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インタビュー Rulu-002 2023/08/16

このインタビューシリーズは、一人の人を追っていく企画です。前回

参加いただいている方は、https://note.com/rphoto さん。
SNSでモデルを募って写真を撮られている方です。
気になった人はサイトを見てみてくださいね。
じゃあインタビューという名の人間ツーリズムにようこそ。

冒頭

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先週、撮影予定があったんですけど。
ちょっとモデルさん都合で延期になってしまったので、過去の写真になります。

先週撮る予定だった方は、以前撮影したことがある方で。
基本は一期一会で、知らない人に会って撮影するっていう感じなんですけど、彼女に関しては過去2回撮影したことがあって。
今回、3回目の撮影になる予定でした。

最初に撮ったのが去年の12月です。
データで言えば末尾が75までが去年の12月、初めて会ったときの写真で。
76以降がその2ヶ月後、2回目の撮影をしたときの写真になりますね。

––––この取り組みをされて間もないころですかね。

10月から始めたプロジェクトなので、まだ始まったばかりぐらいですね。
2桁はまだ多分いっていない。
5、6、7人とか。それぐらいですね。

––––どういう撮影でしたか。

すごい覚えてます。
どこに行きたいんですかって質問をして。
彼女は海のないところに育ったので、海に憧れがあるから、都心で海があるところ、ということでお台場海浜公園に行きました。

ちょっとトラブルがありまして。
事前に私がお台場海浜公園の撮影許可を取っていたんですけれども、申請する日を間違えてしまって。
撮影日の翌日に許可を取ってしまったということが現地で合流してから発覚して、それでもう平謝りして。
そしたら彼女が、私の家に行きませんか、って言ってくれたんですね。
自分を表す場所として、自分の家のベランダでタバコを吸っていて、その場所が重要だって。
遠いけど、もし来てくれるんであれば今から家に来て撮ってほしいということになって。
なのでせっかくお台場に来たのですこし散歩をしながら写真も撮って、その後、彼女の自宅に行きました。

撮影

––––撮影中の気分はどうでしたか。

つらい気持ちになりましたね。
写真だけ撮ってると、その場所が意味することってよくわからないんですけど、後でインタビューを書き起こして整理とかしていくと、ベランダっていう場所が彼女にとってのシェルターみたいなものなんだ、っていうことが自分の中で理解できて。

彼女のバックグラウンドに関わる部分になるんですけど、家庭事情がすごく複雑なんです。
私も聞きながらすごく混乱してしまったんですけど。

彼女自身は、美大の通信課程に通ってて。
絵を書いてる人なんですね。
NFTをやったりとかイラストを書いたりとかしていて。
実の父親と母親がいて、3人姉妹なんですけど、長女がいて、モデルさんとその妹は双子なんです。
お父さんの兄弟の方が、子供が生まれなかったので双子の1人を里子に出すということになって。
そっちの家に養子に出されたのが彼女なんですね。
なので彼女に招待してもらったその家というのは、生みの親の家ではなくて、育ての親の家、ということになります。

生みの両親から自分だけ外に出されたから。
やっぱりなんだろうな。
自分に対する自己肯定感を育むのがすこし難しいですよね。
自分がそのままで価値があるとか、必要とされていると感じるのが、どうしても難しくなってしまう。
双子の妹とも生活の環境が違う。
喧嘩しても、生みのお母さんは自分が育てている双子の妹の方をかわいがる、とか。
だから、彼女の家には行ったけど、部屋は写さないでくださいと言われて。
ベランダが一番落ち着く。
ベランダでこうしてタバコ吸ってるときが、一番落ち着くって言って。
ベランダって家の中だけど、半分外じゃないですか。
半分プライベートなスペースで、室内とはまたちょっと違う空間。

自分の部屋ではなくて、そこがやっぱり一番落ち着くっていうのは、すごく彼女の育ったバックグラウンドを表しているんじゃないかなと思ったんですよね。

このベランダだけが彼女にとってコントロールできる居場所なんじゃないかなって思ったんです。
いてもいいんだって思える場所がここだけなのかなって、私は捉えたんですよね。
そういう撮影でした。

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––––ベランダ、結構広いですか。

広いですね。かなり広いです。
2部屋続きのベランダでしたかね、1部屋分じゃなくて。
2階に彼女の部屋があって、そこから外に出れるベランダが、ここです。
下の階には、育てのお母さんが住んでいて。

2回目の撮影は、その2ヶ月後。
また彼女の地元に行ったんですけど。そうだな。
もうすこし彼女のことを知りたいなと思って。
彼女に好きな人がいたんだけど、失恋に近いような出来事があって、すごく傷ついている時期で。
でもそういうときに、なんでしょうね。
やっぱり人に会って話したいっていう気持ち。
整理したいとか。
それでもう一度。
2回目撮るとしたらどこに行きたいですかって言って。
前回は彼女の家だったんですけど、2回目は幼少期に通った小学校の近くの高架下に、公園があって。
公園から小学校が見えるんですけど、そこで撮りたいっていうリクエストがあって、そこで撮りましたね。

あとは公園の近くの交差点だったりとか、歩いて大きい公園に移動して、一緒に過ごしたりして、っていう感じですね。
それから、私がXでリストカットについてつぶやいていたことがあって。
それで自分も、それに関することでお話できることかありますと連絡が来て。

––––1回目と2回目で、変化はありましたか?

1回目はすごく狭くて深くて、ピンポイント的にぐっと入っていくような心境で撮って。
次は、屋外というのもあって、物の距離とかもあったりするので、もうすこし俯瞰して見れる部分もあったり。
そうですね。でもやっぱり回数を重ねると、精神医学的に言えば、逆転移。
幸せになってもらいたい、みたいな気持ちになってきちゃったりすることはありますね。
でもそういうその距離。
もう多分、私は何も考えずにほっとくと、やっぱり相手にすごく共感して肩入れして感情移入してって、なりやすい傾向にある方なので。
引っ張られそうになって。
でもそこは自覚的に、ちょっとまた距離を取って。
そうやって何かふわふわゆらゆらしながら、撮ってますね。

カメラ

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––––他人との距離感は、カメラのありなしで、違いますか。

違いますね。
カメラがなければ、なんでしょう。
すごくその。
冷たい言い方をすれば、カメラを持たないときはあまり人に興味がないですね。
でも撮影をするってなると、聞くのがちょっと大変なことでも、受け止められる。
人間に対して、あなたのことを知りたいですって欲求を持てる。
カメラを持つと、そう思うことができるんですよね。不思議なんですけど。

––––カメラがないときは、他人に共感しないですか。

共感しないこともないんですけど。
例えば自分の身内、例えば自分のパートナーのことであったりすれば、自分と関係することなので、興味を持たざるを得ないんですけど。
そうじゃない場合、本来であれば接点がなかったような誰かの出来事に対して、元々は共感してたのかもしれないんですけど。
でも共感することで心を痛めたり、自分なりに声を上げたりしたところで、そうそうたやすく現実が変わるわけじゃないじゃないですか。
無力感とか。
共感しすぎて疲れてしまうから、切り分けるようになってしまった。
自分の出来事と人の出来事を、すごく分けて見るようになっていって。
でもそうすると本当に人に関心を持たなくなってしまうから、何か良くないなっていう気持ちもあって。

でもカメラを持つと、またがらっと変わるし。
それを作品として、どれだけの人にリーチできるかわからないけど、作っていけるっていう希望があるのかなとか。
作品を作るとか、全然楽しいことではないんですよね。
とても苦しい。
苦しいし、なんでこんなこと、わざわざお金にもならないことをって、何度も思うんですけど。
でもやっぱり、そうせずにはいられないんでしょうね。
いられない。

プロジェクト

––––このプロジェクトを始めたきっかけは、なんだったんですか。

経緯としては、看護師をしていて。
看護師も、カメラを持ってるときと同じように、患者さんに対しても、職業上、例えば患者さんが癌ですよって1週間前に宣告されてて、まだ気持ちが受け入れられていない状態で、でもすぐ手術しないといけないって入院してきたかとか、そういうときにはやっぱり寄り添ったりとか。
どうすれば癌に対する気持ちの受け入れが進むかなとか。
この人がどういう状態にあるのかなとか、そういうことを考えなければならない仕事をしていく中で、やっぱり人の人生に興味を持ってきて。
ただやっぱり、やっぱりあまりにも倫理的に、苦しいとか。
人間の尊厳ってなんだろうとか、生き死にとか。
そういうこと考えて、苦しくなって、結局辞めてしまったんですけど、去年の夏。
それで今いる土地からも離れたくなって、東京へ引っ越してきて。
夏に引っ越してきて、二、三ヶ月ぐらいは、もう生きる屍のように。
ちょっと疲れたし。
でも、なにしようかなって思ったときに、今の社会のこととか、生きている人のこととか、知りたいなって思ってきたんですよね。
辞めてしばらくは、誰とも喋らないみたいな。
声の出し方を忘れて、たまに一人で発声したりして。
その反動でまた、今度すごく人と話してみたいとか、話を聞いてみたいとか。

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––––はい。

コロナを病院に持ち込まないように、外出とか友人と会うことも、ずっと避けた生活を2年半、3年ぐらい、していたので。
今の自分はもう医療従事者では無いので、
どこにでも行って誰にでも会いに行けるという状態になって、また7年ぶりに、カメラをまた取り出して。
今後の人生は、ライフワークとして、写真家として写真を撮って、いろんなことを写真を通して考えていきたいなって、思ってからですね。

元々別の仕事をしていたんですけど。
退職して、看護師の資格を持ってなかったので、看護大学に4年間通って、3年間看護師をして、7年間。
写真を撮るちょっと余裕がなくて、その7年間はカメラから離れていました。

看護師の最後の方はちょっと休職をしてたんですけど、病院から徒歩5分ぐらいの看護師寮に入っていて。
救急の病院だったから、救急車の音がすごく聞こえて。
うちの病院に向かってるなとか、仕事のことを思い出すし、寮だからそこに住んでる住人は全員看護師なんですよね。
もう、病院にも行けなくなってしまって。
でも、救急車で患者さんは運ばれてきて、私の部屋以外にいる、ここに住んでいる人たちは、患者さんたちを助けていてみたいな。
そういうのが、苦しかったのかなと思います。

––––約1年続けて、プロジェクトは自分の中でどういうものになってきましたか。

一つ一つの出来事だけを捉えれば、例えば自傷行為をしてる女の子がいますとか、精神疾患を持ってる女の子がいますとか。
こういう、部分だけを見て、なんかメンヘラ面倒くさいなとか言われたりとか、消費されていっちゃったりとかするんですけど。

でも結局、話をちゃんとよくよく、よくよく聞いていくと、今のその彼女になった理由っていうのが、やっぱりあるんですよね。
それは、幼少期とか家庭環境とか、愛着形成がうまくいかなかったとか。
そういうことが大きく影響しますし、今は親ガチャみたいな言葉も今はありますし。
やっぱり、なるべくしてなった。
でも親が悪いのかとかって言ったら、もっと先には、社会の問題があったり、日本の状況だったりがあったり。

例えばSNSで、承認欲求を満たすためにいいねをいっぱいつけてもらって喜んでいる女の子がいたとして、それは、自己肯定感をうまく育めない環境にいた結果、どういう形であれ承認されることを渇望するようになったからだとか。
その行動を、愚かだなみたいな感じで見て欲しくはないし。

両親からすごく愛されて、幸せな家庭で育った人は、親を蔑ろにする発言をする人に対して「駄目だよ」とか「親にそんなこと言うなんて信じられない」なんて言ったりするけど。
でも本当に、世の中にはいない方がマシだったみたいな毒親とかも実際にはいるので。
家に連れ戻されたら殴られるとか、そういうことだってあるし。
もっと根本的に整えていかないと、良くなっていかない。
そういう、社会に対する興味っていうのが、1年経ってすごく強くなりましたね。

––––食事風景の写真って、毎回撮ってらっしゃるんですか。

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食事風景ですか。ないときもあるのかな。
でも無意識に撮ってるときが多いですね。
その、一つは、ポートレート的な写真ばっかりだと、写真を撮ったんだなっていう感じになると思うんですけど。
メモ帳だったりとか、何か話をしたんだなっていうことを、視覚的に見せるためっていうのと。
あとは、メニューから選ぶものも人それぞれ違うんですよね。
入るお店とかも、相手に決めてもらって、私はトコトコついていくんですけど。
飲み物だけでヘルシーな感じの人がいたり、食べることが好きなので山盛り料理が並んでいたりとか。
選ぶものによっても、パーソナリティが出るのかなって思ったり。

この人と会話したんだっていう。
それを自分が残したい気持ちもあるのかもしれないですね。
この日、私達は生きて会って話をしましたっていう。
だと、思います。

終わりに

「見る人は見られる人」という言葉を、このインタビューシリーズを始める前に思い浮かべていた。
写真を撮るという行為は、一見、カメラマンが被写体を見ているように思えるけれども、それは撮影の時だけ。
写真を第三者に見られた時、その写真から読み取られているカメラマンの視線というものを見られてしまう。
見る人はいつの間にか見られている。
SMに関するインタビューの時も、そんな話をした気がする。マゾはサドにやられっぱなしかというとそうでもなくて、身をゆだねられる相手かどうか、マゾもサドの手腕を見るのだそうだ。
主客なんかいつでも転倒するものなんだよな。
今回、記事にどの写真を使用するかセレクトしながら、「見る人は見られる人」をあらためて思いだした。

カメラマンが被写体と、カメラという機械を挟んでどのようにコミュニケーションするか。
このことをインタビューによって本人の言葉にしようというのが今回の取り組みの主意である。
言い換えれば、カメラマンの活動は今ある「像」を取り結ぼうとしている。
カメラマンにとってもその「像」がどんなものになるか、まだつかみきれてないようだ。
自分の感情なんて、言葉なり写真なりの形にしてみたって、早々わかるものじゃないじゃん。
それで、この「像」に、インタビューという活動で補助線を引くことで、その「像」の輪郭線をはっきり描きだそう、というものです。でえす。

まあこれも、わかったような気になりたいだけの儀式じゃん、と思うのですが。
だけども、わかろうとする前進がなくなったらそれはもう心が墓場です。

制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

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