見出し画像

勘三郎さんの「分身」ミッキー①黒足袋の十郎

ディズニー大好き、ミッキー大好きな中村屋

ミッキーマウスというと、私には第一に、十八代目中村勘三郎丈の顔が思い浮かびます。

フロリダのディズニーランドに行ってキャッキャしてる特番をゴールデンタイムに放送してもらえるほどのディズニーラバーでした。
マニアというのとはちょっと違う、ラバーでした、ほんと。

そんな中村屋に2004年から2012年までの8年間で通算何体だろ…ミッキーマウスをプレゼントし続けました。
おそらく、ミッキーマウスのぬいぐるみそのものは、他の方からもたくさんもらってたと思うんですが、私のようなおバカさんはそんなにいなかったと思う。

ミッキーにね、その月の勘三郎さんの役の衣装を着せてプレゼントしてたんですよ。
さすがにぬいぐるみはディズニーストアやディズニーリゾートのショップで買ってきてました。衣装だけ手作り。

なんでそんなことしようと思ったのか、きっかけは忘れましたけど、最初に差し上げたのはこの子でした。

白酒売ミッキー

2004年6月。
十代目市川海老蔵襲名披露興行、2ヶ月目。「助六由縁江戸桜」の白酒売(実は曽我十郎)。海老蔵の助六(実は曽我五郎時致)に付き合ってのご出演でした。

当時、私、海老蔵を中心に見てまして。成田屋のみで中村屋の後援会にもまだ入ってなかった頃。

海老蔵襲名披露にお付き合いくださる勘三郎さんに、何か御礼をしたい、と考えてるときにふっとこのミッキーの抱き枕を発見したんですよね。
確かこれだけは公式ストアでなく、ヤフオクだったと思います。


「これに白酒売の衣装着せられるんじゃ?」

…と、どこをどう脳が刺激されたのか思いつき。

それまでほとんどクラフトなんてやったことなかったし、ましてや和服なんて縫ったことなかった!(着物はこの頃から着始めたくらい)のに、よくまあやったよなーと17年前の自分に感心しちゃいますが。


慣れないクラフトワークに四苦八苦

とにかく、勘三郎さんの白酒売の姿に似せて行かねばならぬのですが、このときはまだ舞台写真が出てなかったので演劇界などの舞台写真の記録から再現していきます。

絹のつるりとした光沢を出したくてユザワヤをうろうろして(当時は調布に住んでいたので吉祥寺床のユザワヤは比較的出やすかった…前は駅直結でおおきなユザワヤがあったんですよ…)、厚手の裏地を見つけてきました。
今なら選びませんが、当時は知識がなくてつるつるしてるという理由だけで裏地にしちゃったんですよねー。
はっはっは。

手甲、股引、襦袢。
ちなみに型紙はこのときから最後までずっと、赤ちゃんのための浴衣の型紙を流用していました。
最後のほうはもう、型紙もなしで勘で作ってましたけど(笑)

尻尾のとこは穴を開けて適当に始末。
これ、股引というか、パンツですが、どうやって作ったのかもう覚えてません…。

襦袢は赤の綿生地、襟は黒の裏地ですね。

頭巾、どうやって作ったんだろ…。
多分、三角巾にして後ろをバツッと縫い止めてます。
脱がせない感じて。


縫い目がひどい…だって裏地だから縫いにくかったんだもの! 紋は石持。袖は長さがほぼないので紋無し。
このときはミシンを使ってますが、こんなに大物を作ったのはこのときだけで、以降は小さかったので手縫いです。
小さいときは手縫いの方が綺麗に縫えました。

角切銀杏はさすがにアイロンプリントです。
袖無し羽織…もう少し黄色に近いのを探せばよかったんですが、ほぼオレンジですね。

団扇もパソコンでプリントして貼っただけです。

背負っているのは白酒…ではなく、ティッシュケース。
茶色の表地に真ん中をマジックテープで止めていて、裏は中村格子の手ぬぐいだったはずです。
背負わせてあって、おろせたはず、確か。

ミッキーは足が黄色なので、黒足袋を履かせてます。
草履はかなり適当…ダンボールにフェルト貼って作った記憶。

手作り感満載。

もはや手作り感しかない(笑)
よくこんなの渡したなー。いい度胸ですな。

出来上がったミッキーは、確か初日から数日くらいのところでお渡ししたはずです。
楽屋入りのときに渡したときは、勘三郎さん、引いてる印象でした(いや、とにかくでかかったので…)。

それでもありがとう!と持って入ってくれたんですが、終演後にはガラッと態度が変わってた。

「あのねえ! あれ、玉三郎さんが『あら、良く出来てる、かわいいわね』って言ってくれたのよ!」

大和屋さんに褒められてすっかり上機嫌でした。
現金…(笑)とちょっと可笑しかった。

十郎の黒足袋

その後、実際の舞台を拝見したら、勘三郎さんの白酒売は足袋なしの裸足の拵え!

「ありゃ~失敗したー足袋いらなかったかー」

と悔しい私。
ところが、中日過ぎくらいに再見したら、「あれ! 黒足袋になってる!?」

驚いて勘三郎さんに「足袋を履くことにされたんですね」と言うとニヤッと笑いながら「うん、だってミッキーも履いてたじゃない?」と返されてさらにびっくり。

千穐楽近くにはニコニコと「あのね、あのミッキーと写真撮ったよ」とおっしゃる。
「わあー、その様子、見たかったぁー!」と残念がる私にイタズラっ子のような目で「見たいもなにも…まあ、お待ちなさいな」と笑ってらした、その理由を知ったのは一年近く後、2005年3月、勘三郎襲名披露興行が明けて数日後のことでした。

「載せてもらったから。」

初日から数日経った頃に、勘三郎さんに手紙を届けに行くと、ちょっとおいで、と楽屋へ呼ばれ、えええええ?と緊張しながら伺うと、ニコニコしながら「はい」と関容子さんの「新しい勘三郎 楽屋の顔」を渡されました。

表紙を開くと、名前入りのサイン!
えええ、準備してくださってたの!?


「いつ来るかな、と思って待ってたのよ。あのね、ミッキーの白酒売、載せてもらったから」

「!???」

慌てて探すと、はっ、ほんとに載ってるうぅ!
(ちなみに、116ページ。にっこり笑ってこの子を抱いてる白酒売の拵えの中村屋が載っております)
あー、撮ったよって、これだったのかーー!

「新しい勘三郎 楽屋の顔」関容子・著、下村誠・写真 文藝春秋社


感激しかありませんでした。

本の中ではこの白酒売ミッキーを差し上げたのは海老蔵ファンってことになってて、まあ当時は確かにそうだったんですが、出版された頃には比重逆転してたので、ちょっとだけ複雑だったことも、もはやいい思い出です。


楽屋にどのくらいいたのかも緊張のあまり覚えていませんが、芝居のこと、歌舞伎のこと、いろんなことをお話しました。わざわざ私に知らせようと、用意してくださっていた中村屋の心がとてもとても嬉しかった。

どんな相手であっても、投げた真心には真心と、ほんの少しの(…いや、かなりの?)悪戯心で返してくださる方でした。

この子、今頃どうしてるかなあ。
勘三郎さんには差し上げるたびに、公演の後は邪魔になるようなら誰かに差し上げてください、とずっと言っていました。できれば、可愛がってくださる方のところにありますように。

というわけで。
この白酒売ミッキーを皮切りに本当にたくさん、勘三郎さんのもとに届けたミッキーを始めとするぬいぐるみ達、いわば「役の分身」達の姿をひとつずつ、記録に残していこうと思います。

どの子にも、中村屋との思い出が詰まっていますので、皆様には中村屋の顔も合わせて見えるといいな、と願いつつ。




いただいたサポートは私の血肉になっていずれ言葉になって還っていくと思います(いや特に「活動費」とかないから)。でも、そのサポート分をあなたの血肉にしてもらった方がきっといいと思うのでどうぞお気遣いなく。