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ありがとう、わたしのPHS


PHSがサービスを終了したらしい。

2012年から2015年までの3年間、PHSを使っていた。

PHSでは基本的にメールと電話しかできない。
やろうと思えば携帯電話同様にネットが使えたのかもしれないけれど、その契約はしなかった。

なんでそんなことをしていたかと言うと、大失恋したからだ。

2012年に大失恋したわたしは、付き合っていた人が目に入るだけで心が痛くご飯も喉を通らない状態だったので、思い切って全てのSNSをやめた。

どういう訳か、そのタイミングでパソコンとスマホが同時に壊れた。

これは神様がわたしに心機一転しろと言っているのだとポジティブに捉えて、携帯会社で契約をするとき、「メールと電話しか使いません。1番安いのがいいです。」と伝えるとPHSを勧められた。

その前日まで最新のiPhoneに依存していた人間が、いきなり文明の力を失い当初は戸惑った。

初めて行く場所は家で最寄駅からの地図を印刷していたし、電車の乗り換えも事前に調べてメモしておかなければいけない。

美味しいお店も外出先では調べられないのだから家で調べてから出る。
もしくはふらりと店に入る。

まるでタイムスリップ、
驚くほど不便な生活になったのに、その荒療治はことのほか効いた。

まず、SNSを見ない、ということは当たり前だけれど今友達が何をしているか知る術がないということ。

身体も心も壊れニートをしている人間に周囲のキラキラ投稿は毒にしかならない。(もちろん投稿している人達は何も悪くない)

「他人と自分は違う人間だから妬んでも意味がない」と常々思っていて、人に対する妬みがほぼない人間なのだけど(いいな〜とか羨ましいとかはあるけど、それも他の人より薄いと感じる)、妬みというよりは焦りにつながった。

わたしは何をしているんだろう…みんな日々働いて生活しているのに…と思い、自分を責める方向に向かうのだ。

そうして連絡を取れるのは、家族を含めPHSに連絡先をポチポチと手入力でうつした15名に限られた。

留学中に携帯電話を持っていなかったので代わりに使っていたfacebookを放置していたのだけど、2012年はちょうど日本人の利用者が増えたタイミングで、小中高の友達・知り合い、元バイト先の人、留学中の友達、社会人になって知り合った仕事関係の人が入り乱れ、適当に全ての友達リクエストにOKしていたら300人を超えて制御不能になっていた。

それらの関係は全てfacebookを辞めた瞬間に消えた。
まあなんという極端な世界。

けれどPHS生活は慣れてしまえば思ったより快適だった。

復職後、新しい会社の人にLINE交換しようよ、と言われて
「PHSなんでメールしかできないんです」と答えると本当に宇宙人を見るみたいな目で見られていた。

facebookは?友達になろうよ
「やってません」

当初は嫌われている、嘘をついているとも思われたらしいのだけど、本当にPHSしか使っていないと理解してもらえる頃には「ただの変なこ」という解釈で落ち着いたらしい。

そうしてわたしは謎の26歳として会社に在籍し、周囲の人が優しかったおかげで徐々に心を開き始めた。

「保護犬を手なづけた気持ち」と先輩からは言われた。

周囲とのやり取りを極限まで制限したおかげで心はふかふかに回復し、3年後にまたスマホに戻した。

その頃になるとPHSからスマホに乗り換えましょうみたいな案内がわんさか届いていたし、引きこもり期を終えて人と出かけたときにスマホを持っている相手だけが色々と調べなければいけない状態になっていて、これは迷惑をかけているなあと思って戻したのだ。

それでもSNSは一切やらなかったのになぜこのnoteを始めたのか自分でも謎なのだけど、約2年、この創作の街でものすごく楽しく暮らしている。

今でもSNSでの発信はnoteしかしていない。

あのPHS時代から10年くらい。

人間って変わるよなぁ、世界って変わるよなぁというのを実感している。

noteは治安がいいというのは実感するところで、facebookにいた頃、留学中の友人と英語でやり取りしていたらよく知らない顔と名前を知っているくらいの中学時代の同級生から「アメリカかぶれかよw」みたいなコメントが突然ついてぎょっとした。

それまでfacebookは友だちとの連絡用に使っていて、ほとんどの会話をオープンにしていたのだけど設定を見直したり、まあとにかく大変だった。

今考えるとそんな意地悪なやつ数人のせいで辞めるのも、失恋で辞めるのももったいなかった気もする(留学中の友人と話したくなるときがある)のだけど、縁のある人とはどんな形であれまた必ず会えると信じている。

特にオチはないのだけど、PHSが終了したと聞いてあのつるんとした白い小さなPHSのことを思い出していた。

あの子はわたしが心にズタズタに傷を負ったときそっと寄り添い、助けてくれた。

今はいいのか悪いのか神経が図太くなってしまってもうスマホを手放すことはないと思うのだけど、少しの切なさと感謝と共に白い小さなPHSだけは今も手元にとっている。

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