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幸せになりたくて

Twitterは、同じ内容の投稿を呟くことを、許してくれない。大事なことだからこそ2回言いたいのに、呟く程度の事を2回言うのは流石にだるいってか?

幸せになりたい。
今までも今もこれからも多分ずっと思い続けているだろうこと。私は、幸せになりたい。
漠然としているその言葉に、私は明確に惹かれてしまう。そんな言葉、ありませんか?

補欠の連絡を待って毎日毎日祈っているのに、連絡は一切来ない。現実は常に残酷なわけだ。

懐古厨になりたくないって結構前から自然と思ってきた。過去に拘泥するのは何となくダサそうで。でもきっと、強烈に覚えている事柄、忘れられない人や思い出よりも、私を構成しているのは、何となく忘れられちゃったたわいもない会話だったり、取るに足らない出会いだったりするんだろうし、小さな思い出をわざわざ思い出すのも、悪くないのかなって思ったりする。笑い話にするエピソードよりも、オチのない平行線の穏やかな記憶が、私のほとんどなんだと思うから。
なんかこう、もう戻れないんだろうなって日々を、ぼんやりと思い出す時、生きてるなーって感じるんだよね。誰かに用意された話とかではなくて、私の私による人生なんだなって。


人生は選択の連続だ。選択の連続で今がある。運命なんてものは、あまりない。今日も私に大事件は起きない。それでもどうしようもなく、日々は続く。私たちは確実に死に近づく。私はこの場所で、取るに足らない日々を綴っていたいと思っている。

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