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「欲望の犬」

10代の頃に詞作を始めて、20代から小説にトライして、30代で小説を仕上げることができました。
40代後半からfacebookを始め、それがきっかけで15年ほどブランクがあった小説の執筆を再開して、昨年から活動の場としてこのnoteに投稿しています。 

おかしなものですよ。
だって、生計の足しでもないし、執筆でそうなれたらと努力する気もない。
noteにこうして書いていますが、フォロワーを増やすためにあの手この手と時間を費やす気持ちは皆無です。

書きたいんですよ。
何だかバカみたいだけど、みんなそうじゃありませんか?

だから、僕は自意識の垂れ流しだと腹を括っているのです。
何かを書けるからって、偉くもなければ特別でもない。むしろおかしな奴ですよ。
でも、そんな下らない自意識でも、地球には何十億という人間がいる訳ですから、きっと一人ぐらいは自分の言葉を待ってくれてるだろうなって、勝手に思いながら今まで続けてきました。 

妄想も案外力になるものです。

昔僕は400字詰めの原稿用紙に手書きで書いてました。
300枚の小説を書いたところで、一体誰が読んでくれるのか?
それが今ではスマホで書いて簡単にネット上に上がり、読者ができて、いつもお届けすることができる。
想像したこともない、ありがたい時代にリンクできたとしみじみ実感します。

自意識の奴隷ですよ。
そしてここは、そんな欲望を抱えた病人が集まる「プラットホーム」という名の病院。
綺麗事を信じるには最早遅すぎる僕には、いぶかしみながらこの病院に通院するしかない。

だって、この病院は病人のことを助けようなんて思っていませんよ。
治療費をいただくお客さまなだけですから。

ブラットホームは、万能の道具ではありません。
資本主義が人間の欲望の上に成り立っているように、「クリエイター」という言葉に幻惑されてる僕らのような人間を飲み込んで肥大化していく形なきゴーレムといったところじゃないかな。

2022年の現在において、どこでもドアは未だ存在していません。
何でも切れるハサミなどありません。
人の心を量る計量器などありません。
僕らは、目の前にある道具でもって、自分にやれるだけのことをするしかない小さな存在です。

だとしても、欲望の犬なりに自分の使う道具のことは理解して使った方がいいかなとは思います。
さまざまなSNSも、使われるのではなく使いこなした方がいいでしょうし。

でも、こんなことを思うんですね。
フォロワー〇人とか、アフィリエイトだとか、ビジネスパーソンな人はやっぱり、何かね…


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