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もう1人産みなさいおばさん現る

たこ焼き屋さんに息子と並んでいると、後ろにいるご婦人が声をかけてくださった。

何歳?しっかりしてるわね。などなど。

まぁここまでは結構よくある光景でありがたいなぁと思うのだけど…

ひとりっこ?
あら、それは寂しいわね。
そろそろふたり目を産まないと。
この子もママも寂しいわよ。

こ、これは…
Twitter(X)で炎上する系のやつ…?

昔、ひとりっ子は可哀想って言われた!むかつく!みたいなツイートが炎上していた。

本当にそういうこと(ひとりっ子は可哀想、もう1人産みなさい)をいう方と初めて出会ったのだけど、全く悪気がなさそうだった。
心の底から純粋にそう思って言っているのだろうな…というのは分かった。

わたしはひとり親なのでもう子どもをもつ選択肢はないけれど、それは彼女に伝えることなくただたこ焼きを買って会釈してその場を後にした。

そのあともしばらく産みなさいおばさんについて考えていた。
彼女はどんな人生をおくってきたのだろう?
おそらく、子どもは産んでいる。(はず)
そしてふたり以上いる、もしくは、自身がひとりしか子どもを産まなかった可能性もある。
それで寂しかったから、子どものいるひとにそう声がけをしている…?

でもやっぱり私がいま不妊治療中だとしたら驚くほど辛い言葉だったんだろうな…
「ひとりっ子は可哀想」という言葉に傷付く人もいるだろうなー…
「それあまり言わない方がいいかも…」と伝えるべきだっただろうか…
みたいなことが頭の中をぐるぐる回った。

どんな意見も思いも、「可哀想」と他者を断定することはやっぱり失礼だよな、でも自分もしちゃってるかもなと考えたりもした。

結論もなくただもやもやはしたので書いてみただけなのだけど…
ふと思ったのはそこでわたしが
「ひとり親なのでもう子どもは産まないんです」と返していたとしたら息子はさらに可哀想の烙印を押されていただろうか?

ひとり親になって1年が過ぎたのだけど、うっすらとした同情と好奇心の目に晒されていることはいつも感じている。

マウントを取られることもあるし、わざわざそれいう必要ある…?と思わされることも多かったけど、結局そこ(ひとり親であるということ)を私が負い目に思えば思うほどそんな出来事は増えるのだろうし、とにかく自分が息子を可哀想と思わないことだよな…と結論づけた。無理矢理。

可哀想でもないのに他人から可哀想と思われること…これまでもあったのかな、なかったのかな…。

同情って優しさに見せかけた攻撃だったんだ?びっくり。
それは絶対悪気なく自分もしてた。

難しいのぉ。

でももうひとり産みなさいおばさんに怒りは湧かなかった。
彼女の人生を少しだけ知りたくなった。

他人への気遣い、優しさは本当に多種多様だ。

不穏なことは現実にどうしても起き続ける。終わることのない正しさの主張、争い、それに伴う暴力。目を背けたくなる現実。目の前の平和。

もう少しだけ、本当にもう少しだけ、優しい世界になっておくれよ…
と思いながら何も知らずたこ焼きを頬張る息子を見つめた。

どうみても幸せそうだったので、その瞬間もまた真実。

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