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クラウドファンディングで東南アジア6カ国を86日でまわってきた人に、聞いてみた

人を知りたいと思った時に、まず一人を知るじゃない?
で、そのモデルを中心に仮置きして、他の人にも聞いていって、情報のネットワークを作っていくわけですね。
中心に置いた人をAさんとして、他にBさんCさんにも話を聞いていったとすると、こんな感じで。
Aさん
┗Aさんはこうだったけど、Bさんはこうなんだ。
┗Aさんはこうだったけど、Cさんはこうなんだ。
こういう情報のネットワークができていったあとは、そのネットワークを眺めて、あーこれBさん中心に見たらどうなんだろう? とか、Aさんって実は中心に置くにはユニーク過ぎるかも、まんべんなく平均的なのはCさんかな、とか考えたりする。
で、人を知る時の「まんべんなく平均的」って何か? って言ったら、どれくらい他の情報とネットワークの接点を持てるかどうか、他とどれだけ似ているか、ってことで。
似ている=平均的って感覚なんだろうなあ。
というわけで、留学したい人モデルをすこし自分の頭の中に作りたくて今回のインタビューです!!!!!
人を通じて世界を知るぞ。
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは うたがわ さんです!


苦と楽

(フィリピン、イロイロの街並み)

qbc:
帰ってきてからどれくらい経ちました?

うたがわ:
帰ってもう2ヶ月ぐらいですかね。

qbc:
今、何をしている人ですか?

うたがわ:
東南アジア6カ国を86日でまわってきた人です。

日程:11月9日 - 2024年2月2日(6か国各2週間)
渡航国:ベトナム
    タイ
    マレーシア
    シンガポール
    インドネシア
    フィリピン

qbc:
どうでした?

うたがわ:
大変なことも多かったけど楽しかったです。
元々が悩みやすいので、何も発見できないような気がして不安な時もありました。でも結局各国一つは何となく気づきがあったので、楽しく回ってきました。

qbc:
大変なこと? 例えば?

うたがわ:
自分の感情の上下動と、文化の違い的なところです。
食あたりとかは置いといて、それ以上に自分と土地の文化が合うか合わないかというところで、日本での生活と同じように苦労することがありました。

例えばバリ。観光地の性質が一番強い地域だったからか、宿のスタッフの商売っ気に圧倒されたりとか。
あとは今の情勢的にロシアの人が、東南アジアが生活費が安いので逃げてきてる場合がありました。他の地域から来た旅行者と国際情勢に関してちょっと激しい議論をしてるときがあって。なかなか戦争関連の議論に触れる機会がなかったので、自分が何をできるかわからなくて悩むこともありました。

qbc:
議論は、誰の? うたがわさんの?

うたがわ:
私は当事者ではなく議論を見ている人みたいな立ち位置でした。
たまたま宿泊先のロシア人とちょっと仲良くなってたので、個人的にその人が罵倒されるのを見るのが辛かったです。あとは宗教的なことが絡んでたので、なかなかその感覚が違って、また二重に悩むみたいな感じでした。

qbc:
誰と誰の議論だったんです?

うたがわ:
そのときは、ロシアの人と、相手はカナダにいるけど、パキスタン出身のムスリムでした。

qbc:
どの国で?

うたがわ:
マレーシアのクアラルンプールの宿でした。

qbc:
あーなるほど。ムスリム多いから。

うたがわ:
そうですそうです、メジャーな方ですね。国民の6割がムスリムです。

qbc:
なるほど。他に、大変なこととは?

うたがわ:
私の興味にも繋がる話だと、フィリピンでの話なんですけど。街が発展してる部分と、いわゆる貧困層のコントラストといいますか。
距離がめちゃくちゃ近いし、その落差も一番大きいっていうのが、マニラとかフィリピンだったんですよ。私が見てきた中で。

以前のインタビューでも少し触れたように、私の興味は慈善活動や社会貢献というより、個人の創作や自分の興味につぎ込んでいます。そこで自分が少し無責任なような気がしたりとか。でも、街の現状と自分の興味の間でどんな選択肢を選べばいいかわからなくて。

オフィス街のマカティにも物乞いの子供が道を1本外れると普通にいました。かわいそうというよりかは、生きる術のしたたかさと自分の生活環境との違いに関心を持ちました。自分は日本でずっと生きてきたから。

qbc:
商売系のお話は、どんな?

うたがわ:
バリで、ウブドというバックパッカーが集まる地域に泊まりました。で、グラブっていう配車サービスがあって、比較的安価で少し離れた山の方にある滝とかにも行けるシステムがあります。
それとは別で、私が泊った宿の人が「ここに連れてって行ってやるから任せな」みたいな打診をしてくれるんです。でもちゃんとインバウンド価格で、グラブなら1000円もしない、大体高くても600円以内に収まるような地域でも、その宿の人に私が連れて行ってもらうと、3500とか4000円とかの値段を提示されるんですよ。

お金を持ってる人が来てると考えれば、商売としては正しい行為です。
でも、私が大学に行ける日本の学生という比較的豊かな条件があるとはいえ、私はそんなにお金を持ってるわけではありません。それでごめん今回は大丈夫って伝えたら、「親にお金送ってもらえばいいじゃないか」って言われて、私はちょっとそれに本気でキレました。

qbc:
なるほど。

うたがわ:
でも、単純に数字で考えると、私は、生活水準感が高めな環境で生きてきたことに気づきました。
日本の中だけで考えると、1人親とか、給付奨学金がないと国公立大学にも行けないとか、自分の立ち位置をお金がないサイドに置いて話す機会が多かった。でも現地ではその逆で、いくらクラファンをする必要があったとはいえ、各国に渡航する気力を持つことができたり、そのための勉強ができたりする自身の環境の豊かさを確認しました。
自分の世界も違うところに行ったっていう実感を得たし。あとバリの商売スタイルも、バリの人たちが自分たちの文化を守るために、歴史的な背景を踏まえて存在するもんなんだなって分かりました。

qbc:
楽しかったことはなんでしたか?

うたがわ:
ご飯が美味しいっていうのもそうですし、やっぱり文化の流れが面白い。
東南アジアってインドと中国の間にあるじゃないですか。インドに近ければ近いほど、そっちのわりと強い表現、強い色が表れます。ヒンドゥー教とか宗教の神の絵も何となく顔が濃くなる。逆に中国に近いほど中国的な文化が現れます。そういう地理関係と文化を取り込む過程が顕著に目に見えてすごく楽しかったです。

あとは。一番悩んだのも、一番楽しかったのもフィリピンなんですよ。今回一番最後に行った国なので、文化を乗りこなすコツがつかめていたっていうのもあるんですけど。華人系墓地に行きまして、後から見たら『地球の歩き方』にも載ってた墓地でした。ちょっと奥まったところにあります。

以前、ハロートークっていう言語交換アプリで日本語が話せるフィリピンの人と知り合って、その人が連れて行ってくれました。そういう、ちょっと辺鄙なところに連れて行ってもらって、やっぱ建物がちょっとお墓とか朽ちていたりとか、そういうのを見るのが楽しかったです。

私達が住んでる日本って東アジアじゃないですか。東南アジアにもアジアって同じ名前がついてるけど、全然文化が違います。現地に行って、見て、その違いの大きさにも気づきました。
旅に行く前は、東南アジアの文化を私の創作に取り入れられないかなって検討してたんですけど、私のルーツとは違いが大きすぎる。今の知識量で創作に安易に取り入れるのはちょっと失礼なんじゃないかって、もっと勉強しなきゃなっていう知的好奇心的な楽しさもありましたし。

一方で、建物のサビとかって文化関係なくどこにでもあるじゃないですか。歴史の文脈的なところじゃなくて、物が朽ちるとか、共通してある。そういうもので何か接点を見つけて、違う文化同士で何かを作ったら面白そうだなっていう期待もあります。

qbc:
創作とは?

うたがわ:
今後一番やりたいのは文章です。今のところ。
私はいろんなものに手を出しています。例えばデザイン。構造主義が好きで、丸とか三角とか単純な形で作品を作ったりします。
あとは音楽も作るし、詩も作る。文章は主に日本語の詩と、日本語のエッセイ、小説よりは実体験や現実について綴るような文体が好きです。

qbc:
そもそも、アジアに行った理由ってなんなんでしたっけ?

うたがわ:
資金面などで留学が無理そうだったことと、大学の入学前にフィリピンに行ったことです。

qbc:
クラファンを使ったんですよね。

うたがわ:
そうです。自己渡航で宿や飛行機も全て自分で取りました。

qbc:
大学の入学前は、今回のような短期渡航ではなく、留学のつもりだった?

うたがわ:
そうですね。大学入学した頃は、そう思ってましたね。

一人親、バレエ、鬱病、東南アジア、個性

(インドネシア、バリのお供え物)

qbc:
留学したかった理由は?

うたがわ:
根本的には、自分の性格が日本の良くも悪くも構造的な社会に合わなかったことです。もっとアドリブを効かせられる社会が合うと気づいたこと。一番最初はそんな感じでした。
それが結構小さいときからのことで。私の幼少期に親も私を見て、海外の方が合うんじゃないかなと思ってたらしいです。

qbc:
なるほど。ざっくり、生まれた場所を教えてもらってもいいですか?

うたがわ:
生まれが千葉、3歳からずっと神奈川ですね。やや都市部、田舎の都会っていう言葉がぴったりですね。××です。

qbc:
ああ、××です。わかりました。

うたがわ:
個人商店がそれなりにあって、最近ギャラリーもできました。地元の風土は私の人格形成に絶対影響を与えてると思います。

qbc:
でも留学?

うたがわ:
あれなんですよ、町自体はぴったりなんですよ。問題はもっと小さいコミュニティでの経験です。バレエをやってたことと、小学校で先生にやや問題児と見られていたこととか、部活での出来事。こうした構造的な環境の影響が、強いような気がします。

qbc:
なるほど。

うたがわ:
私はバレエでプロを目指していました。でも私は飛びすぎたり回りすぎたりして指摘されることがややありました。でもバレエは他にも人がいて、群舞は合わせなきゃいけない。年功序列もあります。
求められてることと、自分がやりたいことに差があって、それが自分に合わなかった。あとお金がかかって、ちょっと家がギスギスしてきた。しかも反抗期が重なって余計に悩んだときがありました。

一番きつかったのが中高です。バレエ自体は15歳まで。その後吹奏楽が16歳から18歳、1年だけ軽音部も兼部してたけど、大体この6年間が一番きつかったですね。

qbc:
先生から、どうして問題児に見られていたんです?

うたがわ:
自我が強いのと、つまらない授業でお絵描きをする、普通に言うことを聞かないことがややある生徒だったので。

qbc:
いつです?

うたがわ:
小学5、6年のときが一番強かったと思います。

qbc:
吹奏楽のパートは?

うたがわ:
打楽器です。管楽器とはちょっと違う枠だったので、部活内で若干孤立してました。
あとは馴染めなかったんですよね、なんか。それで例えば、流行りのものが好きとか、そういうものに何となく違和感を感じつつも、そのときの自分はそれが合わないということを隠そうとしていました。もっと細かい話や違う趣味の話をしたいとか感じていましたが、隠して周りになじもうとしていました。そうやって過剰に部活の軍隊式の気風になじもうとした結果、心が壊れました。

qbc:
心が壊れるとは?

うたがわ:
うつ病になっちゃっいました。毎日泣いてましたし、下校するときにいつも駅のホームで飛び降りとかを毎日想像していました。今は全然元気です。

qbc:
いつ?

うたがわ:
高2なので17、18歳のときですね。

qbc:
バレエって、システムそのものでしかないですよね?

うたがわ:
いやあ、本当にシステムですよ。完全に。たくさん人がいて、統制が必要で。でも踊るのが楽しかったんですよ。

中学、小学校までは、あまり頭を使わずに本能で踊ってたので、無限に飛べるし無限に回れていました。でも、これは好き勝手に飛んだり回れるシステムじゃないと気づいたのが、中学の時でした。
ただそのとき、私が何かを学んで獲得する方法ってバレエベースなので、システムありきだったんですよ。だから合わないという事実に気づくのが本当に遅れて、高校終盤、大学とかになりました。

qbc:
吹奏楽は、なぜ?

うたがわ:
バレエにはオーケストラの伴奏がつくので、比較的馴染みがありました。あと、私の進学した中学と高校は、吹奏楽の交流があったんですよ。
私が中学のとき、その高校の吹奏楽部は東関東大会にも出ていました。当時、バレエで認められなかった分認められたくて、負担をかけた母にも償うという姿勢に前振りしてしまっていた。一番手っ取り早く、自分が欲しいものにありつけると思ったのが吹奏楽でした。

qbc:
そのこと、誰か相談できる相手がいましたか?

うたがわ:
中学のときはいたんですけど、高1、高2の前半までは全くいませんでした。高3のときは担任の先生にすごくお世話になりました。
その人がくれた2つ、3つぐらいの言葉に助けられたりはしてました。

だからカウンセリングを受けるようなことはほぼありませんでした。
っていうか、受けたら受けたで親と衝突することもあったんですよ。相談できないことで溜まるストレスは、授業を抜け出したり、上手く計算して学校に登校したふりをして休むとか、どっかで時間を潰すとか、そうやってしのいでました。

qbc:
どういった家族だったんですか?

うたがわ:
1人親です。あんまり詳しいことはわからないんですけど。

私の母はすごい働いてくれて。
バレエもできたし、行きたくなかったけど高校時代塾も行けた。ただやっぱり、体が丈夫でも心は疲弊していくじゃないですか。だから精神的な豊かさは多分皆無だったな。
それで、わかりやすいバレエのテストとかで、先生にあの子が褒められたのに私は褒められなくて母が私に怒ったとか、バレエを辞めるときこれまでバレエにどれだけつぎ込んだと思ったんだって言われたりとか。ショックではありました。

大学生になってから、親も未熟な状態で親になるし、同じ人間だから、自分の傷は自分で癒そうという踏ん切りがつきました。親に限らずどんなに仲いい人でも、適切な距離を取れるようになりました。そこからはあんまりギスギスしなくなったと思います。

qbc:
今も、母親と暮らしていますか?

うたがわ:
はい。実家から通学してます。

qbc:
なるほどね。女二人暮らしね。

うたがわ:
私もそんなにおとなしい性格ではないし、母も強いので、大乱闘になる日もありました。でも、どちらもややユーモアがあるので、それが生活を破綻させずにとどまらせたといいますか。それは幸運でしたね。

東南アジアに出るまでの助走期間

(マレーシア、博物館)

qbc:
そもそも、留学しようと思ったきっかけは?

うたがわ:
留学の、一番大元の部分できっかけになったのは親の言葉です。「あんた日本は合わないからインドに行きな」ってちょっとふざけ半分で、私に小学生の頃から言ってたんですよ。
なので、アジア方面に興味を持ちました。

あとバレエです。身長が中学で止まって、どうしても就職できなさそうだとわかり、西洋の芸術に諦めがつきました。

別の角度も合わせると、高校3年生の時、精神的にセンターを受けられる状況でもなくて、早めに指定校で決めていました。当時お年玉を全て貯めていて、大学行く前に外国を見ておきたいと思って、たまたまフィリピンに行きました。これもきっかけの一つです。

qbc:
フィリピンが選ばれたのには、特別な理由があるんですか?

うたがわ:
本当に安く行けるからってだけで。東南アジア、もう少し地域を広げると、小さい頃にインドネシアのガムランの演奏を自分の地元で聴いて、それを覚えてたっていうのはあるかもしれません。
でもそこはフィリピンと関係ない。本当に、価格ですね。

qbc:
その時から、アジアに関する興味、関心、知識はあったんですか?

うたがわ:
せいぜい世界史をやっていたくらいで、フィリピンが初めて行った海外の国でした。世界史も共通テストを受けてない上に西洋中心の文脈です。アジアに関してはほぼさっぱりと言っても過言ではないような知識量でした。

qbc:
何歳のころでしたっけ?

うたがわ:
18歳です。自分の生活環境と社会構造の距離感と、フィリピンの現代社会と西洋文化が主軸の世界情勢の距離感が似てて共感しました。

あと、結果的にアジア的な、ごちゃっとした文化の混ざり具合の居心地が良かったです。そのときってNGOのスタディツアーだったんですよ。同い年の子も一人参加してました。
その子との交流が、行政など社会的な目線ではなく、もっと個人の生活に興味を持つきっかけをくれました。

qbc:
具体的には、どんなことが印象に残ってるんですかね?

うたがわ:
友達の発言なんですけど。ゴミが処理しきれずにすごい山積みになってるところがあって、そこで生活をしてる人と会話をした後に友達が
「その人たちはゴミ山でゴミを拾って生計を立てている、けど、行政かNGOはゴミ山を綺麗にする方向で動いてるけど、この人たちの生活はどうなるのかな」という話をしました。

それが心にずっと残っています。その子は個人の生活のことまで考えていた。
そんときの私はいわゆる国際協力とかに興味を持っていたけど、自分の独特の個性をまだまだ隠していた時期です。もっと個人的なことに注目していいのだとそのとき教わりました。その言葉で。それが、大学入学ちょっと前の2月ごろだったように思います。

qbc:
なるほどね。大学の選び方自体は、どんなものだったんですか?

うたがわ:
単純に自宅から通えて金がかからず、指定校で行ける学校を選びました。
入学の動機は、国際機関につきたいって感じでしたが、自分の周りに合わせたくない感情を大切にするようになりました。それで途中でゼミを変えて、私が大学2年生のとき、東南アジア研究のゼミに変えたんです。
…という一連の流れを作ったのが、そのフィリピン渡航でした。

qbc:
今、何年生でしたっけ? その他に海外へは?

うたがわ:
次が4年です。2年生の時、別の事業で縁があってインドネシアに行きました。

今回東南アジアに行くまでは、半年遅れて東南アジアゼミに入ったので、一旦知識をつけるために勉強していました。歴史やゼミに注力しました。サークルは入っていません。
具体的な勉強内容は、戦後から現代までの各国の基本的な政治史です。あとは、年度末にゼミ論があって、ちょっとハードな2万字ぐらいのやつを、タイの学生運動と、台湾の文化産業について書きました。結構基礎固めみたいなことをしてたと思います。

人生上、今回の出来事で得たものは?

(ベトナム、飯屋)

qbc:
東南アジア、回ってきて、どんな変化がありました?

うたがわ:
一旦、自分の文化を知りたくなりました。あと、自分の性格と東南アジアの文化の複雑さを踏まえまして、今年の卒論研究の対象をフィリピンに絞る方向になりました。

qbc:
自分の文化とは?

うたがわ:
とても個人的な性格と、家にあるもの、嫌だと思うもの、いいものも全部含めて手元にあるものです。この時代この土地に育って、ネットカルチャーにも縁があって題材は沢山ある。なので、自分のルーツとできることを根本的に見つめなおして、手当たり次第に作れるものを作りたくなりました。私は自分の文化をわかりきれていない。

あとは旅行先の人に影響されたことなんですけど、環境と文化の制約を認め、その場でできることから物を作る人が各地にいました。例えば、バリだと観光事業が強いから、大学で観光学を勉強しながらアクセサリーを作って売る大学生の女の子がいた。
フィリピンだと、建物のすごくいい味を出してるサビとか、朽ち方とかがあって、それをモチーフにイラストを書いている子がいた。ベトナムには社会主義の制約があるけど、その中で何かDJやってYouTubeで毎週放送して、その間にDJの伝承が行われている。

オリジナリティとか、社会で言うことって、場合によっちゃ今その場でできることから生まれるっていうのが基本なんだろうなっていうのに気づいたので、とりあえず土台を見ようという動きになりました。地元も楽しいですし。

qbc:
自分の性格というのも、見えたんですね。

うたがわ:
自分自身の性格が沢山見えましたね。
自分が渡航前に想像してたよりも、結構小さいコミュニティが好きだとか。描写したいものがあってもできない臆病さにも気づいたし。
自分をここ数年の、高校から大学までの流れで見つめる機会も得ました。今までは今生きるためにないがしろにしてきた自分の感情を見つめ直さなきゃいけない段階だったけど、これからはそれを形にできる気力が戻ってきた。そういう流れを掴んだりもしました。

qbc:
卒論を絞ろうと思ったのはなぜですか?

うたがわ:
フィリピンは、4年前にたまたま初めて行ったっていう偶然性もありますし、今回自分が処理しきれなかった生活の貧困と発展の間についてもっと知りたくなりました。結局、私が興味を持つものって、今も昔も偶然お世話になったものに強く固執するようです。
あとは少し広げすぎですが、日本とフィリピンの戦争に関する関わりにも注目しています。
歴史的背景の強い関わりを言い訳に、自身の日本人という条件を自分の中で許しながら知りたいと思える。文化を盗むんじゃなくて、個人的な理由と、歴史的な理由で納得しながら何かできそうだなって一番思えたのがフィリピンです。

qbc:
これから、何をします?

うたがわ:
今年度は大学4年生です。今家にあるもので物を作って売るということをしたい。フィリピンの卒論を書く。就活は、スーツを持ってないし、前回のインタビューでも多分少し触れたかもしれませんが、どう考えても日本の会社に馴染めない。馴染みたくないという思いもあるので塩梅を見つつ遂行。フィリピン、マニラで就職する方法を探しています。

それから言葉のこと。文章なら場所を選ばずに、パソコンで綴って繋がりを作れます。それに、日本語の音と表現には、英語で出し切れない繊細さがあることを旅で確認しました。自分の都合にとても合うし好きなので続けたいです。

創作物の販売は、来年から一人暮らしになる前に、自分のものを卑下しすぎずに価値交換するためのバランスを知りたくて。それで練習として、売ってみるのもいいんじゃないかと思ったんです。

qbc:
今、どんな気持ちなんですかね?

うたがわ:
自分の性格を見て、どうしようもないなって思って、じゃ楽しくやろうって感じです。

(笑)なんか就活とかに馴染めなさそうなので、吹っ切れて、振り切って、楽しくやろうという気持ち。自分の身近なところをもっかい観察し直す。楽しさと好奇心で割と楽しい気持ちですね。昔から不安が強いので怖さもありますが、まあでも何とかなるだろう。

qbc:
何とかなるだろう、って、なんでそう思えるんですかね?

うたがわ:
今回の旅を乗り切ってそれなりに記録できた経験が新しい記憶だからです。あとは、帰国してから映画を見たり、好きなアーティストと話す機会がありました。その中で何か物を作ることとか、社会構造の外で生活することに対して、自分が適応していける見込みをある程度得ました。それを踏まえて何とかしてみようという希望的な気持ちです。

qbc:
好きなアーティスト?

うたがわ:
サカナクションの山口一郎さんとYouTubeで話しました。
ファンとたまに話してるんですけど、たまたま東南アジア渡航のことを話す機会がありました。
旅の経験を聞いていただくだけではなく、物を見る目線の解像度とか、どこまで深く見るかとか、考えるヒントを沢山いただきました。
あとはサカナクションの音楽だと、日本語の面白さが沢山込められていたり、個人の繊細なところまで描写してくれるから、その作り手と話せたことがすごく嬉しかったです。お守りです。

こちらがその動画!!!!!

qbc:
最後の質問です。なんで文化って面白いんですかね?

うたがわ:
これまでその地域で生きてきた人が、困難も含めて直面してきたことを編み込んだ結果の表れが文化だと考えています。
連綿と続く繋がりと隠された文脈が面白い。

そこにある植生とか、たまたま権力者がいたらその人に対する付き合い方が文化に表れるでしょう。そういう生活の細部にじみ出て、もう煮こごりみたいになって、個人の生きた痕跡が垣間見えるところがすごく好きです。
今この時代では工業的に物が作れるけど、しばしば文化的につるっとしている。そういうかっこよさもあるけど私に合わない部分も多い。

現代社会の過度なコスパ信仰さえはね飛ばすざらりとした質感と人のリズム。
私はそれに惹かれています。

終わりに

生まれた国を離れる理由はなんなんだろう、離れる人と離れない人の違いはなんだろう。
離れる人に多い環境要素が。
一つは、身近に自分の国を離れる人がいること。
もう一つは、自分の国は合わないな、と感じていること。
あと一つは、好奇心。
このどれかの組みあわせなんじゃないかな。
あと、運命を後押しする力(P1)と、引っ張る力(P2)。
逆に現状維持する力があって、これも、押してくる力(P3)と引き戻す力(P4)があるんだよな。
この組み合わせで。
いずれにしろ、個人、一人の人にフォーカスすることになる旅なのかもしれない。

制作・まえがき・あとがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

編集:なずなはな(ライター)

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