【旅行】無理のない伊豆下田逃避行

ふだん東京の都心部に住んでいるので、陸路で西に行くときはいつも静岡を振り切るのに一苦労する。
7年前くらいに飛行機でヨーロッパに行ったとき、寝て起きてもシベリア上空、また寝てまた起きてもシベリア上空、って感じでけっこうな絶望感を味わったが、東海道新幹線(特にのぞみ)における静岡も感覚としてはそれにだいぶ近い。
それなら同じ西に行くでも、静岡を目的地にすれば問題は解決するという話だ。


2023年の11月下旬、連休だというのに仕事で疲れ果てていて、色々投げ捨ててどこか遠くに行きたい気持ちがあった。それと「温泉行きてえ〜」の気持ち。そしてとにかくすべてが全然頑張れない気持ち。3つの独立した思考による最悪のマギシステム。そして大抵の場合、3つめの思考が最も優勢だ。それこそ旅の当日の朝ですらぎりぎりまで寝ていたい。なんなら荷造りも無理。

ひとまず横になったままじゃらんアプリを立ち上げて、詳細条件で「露天風呂付き客室」をチェックして神奈川、山梨、静岡あたりを適当に見た。
わたしは現在進行形で露天風呂付き客室にはまっている。というのも、わたしは温泉宿に行ったらチェックイン直後とその日の夜と翌朝の3回は入浴したい人間なのに、部屋から大浴場までの道のりがだるすぎて年々無理になってきている。
そんな自分にとって、露天風呂付き客室は極楽浄土みたいな設備なんですよ。
欣求浄土のためなら宿泊費なんて。
しかもこの条件をつけるとかなり宿の候補が絞られるので、そんなにアプリ検索も大変ではなくなる。まあ、どれだけ疲れていても横になりながらスマホ弄ることだけは問題なくできるからね。みなさんもそうじゃないですか。

それで行くことにしたのが下田だった。地図で見ると東京から近いわりに結構な地の果て感もある。この情報だけで余裕で宿特定できると思う。とても良かったのでぜひ泊まってみてください。


人生とは物理的移動である

起きたらまあまあの時間になっていて、そこからダラダラと準備して出発。それでも踊り子にさえ乗ってしまえばどうにかなるから大丈夫、と舐めたことを考えながら向かった結果狙っていた踊り子には間に合わず。そんな人生。
起きるのが遅すぎて何か食べて出てくるような余裕もなかったため、駅のホームでかに雑炊缶を購入。恥ずかしながら初めて見た。

もっと米粒を取り残さずに飲めるようになりたい

駅のホームの自動販売機は、移動中の食事の代替を求める声が多いのか、こんな感じで食べ物を無理やり缶に詰めましたみたいなものが多くて非常にありがたい。みんな移動中に軽く腹を満たしたいのだ。とかく時間がない毎日だから。

これもうまいですよね


伊豆急下田駅で降りると、いろんな旅館のお迎えの方々が駅舎の入り口付近に勢揃いしていた。バスは予約不要と予約ページに記載があったはず、と思いつつもにわかに不安になり、「あの〜、送迎のバスって…」と濁し気味で聞いたり。食事中に天皇陛下にしょうゆ取ってもらうときの正しい敬語は「陛下、しょうゆ…」らしいので、めちゃくちゃ敬意はある。
バスには無事乗せていただけました。なんでああいうとき急に疑心暗鬼になるのか。予約したときの自分がまるで信用できない。


伊豆急下田駅前

急に話が変わるが、数年前に好きなアニメの後日談という形での舞台化があり、その舞台オリジナルでキャラクターが数名登場した。そのオリジナルキャラクターがとても魅力的だったもので、彼らの二次創作小説を書いたことがある。
たいてい舞台オリジナルキャラクターの設定が後から明らかになるなんてことは稀だし、他のメディアに登場することもまずない。舞台から受け取った情報がすべてでした。

キャラクターのうちのひとりの話をすると、主人公の昔の相棒。母親の手術費のために人生を投げうってしまうような人物。父親や親戚に頼っている様子はなく、誰にも相談できない中、極端な思想に傾倒して道を外れていく。警察官を志していて、たぶん公務員になって母親に安定した暮らしを、とか、そういうことを考えていそう。恐らくそこまで裕福ではない。母親思い。そんな断片的な情報から、明言されていないものの母子家庭なのかなという感じがある。身分を隠すための仮の勤め先は、荻窪。
そんなキャラクターが母親との大切な思い出の旅行について語る台詞が書きたくて色々考えた結果、下田かもなあ、と。東京近郊に住んでいて、たぶん車を持っていない母親が小さい子供を連れていける先として、箱根や熱海がやはりメジャーなんだと思うけど、もうすこしだけ奮発した、特別な感じ。新幹線じゃなくて、特急。
今回下田に来てみて、合ってたかも、と思った。街全体、ほんのすこし時間の進みが遅い感じがする。
二次創作に正解とかないんだけどね。


えらいとこに来てしまった


下田、いいところでした。
窓開けたら海。この窓の外にウッドデッキがあり、専用の露天風呂に入れてしまう。
宿は砂浜にすぐに出られる位置にある。ただしわたしは小さいころに海水浴場で溺れて以来水が怖いので、基本的に海はこうして遠くから眺めるだけで満足だ。

桃源郷の入り口


オーシャンビュー、シンプルに最高なんですが、しかしこれが日が落ちるとちょっと話が変わってくる。海があるはずのところは全部真っ黒の穴みたいになる。でっかい怪物が口をぐわっと開けて、そいつに食われる直前の感じ。なんでこんな状態に自分ひとり、しかも全裸なんだろうか。風呂に入ろうとしているからだ。そして若干震えつつ肩まで湯舟に浸かるとなんと全然怖くなくなっている。あったかさは恐怖を凌駕する。今回の旅での学びだ。今後日常生活で何かひどく心が消耗したらとりあえず身体を温めたい。

温泉に浸かりながら、無って黒いんだな、と思う。ただ、かなり沖の方に小さい島がひとつあって、そこの灯台が光を発しているのがずっと露天風呂から見えていた。なぜかものすごく安心した。とりあえずここからあの光までの区間は大丈夫、という感じがして。

ひとつ前の記事にもあったとおり、わたしは趣味でたまに小説を書くのだけれども、基本的に小説には嘘しかない。それはそういうものなのだが、体感を自分に染み込ませておいて、いざ小説を書くときにそれを再出力できると、そこだけは嘘じゃなくなる気がする。嘘であることは別に悪くないと思うけど。
ただ自分が書くときには、自分自身のメモリを検索してなるべく類似の経験を探し出して、それをトレースしながら文字に起こしているかもしれない。
だだっぴろい海を前にしたときの高揚感とか、それと同時に「来てしまった」という取り返しのつかない感じとか。何か大事なものを忘れてきたような不安とか。
人間が完全にひとつの感情に振り切れることは実際にはそんなになくて、ものすごく悲しくて号泣していても尻が痒いのが人間であり、人生。そういうのを書けると、ほんのわずかでも本当に近づけたかもな、という気にはなれる。

翌朝。灯台はかなりはっきり見える



頑張れないのが大前提の旅だったため、翌日もぎりぎりまでチェックアウトはせず、特に予定も入れずにダラダラしながら帰るだけ。まだ帰りたくないな〜と思いながら、早く自宅で横になりたい自分がいる。
親から聞いた話では、まだなんにもわからない幼児のころにわたしは下田に来たことがあるらしく、そのとき汗疹が出て大変だったということばかり何度も繰り返し話されて辟易した。駅前の景色でも見たら何か思い出したりするかな、とわずかながら期待したが、結局何ひとつ思い出さなかった。あ、溺れたのが下田の海か。怖いわけだ。


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