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心の中でそっと中指を

目の前で自転車に乗るおばあちゃんを見かけた。左足をペダルに乗せて、右足をクロスさせて地面を蹴る、その姿が亡き祖母に重なって、その日がお誕生日だったから、まるで「やまめちゃん、お誕生日おめでとう」と祖母に言われた気がして涙が出た。

わかっている、疲れているのだ。

いろんな責任、重圧、初めての後輩指導、そういうもの全てに押しつぶされて消え入りそうになっている、というのが真相だと思う。

誰に相談すればいいのかわからない。
相談、というか愚痴を聞いてほしい。

別に後輩が嫌いなわけではない。
でも、しんどい。重い。辛い。

誰か同じような立場の人とそれを分かち合えればいいのだけど、社内はリスクが高すぎる上に、そういう人がいない。

そう思っていたら、ひょんなことからママ友と晩御飯を食べに行くことになった。

彼女は職種が同じで(これまで似たような業界でお互い働いていて)、雰囲気も好きで、東京に同じくらい住んでいたこともあって、ずっと話してみたいと思っていた。

同じ匂いを感じる、と言うけれどまさにそんな感じだ。(そう言っては彼女に失礼かもしれないけれど、、、)

散々LINEでいかに地元にこの職種の企業がないかということで盛り上がり、ここを受けた、そこわたしも受けようと思ってたという話から、この会社は面接受けたけどやばかった(そこ、後輩が働いてるけどやばいってさ!)みたいな話まで展開していき、最終的にご飯に行こう!となった。

子どもたちが(彼女には3人お子さんがいる!)熱を出さなかったらね、という約束で、やっと奇跡の一夜が叶った。

会って話してみると、結局お互い家族の話にしかならなくて、あまりに主語を大きくするのはよくないかもしれないけれど、女の人生は結局母へのコンプレックスで成り立っている気がした。

「母のようになりたくない」が思春期で、
歳をとると母の偉大さに気づき、
「母のようにはなれない」というこれまた厄介なコンプレックスとなっていく。

話していて印象的だったのは、「旦那さんの年収が自分より高いのは「男だから」という理由だと思っている」と彼女が言ったシーンで、本当に間違いなく今この令和にすら男女差別がありありと存在する。

息子達が大人になる頃は、男性が産休育休を取るのは当たり前、家事育児を分担することなんてもっと当たり前になっていて欲しいよね、と話した。

たまに「わたしたちは苦しんだのだからあなたたちも苦しみなさい」というタイプの先人達を見かけるのだけど、あれは誰が得をするのだろう。

今を生きる女の子達みんなが、私たちのような辛い思いをしないことを願う。

周りの人にいいよと勧められて朝ドラを一気に見たら、5話の終わりで不意に涙が出た。

わたしが留学を終え、進路相談で母と学校へ向かい、「何かものを作る仕事がしたい」と当時の担任に言うと、鼻で笑ってこう答えた。
「それならプラントに入って中東でもいけばいい。それだってものづくりだ。」
私が通うのは建築学部で、いわゆる理系だったので、周りの9割が男子だった。
デザインだとか、ものづくりだとか、意匠系に進めるのは一握りで、みんな大きなゼネコンか大手ガス・電力会社に入り出世していくのが定例コースで、その先生も大きな会社からの天下りなのか転落なのかまでは知らないけれど、要するに男社会で生き抜いて来た人だ。
あの平成ど真ん中の時代に、「女には無理だ、大人しく適当な地元企業にでも就職しろ。どうせ結婚して子どもを産むまでの腰掛けだろう」と言われたのだ。

わたしはポカンとして、この人に何を言っても無駄だともう「進路相談」することを諦めたのだけど、激怒したのは母だった。

「生徒が進路に悩んでいるならその悩みを聞いて、正しい道に進めるのが教師じゃないんですか?生徒を小馬鹿にして夢を諦めさせるのが教師のやることなんですか?」

ぎょっとして左側を見ると、その鬼の形相のまま、「帰るよ」と私の手を引いて、母は先生の部屋から出て行った。
母はヤンキーでもバリキャリでもなく、普段は大人しくニコニコしている専業主婦だけれど、ここぞという時にガツンというタイプの、1番怖い人だ。

「あんな先生の言うことは聞かなくていい。あなたは自分で行きたいって言ってひとりでカナダまで行って本当に1人きりで丸一年あっちで頑張ったんでしょう。何のために頑張ったのか考えなさい。やりたいことがあるなら、応援するから、自分で考えてその道に進みなさい。やまめちゃんにはそれができる」

あの日の母と、寅子のお母さんが重なって、涙が出た。

これまで何千年と女は人権すらなく生きて、やっと今だ。

何人もの女達が泣いて、泣いて、泣いて、それでも諦めなかったから今がある。

それからフラフラフラフラと、結局やりたいことができているのかどうかハッキリと当時のわたしに伝えてあげることはできないのだけど、まだ諦めずにもがいているし、諦めなければ、多分、なれる、ということを伝えたい。

もうなろうと思えば何にでもなれる時代だ。
寅子みたいな人たちのおかげで、今がある。

「地獄を見る覚悟はあるの?」と寅子のお母さんは言ったけど、
人生なんて、どの地獄を行くかの選択のような気がしている。

どの地獄がまだましか。
どの地獄になら耐えられるか。
どの地獄が後悔が少ないか。
みんな、地獄の中で生きてるんだからさ、せめて足引っ張り合わずに進もうぜ。

わたしは彼女たちのいい先輩になれるだろうか。
そのために明日も自分の幸せを真剣に考える。
諦めてはいけない。
先人達は道すらない、もっと険しく高い山を登ったのだ。
ちっぽけなわたしの幸福度も、きっと未来の女の子達の小さな希望のかけらになるはず。


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