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2024年2月12日 実は「推し」がいない


昨日から、
羽生結弦と称するメールアドレスから、頻繁にメールが来ています。
またもや、「携帯電話を紛失してしまい、新しくした。うろ覚えで、あなた(有名芸能人)にメールをしている」という展開です。
そろそろ、違う展開を考えるべきでしょう。

どこのだれが、こんなあまりにも陳腐なメールに今どき、返信するのだろうとめまいがしそうになりました。
このメールを考えている人間は、絶対に、中年か、高齢者です。
確実に若い世代ではありません。
メールの中に記載されていた芸能人は、昔、一世を風靡した国民的アイドルグループのリーダーです。
名前を使われているスケーターも最も人気があったのは少し前のことだと思います。
2人とも、今時の若い世代が興味を持つ人間ではありません。
中年から高齢者の首謀者が、自分と同じ世代を引っ掛けようと考えた話がこれなのか…と思うと、
なんとも情けない気持ちになります。
アイドルや歌手を熱心に応援したことがない身としては
こんな奴らに名前を使われてご苦労様ですという気持ちしか湧きませんし、
メールを送ろうとは絶対に、思いません。
しかし、
このアイドルのファンであればまた話は別なのでしょうか。
羽生結弦氏に下心はなくても、
このアイドルとはお近づきになりたいという気持ちや
なんとか力になりたいという気持ちがあって返信してしまうのかもしれません。

「推し」という言葉が広まって久しいですが、
本当の意味で「推し」がいるわけではない人間には到底わからない心境です。

以前に、
「今井真実さんは「推し」料理研究家」だということを書いたこともありましたが、
一般的な「推し」にかける情熱としてははなはだ弱火なようにも思います。
ここで初めて告白することになりますが、
「推し」と言いたかっただけのような気がするのです。

著作を買う、
おすすめされている道具を買うということはしました。
音声コンテンツを聞いたり、日記を読んだらもしました。
しかし、出られているイベント全てを追いかけるとか
録音録画するとか、
握手を求めにいくとかいう気持ちまではないのです。
「ご活躍頑張ってください」という気持ちが全てです。

「推し」に対しての気持ちというのは、
それ以上に熱いもののような気がします。

以前から、薄々感じていたのですが、
自分は本当の意味でのヲタクにはなれないようです。
本が好きで、映画も好きでアニメも見て、漫画も読むので、ヲタクの末席に座っているような顔をしてきましたが、
年々気恥ずかしさが増します。
そこまでの熱量がないのです。

本物のヲタクの方と出会うと、
自分の熱量の弱さがバレないか心配になる程です。
グッズを沢山持っているとか
何回、映画を見に行ったとか、
何度ライブに行ったとか、
そういう物量はもちろんのこと、
やはり気持ちの面での熱量が圧倒的に弱いです。
惜しみなく時間やお金、感情を注ぎ、楽しむという部分が、根本的に脆弱です。
妙な冷静さが邪魔をします。

大きくて、声がでかいので感情豊かな人だと勘違いされるのですが
自分はおそらくは
感情豊かではないのです。
感情というものが、あるのはあるのですが
他の人より平板な気がします。
特に熱狂というものが苦手です。
熱狂しているフリはいくらでもできるのですが、
本当に、そうはならないのです。
何かに我を忘れるということに、忌避感があります。
まあ、もっと簡単に言えば嫌なのです。

熱狂は、
個人的には
アルコールを摂取すること、
飲酒と似ているように感じるのです。

飲酒が苦手な下戸で
我を忘れたくて酒を飲むということが理解できない類の人間です。
酒を飲むと、
身体が痛くなるのが不快なのは当然として、
自分という人間の輪郭が朧げになり
よくわからない衝動の方が強くなります。
あれがとても気持ち悪いのです。
熱狂の中に自分を浸すことは、
酒を飲むのと同じくらい恐ろしいことのように感じます。
自分という人間がなくなり、
目の前にいない「何か」や「誰か」のことだけを考えるということが、
本当におそろしいのです。

「推し」という言葉が流行り出してから
自分にも「推し」がいるような素振りをしてきましたが、
本当は、「推し」なんていないのです。
おそらくこれからもできそうにはありません。

少し遠くにいる「推し」よりも
身近な家族や友達の方が、
自分の人生には重要そうに思えてしまうというのもあります。
自分が情を抱けるのは半径5メートル位にいる人間だけなのかもしれません。
もしくは、本だけなのかもしれません。

それに加えて、
周囲が盛り上がると、すっと引いてしまいますし、
たとえ、「面白い」と思っても半年くらいすると飽きてしまったりするのです。
最近、英国ミステリにハマっていますが、それだっていつまで続くことやら…ということです。
友達や知人が「推し」の話や聖地巡礼やイベントの話をする時、
いつでも少し曖昧な笑みを浮かべているのは、
真にその熱狂がわからないからです。
わかりたいけれども、
どうしてもわかりきれない部分があります。
そして、そのことがバレたらどうしようと、少し不安に思っているのです。

この世の中は本当に「推し」がいる人ばかりなのだろうか、と思う時もあります。
「推し」を持つことができない自分のような人間も、どこかで息を潜めて生きているのでしょうか。

とはいえ、思いもよらぬところから、
いきなり「推し」ができる、
いきなり「沼にハマる」ということはわりとあるようですから、
今がその時でないというだけかもしれません。
友人が思いもよらぬことから、
生身の「推し」ができて
熱心に応援しているのを知っています。
「推し」は突然にできるものなのです。

ですから、こんなことを書きながら、
明日くらいに
寝ても覚めても、考える「推し」に出会うのかもしれません…。
今のところ「推し」はいないのですけれど…。





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