めでたく障害者の仲間入りを果たしてから二週間

誰がつけたのかよく知らないけども、発達障害という名がついているわけだから、病院で検査を受けてその定義にあてはまるとの診断をもらった以上は障害者を名乗っても構わないよね。

成人を対象とする発達障害専門の外来をおく病院は都内でさえ数が少ない。その中でも、アスペルガー症候群・高機能自閉の診断と支援を得意とするところは注意欠陥・多動性障害の専門院にくらべてさらに少ないらしい。東京でもこの状態か……つまり地方在住の当事者はその時点で正確な診断や公的支援においてほとんど詰んでいるのかも……などと思いつつ、メトロに乗って虎ノ門へ。
検査内容は大きく分けて二種類。ひとつめは、感覚や行動の傾向に関する質問に「そうである」「どちらかといえばそうである」「どちらかといえばそうでない」「そうでない」の四段階で回答することを、質問の分類によって「幼少期」「幼少期と現在」「現在」についておこなうというもの。もうひとつは、幼少期から現在までを振り返り、主なトラブルや人間関係などについて、思い出しうるかぎり叙述する、というもの。
前者はAQテストといって、WEB上でよく見かけるような、セルフチェックができる診断チャートとほぼ同じもの。幼少期のことを詳しく訊かれるところがちょっと違うかな。後者は診断にどのように反映されているのかよくわからない。
ちなみに、微妙に期待していたロールシャッハテストとか、木の絵を描きなさいとか、そういう楽しげな感じのやつはなかった。

上述の二種類のテストで「社会的スキルの不足」「注意切り替えの困難」「細部への過度な注意」「コミュニケーション力の不足」「想像力の不足」という五つの要素それぞれについて、10点満点で得点を算出する。合計値が高いほど強い自閉症傾向を示す。50点満点中、社会人の平均値は18.5点。

俺氏、43点を叩き出すヾ(๑╹◡╹)ノ”

それぞれの要素の得点をグラフにした紙を医者から見せられたんだけど、見た目のインパクトがもうすごくてあまりにも絵的に面白いもんだから笑いをこらえるのが大変で、途中から普通にゲラゲラ笑っていた。たぶん、少なからず安堵感や肩の荷がおりたような感じなどもあって、そういうものがすべて笑いとしてこぼれだしたような。

実際のところ、検査結果はほとんど予想していたとおりだった。というか知ってた。前述のWEBセルフチェックなら何度もやっていたし、ここ最近では日常生活におけるどのような感覚が障害の特徴として表れているものなのかも徐々に分析できるようになってきていた。
医者は「障害という名前はついているけれども、必ずしもそれは実情を反映したものではなく、実際にはその傾向は生まれ持ったあなたの脳の機能の特性だ」と説明してくれたが、知ってた。知識がなく「私って脳がオカシイの!? どうしよう!?」となっている人や、鬱や不安障害などを併発し治療を要する人に対しては、関連書籍の購入やグループワークへの参加を勧めたり、必要な薬剤の処方やカウンセリングを行う流れになるようだが、私は丁重に辞した。診断が下りた時点で、私の中ではいわば「話が済んだ」のだ。

これでやっと、なんの心配もなくなった。やっと。
そう思った。

誰のせいでもないけどもっと早く気がつけばよかったよ〜〜〜ヾ(๑╹◡╹)ノ”
いちばん根っこにあるハードモードスイッチをスルーしたまんま、鬱も不眠も自傷も過食もなにもかもぜーんぶ克服しちゃったあとだよ〜〜〜ヾ(๑╹◡╹)ノ”
どうりで十代半ばくらいから、いつどこでどんなことをしていても常に少し無理をしているような感じがあると思ったよ。周りがあたりまえにやっている(ように見える)ことと同じだけのことをするのにいつも必ず少し無理をしているような感じがあるなと思っていたよ。
診断を受けていない段階で原因として考えられる可能性は、
1.自分が根本的に劣った人間であり、周りと同じだけの能力を持たないために、自分だけが無理をしている
2.見た目に反して、実際には周りも自分と同じように無理をしている
3.実感に反して、実際には自分は別段無理をしているわけではない
4.自分の周りの間に根本的な能力差は存在せず、志の高低や努力の多寡など容易に変動しうる要素において自分だけが劣っている(要するになまけたり甘えたり妥協したりしている)ために、周りと同じ水準でものごとをこなすことができない
……の四つくらいだったんだけど、まあこの中で最も正解に近いのは実は1だったんだよね。ただ根拠薄弱なので選べなかった。そして最も正解として仮定しがちで、かつ最も人を追い詰める選択肢が4なのである。少なくとも社会は4の選択を強いる。
無理をすれば何とか「できないというほどではない」ところまではもっていける。学校だとか、勤務先だとか、生きていく上で必然的に所属していくことになる場で。そこで求められる規範的な行動の上で。できないというほどではないけど下手くそであることが、志や努力の不足に起因しているという、暗黙の共通認識に苛まれながら。
けれど、それももうおしまい。

私は発達障害者だ。

そうであることも知らずに生きてきた。これから先はまた、そうであることと共に、安心して生きられる。

生まれ持った脳の機能の障害(あるいは特性、偏向などと言い換えてもよいが)のために、社会的にはごく当然のこととしてとらえられている日常の行動や考え方について困難をかかえることがある。それは具体的な生活上のシーンにおいて、特有の感覚による苦痛や行動の困難としてあらわれる。ただし、ひとつひとつのケースに対して具体的な対策を講じることである程度苦痛を緩和したり、行動をスムーズにすることができる。
障害者としては一年生なので、まだまだうまくいかないことのほうが多いとはいえ、正確な診断と知識がもたらす安心感はハンパない。「理由はないけどどうやってもだいたい下手くそな自分」から「どうやってもだいたい下手くそだけど、やりようによっては結構できるようになる自分」へと認識がシフトしたわけだから。
それに、自閉傾向特有の感覚はなにも苦痛ばかりを生むってわけでもなくて、それがあるために多少ながらも人より得意なことだってあるしね。
マジで人生始まったヾ(๑╹◡╹)ノ”

アスペルガー症候群そのものについての専門的な知識は、まあ誰かの希望があれば書くかもしれないけど、今は多くの当事者がさまざまな場所で分析し発表していることでもあるので、とりあえず置いておく。
まずは私から、私への自己紹介ということで。

ちなみに自分で勉強したい人はこの書籍がいいよ〜(アフィリエイトではない)。
『発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい』

綾屋 紗月/熊谷 晋一郎