ディズニーって、昔はもっとワクワクしてたはずなのにな

本を普通の人のように読むのが、多分かなり苦手だ。隅々までしっかり、ちゃんと考察しながら場合わけして読み進めていくか、ざっと攫って読むことしかできない。普通にストーリーを理解して、伏線を回収して、読むことができない。
これはただの夏。今回の本は、燃え殻さんの中で、今までより一層、ぼやけた話だった。燃え殻さんの話で好きなところは、攫って読むだけでも、すごくじんわり感じれて、気持ちがよくなる。普段の私ならそこでもういっかとなってしまうのだが、彼の本はもう一度"じっくり"何度も読みたくなる。今までのエッセイも小説もそうだった。結果的に場合わけにも考察にも、さらっと感じることにも成功し、彼の本の理解度は普通の人に引けを取らないはずだ。

そんな話はともかく、今回この『これはただの夏』という作品の中で最も私が共鳴したのは、花火を見ている途中に、終わりを考えてしまう。という部分である。おそらく共鳴する人にはこれだけで何を意味するかがわかる。楽しい時に、悲しくなる。それが我々のような人種なのである。必ずそこにあるはずの終わりを考え、事前に寂しくなる、彼の言葉で言えば、寂しさの先走りをする。そうすることで、寂しくなる自分を防衛するのである。私で言えば、旅行が始まってしまうと、これが終わってしまうのかと考えたり、遊びに行くと、時計を見ることが怖くなったりする。寂しい自分に慣れるように、考えるのだ。

最近、自分の弱さが本当に分かってきて、自己嫌悪に陥りがちだ。改善策を考えることも、考えて実行できないことも、本当に、本当に、良くないとわかっているのに。わかっているのに。世の中は常に残酷だ。誰かといると今までより一層自分の弱さが露骨になってきて、最近は1人で何もせずYouTubeを眺めることが至高となってきている。良くないなぁ。
もっと自分を愛せる日が来ますように祈って。


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