしまう。
犯罪まではいかないけどさ。で、その恩返しとして、何か無謀に無暗に「良いことをしなきゃ」って思うんですよね。
無名人インタビューのボランティア要素には、私のそういう心の構造が影響を及ぼしていると思うんだけど。
でもさでもね、心の中がどうあれ、結果が良ければよくない?

で、そういうわけで私主催は私qbcを信用してないわけなんだけど、そういう心の向きもあり、早々に「他人」をこの活動にジョイン(招きいれた)わけです。
それが無名人インタビュー開始から2年目のことですね。
無名人の方法をレクチャーして、それぞれのアカウントで無名人インタビューをやってもらうと。都合30本近くやったのではないかな(調べればわかるんですけど! 今はちょっとめんどうで。)
でもこの看板貸し方式は半年で崩壊。なんていうかチーム感がなくて一匹狼みたいになって、それぞれでモチベーションがもたなかったみたいで。
で、3年目からは今の1アカウントに複数人が参加するチーム制になったわけです。やっぱり他人がいると刺激的だし、モチベーションも維持されるよね。

先日の文学フリマの後でお酒飲んでいた時にナカザワさんって、半年で崩壊した看板貸し方式時代を知る唯一のメンバーとそのころの話をして、なんだか懐かしかったですね。
まー時にコロナでなければ、もっと顔を合わせることができて、そしてもっと団結できて、看板貸し方式でも継続した可能性はありますが。

ともあれ、私は他人に振れている時の自分はじゃっかん、信用できるんですよ。
他人から見られている時の自分。
他人を意識している時の自分。
こういう時の自分は、悪いことを積極的にしようとはせず、むしろ良いことをしようと思う。
単に外面がいいだけとも言います。見栄っ張りと言ってもいいです。内弁慶とも。おだてに弱いとも表現できますね。
言いジャンそれは別にでも結果がよければさ。

こうして私は積極的にこの活動に他人という偉大で未知なる存在にここで一緒にいてもらうようにしたわけです。
その結果は、どうであろうね。
私は良かったと思ってる。
どうして良いのかっていうのは、まあこのブログの中でいろいろと語られていくのではないのかなと。

いずれにしろ、インタビューというのも、他人と他人が重なり合う領域を意図的に作り出す活動で、その経験からインタビュアーもインタビュー参加者も自己になんらかの良いフィードバックをすることを目的としているし、
さらにその結果が読者へも通じたらいいんじゃないの、って活動だし。
他人、他者、見知らぬあなた。
あなたというものが不可欠な活動であることよ。

で、その発見のきっかけが、自分というものへの漠然ととした不安だったよ、というお話です。
ふだんね、ほんと信用できない自分がさ、ちょっと偉そうにがんばれるのは、つまり他人の目のおかげなのさと。
さー今日は原稿2つ終わらせますー!


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