自死者に

われわれの暮らす社会では、性愛や出生、家族の形成などといった親密な人間関係のあり方に関して、いまだ公的な圧力がはびこっている。と、こう書くと政治批判の書き出しのようだが、今日はそうではない。「お上」たる政府がかけてくる圧力以前の問題として、われわれ一般市民が互いに監視しあい、圧力をかけあっていることが諸悪の根源であるということは、正しく理解されていない。
生まれたときから脅されている。男に生まれたなら男としての、女に生まれたなら女としての正常な人生を全うしろとどやされる(もちろんその正常な人生とは、異性との恋愛、法的婚姻、出産および育児だ)。「大きくなったらパパのおよめさんになる」などという妄言を引き出すため幼児を洗脳する。婚姻をしていない立場をさして使われる言葉が「未婚」しかない。異性同士が二人連れでいれば強制的に「婚姻している、またはこれから婚姻する者たち」とみなされる。……
とりわけ深刻なのは、個人同士の親密な人間関係と法的婚姻との著しい混同だ。われわれの社会では、婚姻をしていればそれは互いに愛情を抱きあうもの同士であり、そこには信頼関係があり、互いに対する責任がある、と無条件にみなされる。その裏返しとして、婚姻をしていなければそれは愛情、信頼関係、責任のいずれかに問題のある関係であるとみなされる。まず法があって人はその内を生きるものと考えられている。実際にはまず人がいて、法はそのあとを下手くそに追いかけてくるものであるにもかかわらず。
誰がそう考えているのか? ここではっきりさせておくけど、「あんたら」である。そこのお前だよ、お前。
生まれたときに周りの人たちが見て「まあこっちだろう」と見当をつけて決めた性別がわれわれの法的身分に含まれるが、成長し社会で生きていく過程でその身分上の性別と個人の実存との間に齟齬が生じるというのは、よくあるとまでは言わないが普通に起こることであるようだ。多くの人が身分上の性別を生きることへの適応をめざして非常な努力をしてしまうが、そういう場合はそもそも無理をしているのだからどこかで破綻がやってくるのは避けがたい。人生のどのタイミングで辛抱の限界がくるかは人によるし誰にも予測できない。時には一度乗った正常な人生のレールの上でそれが起こることだってあるだろう。当事者は周囲との人間関係の中で個別に対応処理していくことになる。
婚姻制度や戸籍制度は、生活の基礎となる共同体が一対の男と女とその子供からなる家族であることを前提とし、というかそれ以外の形態の共同体が生活の基礎となりうるという概念を一切もたない欠陥法である。わけても婚姻制度は、制度の内に属することがすなわち「みなし生殖者」となることであり(少なくとも現在、国はそのように扱うものとしている)、法的婚姻をしていれば片方は「男」であり「夫」、もう片方は「女」であり「妻」、という公的身分が強制的に付与される。個人に対するこんな暴力的で野蛮なレッテル貼りがまかり通っているのは異常としかいいようがなく、ほとんど不条理な村の掟のようなものであるゆえに、そんなことは気にも留めないのんびりおおらかクソ一般大衆のみなさんのことはさておき、多少なりとも考えることのできる頭と、人としてごく真っ当な感受性を持っている人ならば、とても耐えられるものではない。とりわけ、法的身分上の性別への適応に向かなかった人などにとってはなおのこと苦痛であろうことは想像に難くない。
生まれたときから続いている脅迫に屈して、一度その正常な人生のレールに乗ったとしても、いずれ限界がくるのは当たり前である。野蛮で粗暴な法的婚姻をキャンセルする具体的な手続きとしては離婚をするということにならざるをえない。あまりに当然の帰結だ。
そうして、そのような身の上でありつつ、たまたま著名人であり、しかも世間とかいう肥溜めに対して馬鹿正直にそれを開示したために、ひとりの人間に耐えられるはずもない苛烈なバッシングに長期間さらされ、そこに近年ますます激化している性別移行者への異常なフォビアが共振してもっともっとどんどん叩かれ、死ねとなじられ、その果てに死を選ぶことになった、そういうひとがいた。
そもそも離婚が発表されたとき、同時に今後も家族として同居し支え合って共に暮らすと言明されていたのだ。けれども、かのひとが死ぬまで肥溜めからクソを投げつけ続けた肥溜めのクソ住人ども曰く、一度男として乗ったレールから下りるのは卑怯であり、無責任であり、逃避なのだという。法的婚姻を解消したこと、性別移行に着手していることをもって、パートナーと子を放棄した裏切り者の逃亡者とみなすという。婚姻してりゃ徳高く、婚姻してなきゃ人非人。そもそも人間関係における責任というものは法にではなくその関係の実践自体の中にあるものであってかのひとはまさに人間関係の実践においてその責任を継続的に果たすと宣言していたのだけれどもしかしてそんな基本的な当たり前のことすらも理解できない? あんたらの村の掟の理論では要するに婚姻関係にあるDVネグレクト親のほうが婚姻関係にない仲のよい同居親よりも責任を果たしているという話になるわけだけどそれは大丈夫? やっぱ日頃から肥溜めに楽しく浸かって暮らせるようなご大層な知性の持ち主どもは自分の見たいところだけを見る暗視スコープのような情報ピック認知を日常的にかましてんの? 同居してパートナーと子育てをしていたそのひとのどのあたりが育児放棄なのかきちんと説明してもらっていい? できるわきゃないけど言ったからには説明しろよ? また別のクソ曰く、離婚をしたのは今後別の恋愛関係を謳歌できるようにするために違いないという。つまり未来に絶対するに決まってる浮気を今叩いているということなわけ? 地球の時空に生きてないならせめてお前の時空基準で地球人に話しかけるのはやめたほうがいいのでは?
生まれたときから脅し、誰かの夫になれと追いたて、生殖をしろとすごみ、言うこと聞いて良き父たらんとすればそれを表彰して権威性を押しつけようとし、その醜悪さに耐えられなくなり別の形をとったとみるや家庭放棄のかどで誹謗中傷の刑に処し、「じゃあ最初から家庭なんか持つな!」と耳元でわめき、死ぬしかなくなるまで攻撃し、死んだら死んだことを「無責任」「自分勝手」「逃げ」と責めている、マッチポンプというかやってることがまるきり拷問なんだよ。お前の本質は拷問者。せめて私は不条理な村の掟に縛られていなければ不安で何も手につかない弱い人間でありながらその弱さと向き合うこともできないので他者を拷問にかけて気を紛らわしている野蛮人でございますと正確な自己認識を持ってもらっていいですか。今度から自己紹介はこれにしてくれるかな。くれぐれも節度のある文明的な人間でございみたいなツラをしてそこらを歩くのはやめてね。虚偽申告だから。意味もわからず村の掟に従って生きているだけなのだから少なくとも文明人とみなすのは無理がある。
いつでも圧力をかけて無理をさせてきたのは社会のほうじゃないか。お前らのほうじゃないか。生まれたときからそれを全部はねつけてくることができるほどの強さを持てなかったことって死んで償わなければいけない罪なの? 無責任なの? じゃあ追いつめて死なせたお前らの責任ってどこにあるの?
パートナーだった女性は、葛藤を経て相手の実存のあり方を受け入れたこと、今後も共に生きていくという決意、溢れる敬意と思いやりと愛を、みずからの美しい言葉で語った。考えることのできる頭と真っ当な感受性を持ったひとなのだろう。似合いのふたりだ。ところがクソ野蛮人はそんなことはおかまいなしに、女性もろとも骨も残すなとばかりに燃や尽くした。彼女からパートナーを奪っておいて口を開いた挙句が「元妻と子供がかわいそう」。かわいそうとか言いながら本人の言葉はガン無視で、どのツラさげてんの? 元凶は全部お前だからな?

離婚を発表したかのひとが大バッシングにさらされていたとき、私は上記のようなことを考えながらひとり、このことをなにか言葉にしてどこかに出さなければならないと思いつめながらじりじりと過ごしていた。野蛮人に言葉が通じるわけもないけど私には言葉しか出せるものがないのだから、とにかく何かを言わなくてはならない、だけど日々の労働と雑事に追われるうちに結局そのことは流れていってしまった。甘えだ。結局叩かれてるのが自分じゃないから、心を痛めはしてもスルーして生きていくことはできてしまう。そしてかのひとは死んだ。私にとっては何の関係もないひとなのに、まるで「自分のせいで死んだ」という感情に支配されるほどのダメージを受けた。喉がつまった。言葉が出てこない。話題に出すことができない。
当然のこと自分の行為がこの結果を左右しえたとは考えていない。けれどそれでも、かのひとが生きているあいだにそれをしなかったことへの後悔が、傷となって死ぬまで残るだろう。血を流し続けるだろう。そうしてあまりに遅ればせながら、致命的に遅刻しながら、言葉をしぼり出す。私は絶対に死んだりしない。この私である個人として楽しくルンルンと生きていく。そして同時に私自身の責任として、社会を呪い続けるよ。生涯許さず呪い続けるよ。私たちは互いのことを知らないし、今後も知ることはないけれど、りゅうちぇる、遅くなってごめん。忘れないからね。